(4)
「はい、どうぞ」
何かが変だ。
目の前に置かれた美味しそうなハンバーグや、サラダなどのシンプルだが、手の込んだ料理を見て、薄く考え込む。
発端は彼女の発言だった。
急遽始まって既に三日経った凜ちゃんの"処置"を仕事中にしつつ、約束の二週間を守るために、彼女にご飯を出していると一言。
「美味しくない」
一人暮らしが長く、それなりに料理をしてきて少し自信があった僕がでは、ということで試しに作らせてみるとそれが絶品、とまでは言えなくても白旗を上げざる負えない出来栄えに敗北。
"処置"を待つ人間とは思えない自由さだ。
最低限の拘束はしているが、それがすでに様式以外の価値はないと理解している
彼女が作っているのは僕が仕事から帰ってきてからの夕餉のみ。
それ以外は地下にいるとはいえ、夕餉中は当然包丁は握られている。
どうにかしようとすればいくらでも考えつく。
だがそれでも彼女は逃げる様子はない。
それがたまらなく変だ。
同じように彼女も座って僕と同じように食事する。
変だ。彼女の仕草を見るたびに、怖気と違和感が付きまとう。
普通に食べているだけのはずだ。
「明日。仕事、見てみても良いかな?」
「良いわけ…」
ないと続けようとするが、逃げるだけならもうとっくに逃げているはずだ。
食事中は特に拘束しているわけではないので、仮に彼女が箸で僕に襲い掛かれば、彼女を傷付けられない僕はあっさりと逃げられる。
他に何か目的があるとしか思えない。
「そんな心配そうな顔をしてもしないさ」
逃げることに対して言われたのか、箸で襲い掛かる想定をしたどちらに言ったのかは分からない。
そういえば家でこんな風に誰かと話したのは、料理を食べたのはいつだったか。
彼女と他愛のない話を続ける…と言ってもこちらの一方的な話だ。
仕事のこと、家族の事。今まであった面白い出来事など。
「僕の父はあの博物館の館長でね。だから割と自由にさせてもらってるんだ」
僕の頭の中ですら整理されていなかった内容が、取り留めもなく出てくる。
もしかしたら僕はずっと僕のくだらない話を誰かに話したかったのかもしれない。
他人が聞いてもつまらないであろう話を彼女が相槌を返して丁寧に引き込んでいく。
…そんな日が続いていく。
そして穴にボールが吸い込まれるように、落ちていく。
四日目、彼女が仕事場に来て、動物の剥製の様子を見てから、凜ちゃんの"処置"の工程を見ている。
五日目、今日も彼女が仕事場に昼ご飯を持って来て、一緒に食べた。
何かがおかしい。
六日目、十日目と同じ生活が続いて、十二日目。
とてもくだらない理由で、違和感の正体に気が付いてしまった。
箸を落とした。
連日の作業で指先が疲れてしまったのだろう。
からん、と落とした箸を落とした音が談笑していた中に響いて机の下をのぞき込んで取る。
それ自体には何も問題はない。
問題はそのあとだった。
からん、同じ音が彼女の方から響く。
当然同じように、彼女も机の下に箸を拾いに来る。
それもおかしくはない。
顔を机の上に戻す。
…彼女も同じく。
…そして気が付いた。
彼女の引き込まれるような瞳の先に、全く同じ姿勢の僕がいたから。
違和感に気が付くと、初日から感じていた違和感の正体にも気が付いた。
楓ちゃんと凜ちゃんを追いかけている際の違和感、それは二人が全く要所要所で動きをしていたこと。
同じように笑い、歩幅もズレず、視線を向ける先も殆ど一緒。
鏡映しのそれが奇妙に見えたのだ。
起きるタイミングも、呻き声も同じ文言。
怯え方もまるで一緒。
欠けたピースが合わさるように、ようやく楓ちゃんという物の奇妙さに気が付いてしまった。
「…気が付いた?」
「なんのために?」
口を開こうとして絶句する。
僕はまだ疑問を何も言っていない。
なんのために?とは僕はまだ口にしていない。彼女が言ったのだ。
「今から案内してくれないかい?君の"博物館"。あっちにあるんだろう?」
言葉が出てこない。
だが間違いなく、言葉を誤れば致命的だと分かる。
