依頼27:個人顧客による感染調査依頼 2/2
ソントが特異菌糸罹患者であることが明白になったとはいえ、リーピとケイリーは真相に気づいたそぶりを見せるわけにはいかない。
自分たちが主に為すべきは情報収集であり、菌糸罹患者の確保および現場の滅菌作業を行うのは、警邏隊や特殊清掃局の仕事である。さすがに目の前で菌糸罹患者の逃亡を静観するわけにはいかないが、直接確保に動くのは最終手段である。
まだ相手が何にも勘づいていないうちに、菌糸感染が、いつ、いかにして発生したのか、判断材料を得ることが優先であった。
カビの生えた壁紙を丁寧に剥がす作業をケイリーは黙々と進めている。やはり現時点でカビが残っている箇所には雨漏りの痕跡も、その元凶となる損傷も見出されなかった。
ケイリーの作業を見守りながらも、リーピは喋る。
「雨漏りでこれだけのカビの繁殖が発生してしまうのは、湿気が充満しがちな部屋ですね。お住まいの間、健康面に問題はありませんでしたか?あなたや……あるいは、ご家族もいらっしゃいますかね。」
「えぇ、どうにか。今は自分と妹の二人暮らしですが、共に病気には罹っていません。昔から貧乏なもんで、多少不潔でも体調を崩さないあたり、耐性がついてるんでしょうね。」
「なるほど、妹さんとご一緒なのですね。道理で、食器類などが独り暮らしにしては多く見えました。……すみません、今回の補修作業には関係の無い話ですね。」
「いえいえ、雑談をしていただければ気も紛れます。自分ひとりだと、こうして黙々と書類に目を通すだけで休日が過ぎますから。」
書類内容を確認するのならばむしろ雑談は邪魔であろうに、ソントは好意的な返答を口にした。
特異菌糸に感染した者は、抵抗する必要性さえ無ければ穏やかな反応を返すことが多い。以前、プロタゴとアリシアが特異菌糸罹患者となった際も、元々横柄な性格だった彼らは物腰柔らかな言動を示していた。
それは、感染を悟られることなく人間社会に適応、浸透し、対策される前に可能な限り感染を拡大させようとする、特異菌糸の知性が為す振る舞いだ。
厄介な性質ではあったが、感染の事実に気づいていないふりを続けていれば、雑談を通じて情報を聞き出す好機にもつながった。
「鍋など調理器具の類もいくつか出されていますが、妹さんがお料理を為されるのですか?」
「いえ、料理は僕が担当しています。妹には、通学や勉強に専念してもらって、将来いい仕事に就いてもらいたいので。」
「てっきり、お兄様であるソントさんが仕事に専念されているのかと考えておりましたが……ご立派です。」
「そんな、男料理ですから、手の込んだものじゃないですけどね。ウチの一家は肉体労働の家系みたいになってまして、今まさに僕も解体現場で働いていますけど、キツい仕事ってのは身に染みてるんで。妹にはちょっとでも楽な人生を送ってもらいたいんです。」
ソントの発言を、リーピは感心したように頷きながら聞いていた。
が、このやり取りの中にも、既に実情と食い違っている内容が含まれていた。
まず、ポームは義務教育を終えてすぐに工場勤務を始めているため、現在は通学していない。粉塵による健康被害で父を喪った際、労災を認めなかった製剤会社からは正当な賠償金が支払われなかった。兄妹だけで生計を立てるとなれば、働かずにいられる余裕などない。
また、普段料理を担当していたのは妹であるポームである。
きつい肉体労働を終えて帰ってくる兄に、帰宅後すぐ調理を開始する余力など残っていない。それが近日になって急に、人が変わったように自ら料理を振舞おうとし始めたのも、兄へと大いに違和感を覚えた要因だ……とポームは語っていた。
これは特異菌糸の感染機会を増やす行為であると思われた。
空気感染しない特異菌糸は、湿度や養分の保たれた状態で直接人間の体内に侵入しなければ感染しないのだ。気味悪がったポームが、兄の手料理に口をつけなかったのは正解だった。飲食物には、確実に特異菌糸が混ぜ込まれていただろう。
リーピには、他にも情報を引き出し得る当てがあった。壁紙を剥がし終えた箇所の天井をチェックしているケイリーのため、照明の光を当ててやりながらリーピは喋り続ける。
