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ウィタミーキスの探命日誌  作者: MasauOkubo
生き、捕える網は地下に
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自主判断:ラーディの身柄保護

 俄かに騒々しくなった深夜の工業区画へと、リーピはひとり向かっていた。


 ポーム宅にて、ポームの身体に宿っていた菌糸へ滅菌剤を注入し枯死処分を行った後、駆けつけてきた警邏隊員たちに状況説明を行った後、リーピは即座にその場を離れたのだ。


 警邏隊員たちからは、事情聴取と現場での滅菌処理を待つようにと告げられていた。本来、自動人形たるリーピは、明確に与えられた指示内容に反する行為は原則的に行わない。そのため、警察本部へと状況報告を行うために引き返していった隊員たちの帰りが遅くとも、指示された位置で延々待機し続けるはずであった。


 だが、今のリーピは、その原則から外れる行為を選択していた。


「乱闘によるものと推測される騒音が聞こえます。急がなければ。」


 多数の菌糸罹患者と、事態鎮圧のため出動していった警邏隊の衝突が起きていると思しき工業区画。


 その渦中に相棒たるケイリーも居るのだが、リーピは彼女の心配をしてはいなかった。ケイリーの身体パーツ性能であれば大抵の状況は乗り切れるだろうし、また警邏隊の戦力から離れず行動を続ける判断も彼女は過たず行うだろう。


 リーピが向かっている先は、ラーディの居所であった。彼女の自宅は、工業区画の只中にあるのだ。


 幸いなことに、まだ騒動は彼女の自宅付近まで波及していない。とはいえ、錆びかけた鍵だけで玄関を施錠する古い団地の一室は、安心して籠っていられる部屋ではあるまい。


「騒動自体に巻き込まれずとも、この騒動に乗じて菌糸感染を拡大させようとする罹患者が現れる恐れもあります。菌糸罹患者への対処も想定しておくべきです。」


 またしても、本来の自動人形では不要な独り言を実行しつつ、リーピは自身が最適な判断を下していることを確認していた。


 命令に従って行動するという自動人形の原則は思考回路内から除けないが、自主判断で行動しなければならないのが現状である。自身の口から発され空中を伝達する声を、あらためて聴覚受容器で受け止めるプロセスが、自分に対する命令執行のごとき処理となっていた。


 靴工房からほど近い、古びた団地の階段へと足を掛けた時、リーピは階上から聞こえてきたノック音で一瞬足を止めた。


 穏やかな訪問者を告げる音ではない。


 乱暴に、ガンガンガンと玄関扉を叩き、室内の者を威圧的に呼び出さんとする音だ。


(急いだのは正解でした。)


 むろん、そのノック音が、この非常事態に住民を気遣う意図をもって為された可能性は皆無ではない。


 現に、扉を叩く音に続いて、室内へ呼びかける男の声も響いてきていた。


「開けてくださーい!工業区画内で火災が発生していまーす!今すぐ玄関から出てきて、避難してくださーい!」


 だが、その言葉に明確な虚偽が含まれていることが、穏当ではない意図を有する発言である事実を明瞭に示していた。


 確かに火災であれば巻き込まれぬうちに逃げなければならないが、今のところ確認できるのは警邏隊と罹患者たちの乱闘だけである。もしかすると、この騒動の中で火災を引き起こすような目論見も罹患者側にあったのかもしれないが。


 虚偽に基づいて避難を呼びかけ、玄関扉を開けさせようと執拗に要求する声を、ラーディが信用しなかったのは正解だった。


(声が聞こえてくるのは……ラーディさんの部屋がある階からです。)


 リーピは階段を迅速に駆けあがっていったが、足音を忍ばせる必要はさほどなかった。


 目的地、すなわちラーディ宅の玄関扉を叩いている菌糸罹患者自身が、激しくノック音を連打し、また大声を上げ続けていたためだ。


「危ないですよ!部屋の中にいたら、火災に巻き込まれますよ!すぐに出て来たほうがいいです!このままでは、助かりませんよ!」


「火災は発生していません。」


 背後からリーピの声による返答を聞いた菌糸罹患者の首筋には、既に滅菌剤注入器が刺さっていた。


 背中に組みついてきていたリーピの身体を慌てて振りほどこうとした罹患者の肩の骨が、内部で脆くボキリと折れる。彼の腕の付け根は、曲がった形のままひび割れて腕全体が脱落し、階段踊り場の床に落下すると同時に乾燥した表皮の破片が飛び散った。