「わか…った」
怖い。何が怖いって欠片も怖くないところがだ。
僕の中に広がるのは安心。安堵、安寧。
逸ることもなく、ただ車を動かす。
彼女は助手席に座ってじっと僕の方を見ている。
何度目かの彼女を運ぶ作業。
でも不思議ともう終わる気がした。
「これは神崎颯人君。あっちは榎本夏希ちゃん」
軽く永遠となった彼らの紹介をする。
ここに至っても、楓ちゃんの表情はまるで読み取れず、"処置"した他の子たちを見ても特段の感慨はなさそうだ。
「彼女はなんで笑ってるか分かる?」
榎本夏希ちゃんだ。
大学生で、仲が良かった彼女。
「そりゃあ。楽しかったから…だろう?」
笑顔な理由なんてそれ以外ない。
彼女は僕と質問を兼ねた何度かの外遊の後、睡眠薬を盛った後、薬を動脈に打った。
あの時の事は忘れられない。
「なにがだい?」
「何がって…」
あの時の会話は確か…。
「楽しかったです!"また"来年、来ましょう!」
冬だった。正月の。
彼女は来年就職活動だったから、それの祈願に行きたいからってことで一緒に出掛けたはずだ。
「なにが…何がだ…?」
分からない。
今まで考えてこなかったが、おかしいじゃないか。
睡眠薬と言っても決して即座に意識を奪うようなものではない。
あくまで眠気を出したり、眠りを深くするためのものでしかない。
仮に飲み物を飲んで急に強い眠気に襲われれば睡眠薬を盛られたと思ってもおかしくはない。
死後硬直が働いたとしても、その状況で笑顔なのはどう考えても…。
「まぁ良いよ。悩ませるのが目的じゃあないしね。で、この子は?」
説明文のまだ作っていない、つい二週間ほど前に完成させた少女の姿を見る。
「彼女は鈴木紗枝だ。この間"処置"が終わった子だよ」
「ふーん。説明文がないのは?」
「この子を終わらせた後にすぐ君たちに出会ったから…時間がなくて」
思いつかなかったのも事実だが、忙しくて手につかなかった。
「へぇ…私はてっきりもう標本として見れなくなっちゃったからかと思ったよ」
「は…?」
何を言っているんだ。
彼女たちは永遠だ。永遠に標本として存在しつづける。
劣化も、腐敗も、時間すら管理しつづける限り永遠だ。
永遠のはずなんだ。
「何を根拠に!」
叫んだ声が地下室に響いて少しの沈黙の後、冷静さを取り戻す。
「…そう思う根拠を教えてくれ」
「説明文だよ。最初は状態は安定している。変化は確認されていない。お手本みたいな標本の文言だ。これは別に普通。 二人目の榎本さんは少し毛色が違う。少しずつだけど主観が漏れてきてる。象徴するようにって書いてあるけれど、これはたぶん彼女の事でしょ?本来の意味ならよく笑う彼女を象徴するように、って書いてる。でもおかしいよね?ここが本当に"博物館"ならだれでも分かるように書く、でしょ?」
何か言い訳じみた言葉を出そうとして詰まる。
「標本がない子があるから何とも言えないけれど…もしかして、だけど鈴木紗枝は貴方のお知り合い、かな?」
口を開いては閉じる。
言葉を出そうとして詰まる。
不味い。不味い。
「これも聞いておこうかな。貴方はどうして標本技術員に?」
「それは…」
博物館で働いていた父の影響もあるが、一番は母の影響だ。
母は綺麗な人だった。
昔は水商売などをしていたらしいが、客だった父と結婚し退職。
それでも母は優しく、僕を育ててくれた。
…それが狂い始めたのは、僕が小学生のころだった。
母が歳を取ったのだ。
勿論母は綺麗だった。
それでも増えていくシミや皺を見るたびに、憂さ晴らしするように僕を殴った。
それで母は言ったのだ。
『あんた何てあいつに金を出させるために産んだだけだ』
母は自分を綺麗に着飾ることしか考えていなかった。
違うって言った。母は綺麗だと。
厚化粧なんてしなくても、ブランド物の服や小物を持たなくても。
僕が一番綺麗だと思ったのは…。
「優しくしてくれた母、だろう?」
「…え?」
「私も暇だったからね。家を色々見たよ。アルバムだとか、部屋だとかをね」
