#20「 英語/授業形式の限界」
まだ大学受験のシステムをイマイチ分かっていない人に言っておこう。「大学受験は英語で決まる。」これは紛れも無い事実である。なぜなら大半の大学は英語だけ配点が高いからだ。英語は150点満点で後の科目はは100点満点なんてのがよくある。そのため予備校は英語の授業が細かく分かれている。文法、語法、解釈、長文、私大向け長文、英作文となっていた。正直ここまで細分化する必要があるかは分からないが、1つ1つの授業はよくできていた。特に私大向け長文の講師は話したことはなかったが、一年間にわたっていつも勇樹の疑問に答えてくれた。つまり、その講師は「生徒はこの時期はこんなことで悩んでいる」というアンテナが発達していたということだ。この講師以外の人もいい人が多く、英語の講師の質は高かったように思える。が、結局の所、この人たちに救われたということはなかった。というより、ここまで授業の話をしてきたが、誰1人として勇樹の成績向上には役立たなかった。それは講師が悪いのではなく、勇樹に問題があるのだろう。つまり、何が言いたいのかというと、どんなに良い講師が教えてくれたとしても、受ける側の姿勢次第では全く役に立たないこともあり得るということだ。小学校から高校までの一方通行の授業形式や学校じゃなくとも塾の授業で成績が伸びた人は良いかもしれない。しかし、勇樹は基本、塾で伸びたことがないタイプの人間だった。では、このような人は諦めるしかないのか?違う。
自学自習だ。結局これが全てだったと勇樹は2学期以降に知ることになるのだった。




