第二章④
船の上じゃない。
箒の上とも違う。
エンジン?
ミリカが目を覚まして見えたのは、唇が真っ赤で、瞳が大きくて、まつ毛の長い、女性の顔だった。
瞼を一度閉じて、もう一度開けるともう一度同じ顔が見える。
「あ、ミンス、起きたみたい」女性が声を出す。
「ホント、よかった、」今度は男の人の顔が見える。鼻ピアスをしていた。「エクセレントっ! やっぱり、可愛い女の子だ」
「何言ってんのよ、ね、水、飲む?」女性は男の人を殴ってからそう言った。ミリカは女性の膝に頭を乗せているのだと分かった。無理に起き上がろうとする。でも体に力が入らなかった。ミリカが頷くと女性は首を支えて水を飲ませてくれた。口の中にスプーン一杯くらいの砂粒を感じて思わず水を飲まずに吐き出してしまった。水は鼻ピアスのミンスに降りかかった。
「あ、ご、ごめんなさい」ミリカは力のない声で謝る。
「いいよ、いいよ、」ミンスは優しかった。「むしろ嬉しいっていうか」
ミリカには意味が分からない。
「バカっ」女性はまたミンスを殴った。ミリカは自分のせいでミンスが不幸になっているんじゃないかと不安になる。
「気にしなくていいわ、こいつ変態だから」
「変態!?」ミリカはミンスと距離を置こうと慌てて起き上がる。
「はっはっはっ、」ミンスは陽気に笑っている。「ノウラ、酷い冗談だ」
「具合はどうだい?」
助手席のヘルメットヘアの男の人が聞いてきた。とても優しそうな雰囲気だった。雰囲気しか分からない。ミリカは自分の目元を触った。眼鏡がなかった。ぼやけた視界の周囲を見回す。ここがワゴンの中だというのにやっと気付いた。ワゴンは砂漠を進んでいる。そうだ、私は砂嵐に飲まれたのだ、死を考える暇もなかった、すぐに気を失った、セレナに格好つけて飛び立ったのが少し恥ずかしい、そういうことを思ってから自分の症状を考えた。「体に力が入りません、あと少し頭が痛い、です、でも、すぐに平気になりそう」
「それだけ自己分析出来れば大丈夫だ、」男の人は何かを確かめるようにミリカの目の下を触って言った。「うん、大丈夫だ」
「バリーは大学の医学部出身なの」ヘルメットヘアの男の人はバリー。そして女の人はノウラ。鼻ピアスのミンス。で、あと一人、運転席にもう一人いた。
「でも、現役の医者に診てもらった方がいいだろ?」
運転席に座る、なんとなく女の人みたいな男の人が言った。声が低いから男の人だと分かった。「安心しろ、あと一時間もすれば砂漠を抜けられるから」
「王都に、ですか?」ミリカはノウラに聞いた。
「そうよ」返事はすぐに返ってきた。
「よかったぁ」ミリカは安心して思わず息を吐く。
「王都を目指していたの?」
「はい」
「歩いて?」
「私は魔女です、魔女は空を飛ぶものです」
「この砂嵐の中を? 信じられない、クレイジーよ」
「私より小さな魔女にも、同じようなことを言われました、」ミリカは笑って、目を瞑り、王都で待つ人のことを考えた。その人のために私は王都へ行く。そして大事なことに思考が及び、かっと目を見開いた。「あっ、荷物、荷物は!?」
「大丈夫、」ミンスが親指を立てる。「ほら、ちゃんと俺が積み込んだ」
「ありがとう」荷物の無事を確認してミリカはミンスに微笑んだ。
「素敵なスマイルを、ありがとう」ミンスはミリカに手を伸ばしながら言った。
「そんなに大事なものだったの?」ミリカの過剰な笑顔を見て、ミンスを殴りながらノウラが聞く。
「はい、コレがないと、私が王都へ行く意味がなくなります、」ミリカは思い出したように手の平を合わせて頭を下げた。「あ、えっと、ありがとうございました!」
「どうしたの、急に?」
「お礼を言ってませんでした、助けてもらったお礼」
「あなたを助けたのはミンス、だから、お礼はもういいわ、まだ横になっていたら」
ノウラは自分の膝を叩いた。ミリカは首を振って断る。意識ははっきりしていた。王都まで一時間と告げられたら興奮して横になってはいられない。
「なんだか羨ましい」ノウラが急に呟いた。
「羨ましい?」
「凄く一生懸命だから、私たちは、ほら、もうスタイルが出来ちゃってて、様々なことをやっているんだけど、限界だっていうことが分かってきちゃっているから、もう一生懸命にならなくてもお金はいくらでも入ってくるし、あんまり努力してないんだよね、ただ単純に、楽しみたいから、このワゴンで贅沢に流浪しちゃってるって、感じだから」
「ノウラさんたちのこと、知りたいです、聞いてもいいですか?」
「元気ね、砂漠に墜落したとは思えない、」ノウラは微笑み、ミリカの髪を触りながら言った。「私たちはフォレスタルズっていうバンドよ、知らない? 一応有名人なのよ」
「ばんど?」聞いたことのない単語だった。