 あまりにもあっさりと崩壊していく自らの体に呆然としている罹患者へ、リーピは無表情のまま告げた。


「先ほどまで扉を叩いておられた運動量および発声にて、相当量の養分を消耗してしまっていたようですね。滅菌剤の効果が即時に現れるのは必然です。」


「人形……め……。」


 既に掠れ切った声を喉の奥から押し出しながらも、もはやその菌糸罹患者はひび割れた顔面の表情を憎悪へと動かす猶予もなく、渇き果てて倒れ伏した。


 リーピは抜き取った注入器の内部を開け、残留していた粘液タイプ滅菌剤を自分の掌に垂らし、ハンドクリームを延ばすようにしながら腕、服の表面にも塗っていく。特異菌糸は空気感染しないとはいえ、今すぐラーディと顔を合わせる以上は念入りに滅菌処理を済ませるべきである。


 ……それにリーピは、ポームの姿をした菌糸罹患者と、つい先ほど密着してもいたのだ。


 罹患者が完全に枯死したことを確認したのち、リーピは扉をノックせず、ただ声を掛けた。


 玄関扉の表面には幾度も殴打した痕跡が刻まれており、これ以上のノック音は室内のラーディに無用のストレスを与えるだけと判断したのだ。


「聞こえていますか、ラーディさん。僕はリーピです。現在、工業区画において多数の菌糸罹患者と警邏隊による衝突が発生しています。あなたの無事を確認しに参りました。」


「あ、あぁ、よかった、その声、リーピさん、来てくれたんですねぇ。さっきまで、変な人がずっとウチの玄関を叩いてたんですけど、どうなりました……?」


「彼は菌糸罹患者でしたので、滅菌処理を行い枯死させました。現状、視認できる限りは安全が確保されています。」


 むろん、声色や、声の発される位置の低さから、玄関扉の前に居るのがリーピであることは充分に確信できていただろうが、それでもラーディは恐る恐る扉を開け、その細い隙間から外の様子を覗くのが先であった。


 リーピの姿を見て安堵の表情を浮かべたラーディは、直後、床に転がっている菌糸罹患者の残骸を見てギョッとした後、蒼ざめた顔でへたり込んだ。


 そもそも倒れている人間の姿自体を見る機会自体がなかったろうし、ましてやボロボロに朽ちた状態で転がっている人体などとても見慣れるものではあるまい。今後、菌糸罹患者の増加状況次第では、嫌でも見慣れる羽目になりかねないが。


 彼女が貧血で倒れかけているのではないかと危惧し、案ずる言葉をリーピはかける。


「視界は明瞭でしょうか?僕の声は、聞き取れていますか?」


「す、すみません、大丈夫です。なんか、安心したような、衝撃を受けたような感じになっちゃって。」


「申し訳ないのですが、お手をお貸しできません。先ほど僕自身の表面に粘液タイプ滅菌剤を塗ったため、直接触れられるとラーディさんの手に肌荒れを引き起こす恐れがあるのです。」


「構いませんよぉ、自分で立てますから。」


 ラーディが眼前の状況にショックを受けていることはリーピにも理解できたが、しかし彼女をこのままにしておくわけにはいかない。


 安心を与えるためにも、リーピは自らが判断した具体的な方針を口早に告げた。


「この罹患者が口にしていた『火災が起きている』との報告は虚偽でしたが、しかし避難すべきことには違いありません。現在の混乱状態に乗じて、また別の罹患者が感染拡大のため侵入を試みてくる恐れがあります。探命事務所へお連れします、あの場所ならば万が一の立て籠もりにも適しますし、そも夜間に無人となる事務所を狙って罹患者が現れることもありません。」


「で、ですね、また、誰が来るか分かりませんし……あっ、貴重品だけ、持ってきていいですか?」


「すぐに持ち出せるものだけにしてください。」


 リーピは、アパートの階段の上下に聴覚受容器を澄ませながら返答した。今の菌糸罹患者が単独行動していたからこそ良かったようなものの、こうしてラーディ宅の玄関を開いている時に別の罹患者が襲撃してくる恐れには留意し続けねばならない。


