第17話 公開審理で、古都の水路が真実を語る
水門が開かれた翌朝、古都の中央広場には、夜明け前から人が集まっていた。
広場の中央には臨時の審理台が設けられ、その背後には王都の紋章が掲げられている。普段なら役人だけが座る場所に、今日は南区の住民、職人、水路の作業員、そして記録を焼かれた者たちが並んでいた。
公開審理。
局長代理と、その背後で水路の改竄を指示した商人たちを、誰の目にも見える場所で裁くための場だった。
ミレアは審理台の脇に立ち、父の記録を抱えていた。焦げた紙の束は、昨夜の水に濡れて重くなっている。けれど、その重さはもう、彼女を押しつぶすものではなかった。
レオンが隣に立つ。
「顔色が悪い」
「眠っていませんから」
「私もだ」
「それは、威張ることではありません」
ミレアが小さく笑うと、レオンはわずかに目を細めた。
広場の前方では、審理官が木槌を置いた。王都から派遣された三人の審理官の中央に座るのは、白髪の女だった。かつて水路記録院の調査官を務めていたという。
「本審理は、古都南区における水質異常、工事記録の改竄、ならびに公用水路の不正分岐について行う」
女審理官の声が広場に響いた。
「証拠はすべて公開する。証言を妨げる者は、身分を問わず退廷させる」
局長代理は拘束されたまま、審理台の前に座っていた。昨夜までの威圧感は消え、顔には苛立ちと疲労が浮かんでいる。
その隣に並ぶ商人たちは、まだ自分たちが助かると思っているのか、互いに目を合わせていた。
最初に呼ばれたのは、南区のパン職人だった。
「七年前から、井戸の水に苦みがありました。役所へ訴えましたが、記録には異常なしと書かれた」
「誰がそう書いたのですか」
審理官が尋ねる。
「窓口の役人です。ですが、後で聞いた話では、上からそう記せと命じられていた」
続いて、水路清掃人が証言した。清掃のたびに、地図にはない分岐へ入るよう命じられたこと。その分岐の先に、商人たちの貯水槽があったこと。作業記録にその道を書こうとすると、紙を取り上げられたこと。
ひとつひとつの証言が、広場の上に積み重なっていく。
やがて審理官がミレアを見た。
「ミレア。あなたは、水路の記憶を読み取れると聞いている。その力を証拠として扱うことに異議はないか」
「ありません。ただし、私の言葉だけを信じてほしいわけではありません」
ミレアは審理台へ進み、焦げた書類を広げた。
「私が読み取ったことは、残された記録、実際の水の流れ、そしてここにいる人々の証言と一致します。どれかひとつではなく、すべてを照らし合わせて判断してください」
審理官はうなずいた。
「では、始めなさい」
ミレアは最初に、父の署名がある古い工事記録を示した。
「この署名の下に、別の筆跡で工事命令が書き加えられています。父は南区への水を止める命令を出していません。むしろ、隠された分岐を発見し、報告しようとしていました」
局長代理が初めて口を開いた。
「死人の名を利用して、自分を正当化するつもりか。水路の記憶など、証明できない妄言だ」
ざわめきが広がる。
ミレアは局長代理を見た。
「では、あなた自身が確かめてください」
「何だと?」
「ここには、昨夜開いた水門から流れた水があります」
彼女は審理台の端に置かれた石盆へ手を伸ばした。そこには水門の奥から採取した清水が満たされている。
「この水は、旧施療院の地下を通り、隠し水路を経て南区へ流れました。触れれば、七年前に誰が流れを分けたのかが分かります」
「私はそんな迷信には付き合わん」
「ならば、私だけが触れます」
ミレアは水へ指先を浸した。
冷たい感触の奥から、記憶が立ち上がる。
夜の地下水路。灯りを掲げた男たち。商人の印が刻まれた契約書。局長代理がまだ副局長だった頃、彼が水門の鍵を受け取る場面。清水を貯水槽へ送る代わりに、南区へ濁水を流す計画。
そして最後に、父がそれを見つけた夜。
父は記録板へ何かを書きつけていた。
――水の分岐は、貧しい者の沈黙を代償としている。
ミレアは手を引き抜いた。
「父は、こう書き残しました」
彼女が言葉を伝えると、広場は静まり返った。
局長代理の顔から血の気が引く。
その瞬間、審理台の下から水音が響いた。
古い石造りの排水溝を、開かれた水門からの流れが通り抜けているのだ。水は広場の下を走り、中央の浅い溝へ現れた。濁っていた水は、しばらくすると澄み、石の底に沈んでいた黒い泥を押し流していく。
審理官が身を乗り出した。
「この溝は、地図にはないはずです」
「地図から消されていただけです」
レオンが答えた。
彼は昨夜押収した金属板を審理官へ差し出した。
「水門の刻印と、古い記録院の規則です。水路を分けた場合、そのすべてを記録し、公開すること。今の制度では、分岐そのものが記録から消されていた」
審理官は金属板を読み、長く沈黙した。
やがて、南区の少女が人垣から一歩前へ出た。彼女の手には、濁った井戸水を入れた小瓶がある。
「この水も、きれいになりますか」
ミレアは少女の小瓶を受け取った。
「すぐには無理です。でも、どこから来た水かは、もう隠されません」
少女は小さくうなずいた。
審理官が立ち上がる。
「本件に関する記録は、すべて再調査する。局長代理および関係者は拘束を継続し、改竄された帳簿、契約書、工事命令を王都へ送る」
商人たちが一斉に抗議した。
だが、その声をかき消すように、地下の水路が再び鳴った。
広場の下を流れる水は、誰にも命じられず、誰にも賄賂を渡さず、分けられていた道をひとつに戻っていく。
真実は、人の口だけで語られるものではなかった。
隠された流れそのものが、長い沈黙を破っていた。
レオンがミレアの隣で囁く。
「これで、父上の名は戻る」
「それだけではありません」
ミレアは人々を見渡した。
「今度は、誰の記録も消されない仕組みにしなければ」
「分かっている」
レオンは水路の音へ耳を澄ませた。
「審理が終わったら、制度を作る」
「あなたが?」
「私ひとりではない。君と一緒にだ」
ミレアは彼を見た。
人に選ばれるためではなく、自分の手で道を選ぶ。その道の隣に、レオンが立っている。
広場の地下で、水が澄んだ音を立てた。
古都はようやく、真実の流れる音を知った。