「ああ、まずそこからか、えっとね、音楽を奏でるの、ライブね、この四人で、ジョンとバリーとミンスと私で、ロックンロールって言うんだけど」
「ろっくんろーる?」
「音楽のジャンル、カテゴリ、まぁ、楽しい音楽ね」
「どんな、音楽ですか?」ミリカは縦笛を拭くジェスチャをした。
ノウラはそのジェスチャにクスリと笑った。「バリー、音楽をかけてあげて」
レコードプレイヤが回転する。聞きなれないリズムが、メロディがミリカの耳に入り心に届いた。こんなの初めて、自然に体が揺れちゃって、楽しくなる。ベイビー、ベイビー、ベイビーというリフレインを口ずさんでいた。ノウラと一緒に。目が合う。そしてこの興奮を思いっきり伝えたいと思った。「素敵です、こういう音、聞いたことない」
「私たち、ファーファルタウのパレードに出るのよ、ホウェールズの音楽隊の前座で演奏するの」
「すごい、私も見てみたい」ミリカは子供のようにはしゃいでいた。
「見に来たらいい、」ミンスが言う。「楽屋に招待しよう」
「でもね、最初は前座なんてって、断ろうと思ったのよ、ファーファルタウには去年ツアーで回ってたし、でも、国王にどうしてもって、脅迫状みたいな招待状が来てね、まぁ、しぶしぶって感じかな、でも、うん、結果的にはよかったよね」
ノウラはミンスに微笑む。
ミンスも「うんうん」と頷く。
「よかった?」
「そのおかげで、あなたを助けることが出来たじゃない?」
「ああ、神様を信じてしまいそうです」ミリカは五指を組んで冗談を言った。その冗談は文化の違うノウラには通じなかったようだ。
「そういえば名前をまだ聞いていなかったわね」
「ミリカです、ミリカ・カミオ」
「カミオ? まさかあなた、日本人?」
ミリカは小さく頷く。旅に出てから何度も聞かれる質問なので、ミリカは日本人と表明することにもう飽きていた。
「このワゴンのメーカのカミオ?」
その質問も十回くらい聞かれた気がする。コレも首だけ傾けて小さく肯定した。
「すごい、ミリカはお嬢様なのね」
ミリカは否定せずに微笑んだ。
「今度、日本に行きたいな、」ノウラが運転席に声を投げた。「ねぇ、ジョン、どうかな?」
「ライブが出来る、広いホールはあるの?」ジョンは前を向いたまま聞く。
「どうなの?」ノウラも真剣に聞いてきた。
「うーん、」ミリカは少し考えた。玉ねぎ型のホールを思い出す。「武道館、ですかね?」
「ブドーカン?」
「柔術とか、剣術の試合をするんです、日本で一番広いのは、ソコじゃないかなぁ」
「へぇ、ブドーカン、なんだか神聖な響きね、」ノウラはミリカの顔を覗き込む。「それにしても、お嬢様がどうして砂漠を飛んでいたのか、不思議、ねぇ、聞いてもいい?」
「えっと、その、端的に言うと、大切な人に、会いに行くんです」
ミリカは大切な人にもうすぐ会えると思うと幸せな気持ちになって顔が崩れる。その顔を見られたくないから少し俯く。
「まあ」ノウラは何かを勘違いしたようで口元を押さえて歓声を上げる。
「なんてこった」ミンスは窓の外に向かって勘違いしていた。
「会って、そしてプレゼントを渡して、」ミリカは風呂敷に包まれた荷物に触って少しセンチメンタルになった。「それから、出来ることなら、一緒に日本に帰りたい」
「一体この巨大な荷物はなんなんだい?」ミンスは先ほどよりも少しフランクに質問してきた。「とても重かった、こんな荷物を背負ってよく空を飛べるもんだ」
「着物と日本酒、えーっと、それから、……花火です」
「キモノ? ニホンシュ? ハナビ?」
ミリカはノウラに着物と日本酒と花火について説明した。それからミリカはノウラに様々なことを聞いた。ノウラもいろいろと質問してくる。いつの間にかワゴンは砂漠を抜けていた。窓の外の風景は緑の多い街並みに変化していた。川が流れて、水があるのが新鮮だった。空の色は夕方に近づいていた。通り抜けた市場は活気で溢れていた。
「もうすぐファーファルタウだけど、」ジョンが聞いてくる。「病院には、行かなくてもよさそうだね?」
「はい」ミリカはシートの上でウサギのようにそわそわしていた。
「少し落ち着きなさいな」ノウラがミリカの肩を抱いて微笑む。
「だって、」ミリカは下唇を噛んでそわそわし続けている。「この日をずっと考えていたから」
そしてファーファルタウを囲む、巨大な城壁がワゴンの前方に見えた。
「大きい、」ミリカは呟いた。街に影を作るような建造物は今まで見たことがなかった。大坂城、姫路城でさえ比べものにならない。ファーファルタウを目指し、箒に跨って様々な国を飛んできたが、前方の城壁に、その大きさで勝るものはないと思う。「あの、塔は?」
城壁から突き出るようにそびえ立つ塔が見えた。ミリカは目を細めている。空を刺すように塔の先端は細く尖っていた。