「僕ら自動人形では感じることの無い疲労ですが、やはり現場労働は相当に厳しい仕事なのですね。」
「えぇ、もちろん解体現場でも作業用自動人形さんが導入されることはあるんですけど、人形は破損した時に中から菌糸が漏れちゃうリスクが致命的ですから、人間の作業員は今後も欠かせないんです。それに、人形が担当するってなると作業の安全性が緩んじゃう危険もありますし。」
「なるほど、誰かがやらねばならない、社会に欠かせない人間の仕事なのですね。ソントさんは、ずっと解体現場でのお仕事を続けておられるんですか?」
「ですね、ただ文句を言わないで黙々働いてるってだけですけど、おかげさんで解体現場一筋、給料もじわじわですが上がってきてます。こうして書類をチェックする仕事も回って来てますし。」
ここでも、ソントの発言は事実と異なっていた。
もともと、彼は建設作業員として働いていた。現場で生計を立てると共に経験を積み、将来的には資格を取って建築士となる計画もあった。
が、兄妹ふたりで生きていかねばならなくなり、より給与が高くなる解体現場での仕事に専念するようになったのは最近のことである。解体現場は建築現場以上に危険性が高く、健康被害のリスクもあるのだ。
解体現場一筋で働き続けてきた、というのは間違いであった。
……そもそも、今まさにテーブル上に広げているのは、次の現場での見取り図ではない。建築士となる資格取得を目指していた頃、かつてのソント本人が集めた設計図等の資料である。
特に補修すべき傷も見つからなかった天井へ、あらためて壁紙を貼り直すケイリーの脚立を支えつつ、リーピは会話を締めくくる。
「では、今回は雨漏りを防ぐ応急処置のみ実施いたしましたので、壁紙も新しいものに貼り替えさせていただきまして、本日の作業は以上となります。壁紙は、元と同じものを極力選びましたが、支障はありませんかね。」
「はい、問題ないです、他の部分が汚れすぎてるせいで新しい壁紙だけ若干浮いてますけど……もとよりボロアパートなんで、気にしないです。」
ソントは視線を上げ、ケイリーが脚立を下りて施工を終えた後の天井を見つめ、満足げに頷いている。
本来は、勝手な壁紙の貼り替えは原状回復の義務に反する行為のため、情報収集の目的で部屋に入ったリーピ達が本来必要ない施工を行った結果となれば、問題ないわけがない。
だが……間もなく、この部屋は特異菌糸による汚染現場として特定され、特殊清掃局が滅菌剤の散布を行うことになるのだ。
工具類を片付けて立ち上がり、リーピとケイリーは共に頭を下げる。
「本日は保全作業にご協力いただき、ありがとうございました。また雨漏りが酷くなるようでしたら、アパートの管理会社の方へまずご連絡をお願いしますね。」
「そちらも、ご苦労様でした。」
玄関の扉をあけてリーピとケイリーが出ていく時も、ソントは席についたまま立ち上がろうとはしなかった。すなわち、彼は玄関扉を施錠していない。
その理由は、扉を閉めきる直前に垣間見えた。
ソントの足元、テーブルの下に、彼の片足がひび割れて転がっていた。特異菌糸が生存するうえで、養分及び水分を大量に消費してしまう性質ゆえの結果だった。
身体の末端部分から乾燥して菌糸が枯死していくのは、これまでの特異菌糸罹患者たちと共通している。
テーブル上に書類を広げていたのは、仕事のために席から離れられないという体裁を整えるためなのであろう。ソント、いや彼の肉体に宿った特異菌糸の意図は、いよいよ歩けなくなる前に状況を整え、妹が帰宅してくるのを待って彼女に菌糸を感染させるつもりだったのだろう。
あるいは、雨漏りの補修工事に訪れた作業員が人間であれば、そちらを標的としたかもしれない。今回は、リーピとケイリーという自動人形二体であったため、その策は断念されたが。
対象が逃げられないことは確実であったが、リーピはアパートの階段を下りてすぐの位置にて、公衆通話機からの通報を行った。