勝手に見られていたことよりも、彼女の言っていた言葉の方が重要だ。
「今までさ、少し疑問だったんだ。なんで標本に拘るだろうってね。趣は違うけど保存するならプラストネーションでも、ホルマリン漬けでもいいわけでしょ?でもそれにチャンンジした痕跡すらまるでなかった」
そうだ。僕はなんでか自然と剥製にするって決めた。
標本と言っても多岐にわたる。剥製はそれの一種類に過ぎない。
「それは…なんで?」
自分のことながらまるで分らない。答えがない。答えられない。
「"中身"を捨てるから、だろう?」
何も言えなかった。
否定することも、肯定することもできずに、自分が立っている、世界の輪郭すら見失っていく。
「君は本当は気が付いているんだろう?君が保存したいのは見たいものは剥製じゃあ保存できないって。これは別に物質的な話じゃあなく、君が本当に残したかったのは美しく優しかった"母"でしょ?」
視界が徐々に歪んでいく。
まるで何もできない。
動けない。指先から力が抜けてただ立っているだけで億劫になっていく。
「君が一番大事に思っている、いたのは剥製で残る見た目じゃなく、中身だって気が付いてる。いや気が付かされたのかな?榎本さんに。君は彼女が笑顔だった理由も本当は分かってる。でも認めたくないんだよね?見てしまったらその瞬間から貴方は人殺しになるから」
「違う!!!知らない!!」
違う、知らない。
僕にそんなの分かるわけがない。
「彼女が笑顔だったのは、貴方がやっていることを知っても受け入れたから、自分の結末を知っても笑ったから。本当は睡眠薬の量が少なかったんだろうね」
「ちが、違う」
違うはずだ。
彼女に薬を刺した時にぴくりと動いたことは気のせいだ。後出しだ。
言われたことに勝手に記憶が整合性を取ろうとしているだけだ。
「じゃあなんで"彼ら""彼女"って人間への呼び方を使うの?どうして名前まで残しているの?」
違う。彼らは永遠で…永遠の…"人間"の標本のはずだ。
だから夏希ちゃんの後に名前を付け始めたとか、説明文まで作り始めたとかは違う。
全然違う。楓ちゃんの言っていることはまるで的外れだ。
否定したくて上げた視界には、僕が映っている。
あぁ。また気が付いてしまった。
凜ちゃんが唐突に死んでしまった理由も、楓ちゃんがなぜ僕の真似をしていたのかも。
「そうだよ。私は君とは真逆。中身の方が大事だと思っててね」
「別に悪気があるわけじゃないんだけど、貴方にはわかる?」
会話にならない。
いや会話の必要性が失せていく。
声が音にならなくても理解される。
「あぁ…」
僕は死ぬ。いやある意味不滅になる。
彼女の中で。損ねることなく。
彼女は僕だ。
「厳密には違うけどね。貴方を理解してるだけ」
なんで安心してしまっていたのか、今ならはっきりわかる。
彼女は否定しなかったからだ。
僕の事を。
保存するだとか言って、好きだった人の外見は守っても中身は守らなかった僕も。
どれだけ必死に作業をしても、人を"殺しても"結局は痛みを誤魔化す麻酔にしかならなかった僕を。
そしてそれに心のどこかで気が付いていても誤魔化した僕を。
彼女は一度だって否定しなかった。
それどころか、僕を模倣して…。
「理解した」
彼女が言った。
もう僕は終わる。
もう僕は自分を保てない。
もう人殺しだって気が付いてしまった。気づかされた。
もう生きていたくない。
「最後に一個だけ…」
「凜ちゃんならちゃんといるさ。安心して?ちゃんと終わらせるから。貴方が居ればね」
僅かに残った懸念点すら見透かされている。
「じゃあね」
僕の選択を見守るように彼女が言った。
それが僕が見た彼女の最後の姿だった。
でも彼女から見ればきっとこれは最後じゃない。
ひっそりと鬱蒼と生い茂る山にまで車を走らせる。
車を近くで捨て、輪っかを作って頑丈そうな木に縛って体重を乗せる。
窒息して締まったせいなのか、傍らにいた優しかった誰かの姿をそっと見た気がした。