「あれは、ビック・ベル」
「ビック・ベル? ベル?」
「ココからは見えないけど、城壁の中に入ったら見えるわ、大きな金色の鐘が、ビック・ベルは時計塔なの」
「日時計になってるんですか?」ミリカが聞く。
「どうなの?」ノウラはジョンに質問を投げる。
「ああ、言われてみればそうかもしれないね、ファーファルタウは丸い堀に囲まれた都市で、堀に架かる橋は全部で十二、その可能性はあるね、トゥエルブ・タワー・ブリッジっていうんだっけ?」
「え、ああ、そうだな、でも、どうしてタワーって名前なんだろう、不思議だ」バリーは少しまどろんでいるような声のトーンだった。この中ではバリーが一番の年長者だ。旅で疲れているのだろう。
「都市で一つの時計を作っているんですね、凄いです」
城壁の全貌がワゴンのフロントガラスから見上げることが出来なくなるまで近づくとシティ・リンクのワゴンの行列が見えた。ざっと見て二十台くらい。ファーファルタウへの橋を渡るための行列のようだった。
「検閲だ、時間がかかりそうだ」ジョンがハンドルにもたれて欠伸をした。
それを聞いて、ミリカは少し嫌な予感がした。「検閲?」
「パレードの時期は厳戒態勢をしいているからね、今日から一週間、王都はずっとこんな風にナーバスだ、招待状がなければ外の人間を絶対に中には入れないし、外に出て王都へ帰る場合にも政府発行の通行許可証が必要なんだ、」バリーが答える。「あと、武器なんかも持ち込めない、……ってもしかして、ミリカちゃん?」
「……どうしよう」
「そうよね、ミリカは招待されたわけじゃないものね」
「……どうしよう、明日までに、私はあの人のところに行かなくちゃいけないのに、」ミリカは忙しなく考えていた。招待状なんて当然持ち合わせていない。一週間も王都の中へ入れないなら、ここまで急いで旅してきた意味がない。意味がないのだ。明日までに、私はあの人に会いたい。「どうしよう?」
「……困ったわね」ノウラはミリカよりも困った顔で呟く。
「ノウラさんは困らなくていいです、」ミリカはノウラの腕に触った。「私が降りれば、」
「駄目、ソレは絶対駄目、ミリカは私たちのライブを見るの、最前列で、それはもう決まったことよ」
「そうだ、」ミンスも頷く。「まだ一緒にディナーもしてない」
「嬉しい」検閲を潜る方法を考えながらミリカは五指を組んでミンスにもたれる。ミンスの体は筋肉の量が多めでもたれて考え事をするにはちょうど良かった。ミンスの胸板に指でクルクルと丸を書く。そうすると頭が回転し始める、ような気がするからだ。
「しかし、どうする?」ジョンが言った。
「その衣装のままじゃ明らかに不審だ、」バリーが言う。ミリカの衣装はシルクロード仕込みの多民族衣装盛り合わせである。「ノウラ、同じようなシャツはないの?」
「あるわよ」ノウラは後ろの座席の荷物からシャツを探す。
「あ、確かタンバリンがあった、」ジョンが言う。「新しいメンバーっていうことにしよう」
「たんばりん?」ミリカはタンバリンを知らない。
「賛成、」ノウラが声を上げた。「あ、ほら、あった、コレに着替えなさい、男共はあっち向いてなさい」
「なんだって!?」
ノウラはミンスを殴って向こうを向かせた。
「ほら、早く」
「いえ、その必要はありません」
「え?」
ミリカは指を鳴らした。
すると、一瞬で衣装が変わった。白いシャツに、黒いスカート、黒いタイツ、非常にシンプルなミリカが出現した。ノウラが手にはなにもなくなり、窓の外で洗濯に励む女性のもとに重たそうな民族衣装が降り注いだ。「凄い」
「魔女ですから、」ミリカは微笑んで、息を軽く吸った。すると、清潔な服に着替えたせいもあるだろうか、頭が回転し始めて、一つのシナリオが出来上がった。「……バリーさん、ファーファルタウの地図はありますか?」
「地図?」言われてバリーはジャケットのポケットの中を探した。「えーっと、ああ、コレだ、確か一年前に買ったやつだ」
「ありがとうございます、」ミリカは胸を撫で下ろした。地図があるのとないのでは可能性に大きな差が生じる。その地図はかなり詳細だった。神様に感謝。ミリカは地図をくまなく頭に叩き込んだ。さすがに宮殿の内部までは書かれていなかったが、宮殿と宮殿を囲む四つの塔、その一つの魔女の塔、そこから南に延びるメインストリートが分かれば、未来が少し見えてくる。「皆さんに、お願いがあります、どうかわたしのわがままを聞いてください」
魔女のミリカはフォレスタルズに少し未来のシナリオを説明した。それから彼らにとても危険な頼みごとをした。
フォレスタルズは笑って承諾してくれた。
ミリカはぜひ、このロックンロールな人たちのライブを見てみたいと思うのだった。