 とはいえラーディの身支度には、さしたる時間もかからなかった。


 彼女が言うところの貴重品とは、現金や証書の類ではない。一冊のスケッチブックと、小脇に抱える程度の紙箱であった。


「他のものはいいんです、ちょうど靴作りの材料も消費して、買い込む直前でしたし。けど、このデザイン案を描き溜めたスケッチブックだけは手放せませんからねぇ。」


「そちらの箱も、持参しなければならない必要があるのですか?」


 リーピが指さす先で、ラーディは紙箱を大事そうに抱えていた。スケッチブックは肩から下げるための紐が通っており、走る必要がある状況でも背中に回せば邪魔にならない。


 しかし持ち手も無く、身体から提げるための紐もついていない箱は、抱えて移動するあいだ両手が塞がる。


 とても避難行動には向かない品であったが、ラーディにとってはアイデア帳に並んで重要な物品であった。


 ラーディにとって大切な相手のための品でもあった。


「はい。ようやく完成したんですよぉ、ポームさんのために作ってた靴が。」


「……。」


「仮製作の靴を履いてもらった時点で、ポームさん、すごく嬉しそうにしてくれましたからねぇ。私も靴作りに熱が入って、いつもより短期間で完成させちゃいました。ポームさん、喜んでくれるといいんですけどねぇ。」


 リーピは無言のみを返していたが、ラーディはその沈黙に不自然さを見出しはしないようであった。


 もとより人同士の距離感をはかるのを苦手とするラーディが、会話の間の大きさから察することは不可能に近かったし、そもそも自動人形が喋らないということは通達すべき情報も無いと判断されて本来差し支えない。


 階段踊り場に倒れ伏している罹患者の遺体を視野に入れぬよう部屋を出た後、一応ラーディは玄関を施錠したが、それでも不安げに錆びかけた扉を振り返っていた。


「私が居なかったとしても、無理やり踏み込まれませんかねぇ。どうせ、余っている靴の素材と、食器と服ぐらいしか置いていないんですけど、盗まれたらちょっと困ります。」


「仮に侵入を試みようとする他の罹患者がここに到着しても、枯死処分を下された遺骸がすぐ傍に倒れていれば、警邏隊員の巡回を警戒し接近自体を断念する可能性が高いです。」


 まさにラーディが目を背けていた、罹患者の朽ち果てた体を指さしながら、リーピは答える。人の住処の近隣にあるべき物ではないとはいえ、現状においては少々物騒ながらセキュリティを担いうる遺骸であった。


 リーピに先導されてアパートの階段を降り、人気のない深夜の街路を進む間も、周囲に警戒の視線を向けるリーピの傍らでラーディは靴を収めた紙箱に視線を向け続けていた。


 この異常事態でも、一番思い入れのある製作物を持ち出せたことが、ラーディにとって何よりもの僥倖であるらしかった。


「そういえば、リーピさん。」


 工業区画から離れ、リーピ探命事務所のある雑居ビルが見えてきたあたりで、ラーディは口を開く。


 自分が返答を避けてきた内容を問われる可能性に、リーピは最優先で警戒したのだが、直後のラーディの発言を止める術などなかった。


「ポームさんは、ご自宅に居るんですか?いつも一緒のケイリーさんの姿もありませんけど、ポームさんと一緒ですかね?」


「……はい。」


 リーピは、嘘を吐いた。


 積極的に選択した、嘘であった。自動人形の思考原理を、明確に逸脱していた。


 この選択を、リーピは今しがた構築した合理性によって強行していた。ポームが既に菌糸罹患者となっており、既に枯死処分を済ませたという真実を告げれば、ラーディに耐えがたい精神的苦痛を与えてしまうだろう。聞いた場で、歩を進められず、地面にへたり込んでしまうかもしれない。


 もはや探命事務所は目の前である。この路上で立ち止まり、菌糸罹患者に目をつけられる危険を冒すよりも、避難に適した場所に到着した後で虚偽を詫びる方が理に適っている。


 当のラーディは、やはり会話においては鋭敏さを発揮することもなく、常ののんびりした調子で喋り続けていた。


「せっかくだからポームさんのお宅で私もお泊りしようかと思いましたけど、流石に狭いですかね。それに、私を狙ってる罹患者さんが追いかけて来てたら、ポームさんに迷惑を掛けちゃうかもしれませんし。」


「今は事務所内へと急ぎましょう、ラーディさん。……外のことは、ケイリーに任せておいて問題ありません。」


 かろうじて嘘ではない、しかし実態の詳細を避ける内容でリーピは返答し、ラーディを連れて探命事務所へ向かう雑居ビルの階段を上がっていった。


 ラーディは、もはや受け取り手のいないオーダーメイドの靴を収めた紙箱を、大事そうに抱え続けていた。

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