「菌糸汚染の発生を確認しました。場所は工業地区内のアパート、第三棟の205号室。特殊清掃と警邏隊の出動願います。」
「了解した。通報者は現地に居るか?」
「はい、現地です。衣服に菌糸が付着している可能性があるため、この場で滅菌処理を待ちます。罹患者は移動困難な状態ではありますが、それ以前にアパートを出入りしているため、通路にも念のため滅菌剤の散布が必要です。」
自動人形同士の通話はごくスムーズに済んだ。
リーピと並んでケイリーもアパート入り口で特殊清掃の到着を待ちつつ、今回の件について推測を述べ合っていた。
「生前のソントが建築士を目指していたことを知らなかった、ということは……特異菌糸が彼の身体に侵入したのは、ごく最近のことか。」
「えぇ、十分に知識を蓄える猶予があれば、あのテーブルに広げていた書類が解体現場の図面ではないと気づくことも出来たでしょうし。おそらく、市長邸宅の解体現場にて感染したものと思われます。」
以前、市長邸宅に隠されていた地下室にて、特異菌糸罹患者である市長夫人と接触したリーピとケイリー。
地下室の入り口には他の作業員が近づかぬよう声を掛け、発見後は速やかに滅菌剤散布を行ったものの、完璧な密閉状態が保たれていない状況では、やはり感染を防ぎきることは出来なかったのだ。
「だが特異菌糸は、生存に多量の水分と養分を要し、空中では枯死してしまうため空気感染しないはずじゃないか。ソントの理性的な言動を見るに、既存菌糸ではあり得ないし……。」
「おそらく、土壌からの感染ではないかと思われます。あの地下室は扉や部屋の周囲に隙間が空いていましたから、室外の地中へ特異菌糸が進出することは容易です。そして、解体作業員は作業服や手袋、マスクを着用しているとはいえ、完全に土に触れずに作業を終えることも困難でしょう。」
「ということは、市長邸解体現場で働いていた作業員の全員に、特異菌糸罹患者となっている可能性があるんじゃないか。」
「警邏隊、および市長……いずれ新市長となるフィンク議員へ、早急にお伝えすべき事項です。」
特殊清掃の到着を待つ時間も、無駄には出来ない。ふたたびリーピは公衆通話機の受話器を手に取り、交換手にフィンク議員の呼び出しを頼んだ。
既存生物に感染した場合は数日で養分を吸い尽くしてしまう特異菌糸も、広大な地中であれば、その内部で生きている膨大な量の微生物、虫類も含めた養分を吸って生存し続けられる。
人間同様の知性を構築することは困難でも、土壌にひとたび入り込めば、比較的長期間にわたって自己保存することは可能なのだ。市長邸宅の解体現場にいた人間、全員を追跡して調査する必要性は既に見出されていた。
漏洩後の特異菌糸が生存し続けぬよう、モース研究主任が意図的に与えた生態上の欠陥も、事ここに至って克服されつつある。
通話機の接続を待ちつつ、リーピは更なるリスクに気づいて口を開く。
「大規模な特異菌糸の感染が発生した場合、その土地の土壌にも警戒を向けねばならなくなった、ということになります。」
「この場所は……大丈夫だろうか、経年劣化はしているが、一応地面は舗装されているし……。」
「富裕な地区とは違い、街路樹や植え込みが造られていない分、菌糸が土壌に入り込む余地は少ないでしょう。僕が今最も警戒を向けているのは、製剤会社内部の状況です。」
リーピに言われて、ケイリーも思い出した。
巨大企業の城下町、従業員の住宅街も含めて一つの要塞のごとき様相となっていた、製剤会社。
あの敷地内の大部分を占めているのは、むろん滅菌剤の生産ラインであったが、居住区画には街としての体裁を保つように植え込みや花壇が用意されていた。従業員を敷地内に閉じ込めている感を消すように、見栄えだけでも整えられていたのだ。
その地中に、かつて本来の従業員たちを全滅させた特異菌糸が潜んでいたとしたら……あとになって、滅菌剤の生産ラインを独占しようと敷地内へ入りこんだ市長一派にも、被害が及ぶのではないか。
フィンク議員が、なかなか市長からの返答が来ないとぼやいていたことも鑑みるに、その懸念は殊に現実味を増していった。




