4―4 孤独だった英雄は
――間に合わない。
――死ぬ?
―――アリア――
様々な判断と感情が断片的にレインの脳裏に浮かび。
轟音が第一闘技場に響き渡った。
「……………………」
これまで幾人もの死を見てきた。死を看取ってきた。死を与えてきた。因果応報というものがこの世に存在するならば、自分は一体どのように死ぬのだろうとずっと考えていた。
その答えが――これか。
思っていたよりもずっとあっけないものだなと、レインは肩透かしをくらったような気分になった。痛みも感じないし体の感覚に異常はない。最期を悟って時間感覚が狂っているのだろうか。
視界を染める血飛沫を確かめるために、レインは瞑っていた目を開けた。
そのとき、レインの目に映っていたのは。
「……………………何で」
――ヘルビアの剣を受け止める、ここにいるはずのない三人の姿。
「助けるため、よ…………!」
赤髪の少女。
「これからも支えてもらわないといけないからね!」
金髪の少年。
「諦めるなって言ったのは、あなただから」
青髪の少女。
それぞれの神器を携えたアリア、アルス、シャルレスが、三人がかりでヘルビアの剣を抑えていた。
「「「〈顕神〉」」」
〈ヘスティア〉が、〈アポロン〉が、〈ミツハノメ〉が輝く。神器に秘められた力が解き放たれ、三人の姿が変化した。
「ちっ…………」
神器使い、それも〈顕神〉状態の三人の力には、さしものヘルビアも耐えられなかった。押し込むのは不可能だと判断したのかヘルビアが後退する。
距離が開いた瞬間にシャルレスのみが距離を詰めた。ヘルビアに残像だけを見せつけた後に〈無感心〉と“受心”の併用による認識改竄で姿を消す。“受心”は座標や大きさといった概念を持たないため、“破滅”で破壊することは不可能だ。
シャルレスに回り込まれれば挟撃を受ける可能性があるため、ヘルビアはさらに下がらざるを得ない。ヘルビアが舞台の端まで動き、レインたち三人から意識がわずかに外れたと同時、アリアとアルスも神能を行使する。
「〈響き渡る空間〉!」
まずはアルスが持つ神器〈アポロン〉の神能“鳴奏”。ヘルビア、シャルレスらと三人の間の空間を振動させ、エネルギー伝達効率のよい空間を形成する。
「〈焔の障壁〉!」
次いでアリアが持つ神器〈ヘスティア〉の神能“神之焔”。〈響き渡る空間〉によって爆発的に焔が広がり、舞台を二分する巨大な焔の障壁が完成した。
流れるような連携によって、レインは瞬く間にヘルビアの視界から外れていた。シャルレスは〈焔の障壁〉の奥にいるが、攻撃に向かわず姿を消して逃げ続ければ、ヘルビアとて容易に対処はできないだろう。
「レイン君、今のうちにこっちに! シャルレスさんが乗せてくれる!」
アルスに言われるがまま、レインはシャルレスが予め創っていた氷の板の上に乗った。アルスとアリアも同乗した直後、瞬時にシャルレスが現れ詠唱する。
「〈周辺隠匿〉……そして〈飛空氷板〉」
“受心”を用いて、レインたちを含めた周囲の一定空間を丸ごと隠蔽。シャルレス個人を隠蔽するときよりも精度は落ちるが、元々相手の視界から外れているこの状況であればその差は誤差と言って差し支えない。
さらに、〈ミツハノメ〉の神能“蒼淵”による水制御を生かした氷板が凄まじい速度で打ち出された。宙を駆ける板はぐんぐんと飛距離を伸ばし、ヘルビアを引き離す。
〈焔の障壁〉の高さを超え、舞台の逆半分が見えたとき、ヘルビアの姿が映った。幸いにも、こちらに気付いている様子はなさそうだった。
「これでひとまず時間は稼いだ。でも、ヘルビア相手では安心はできない。しばらくはこのまま空中で様子を見る」
シャルレスが事務的に告げる。確かに、下手に降りてしまう方が追撃を受ける可能性がありそうだ。加えて今のヘルビアは何をするか分からない。周りの建物などを巻き込めば、話はより面倒になってしまうだろう。
ここで三人はひとまず〈顕神〉を解いた。
「レイン君、動かないで。今手当てするから」
アルスが詠唱を始める。行使しようとしているのは高難易度の治癒術式だ。莫大な魔素と膨大な詠唱時間を対価に、物理的な外傷をほぼ完全に癒すことができる。
不幸中の幸いと言うべきか、レインが受けた一撃は単純な打撃だ。特殊な効果が付与された様子もなく、怪我さえ治ればまた自由に動けるようになるだろう。
「それで……お前ら、どうやってここに……?」
「夜中に武器背負って部屋を出るルームメイトがいたら追うに決まってるでしょ。それも、これみよがしに鞘に隠蔽魔法も使わないままでなんてね」
「間に合って良かったよ。アリアさんが僕とシャルレスさんを呼んでなかったら、助けに入るのも厳しかっただろうし」
「…………そうか」
アリアはあの時起きていたのだ。その上で、時間を置いて後を追ってきていた。二人を呼ぶのに多少時間がかかったために尾行が遅れたことで、レインも気付けなかったということか。
いずれにしろ、誰にもバレずに事を終わらせようとしたことがそもそもの間違いだったということだろうか。
「…………悪い」
他に言うべきことが分からずにレインはそう謝った。
「何が?」
返ってきたのはそんな言葉。
アリアが自分を見据えていることは分かっていた。それでも、レインは顔を上げることができなかった。
「その……皆まで巻き込んで、危険な目に遭わせることになった。本当は、俺一人でやらなきゃないことなのに――」
その時、突然レインの胸倉が掴まれた。ぐいっと体ごと引き寄せられる。
レインの顔のすぐ先にあったのは、見たこともないようなアリアの顔だった。怒っているような、悲しんでいるような、寂しそうな――そんな顔だった。
「アリア、レインはまだ治療――」
「私が用があるの。アルスは続けて。シャルレスは警戒をお願い」
冷静に指示を出しながら、有無を言わせない雰囲気をアリアは放っていた。シャルレスもそれ以上言うことはなく周りへと気を向ける。
面と向かった状態では顔を反らすこともできず、レインはアリアの顔を直視することしかできなかった。
「レイン。本当のことを聞かせて」
「…………」
「私たちは、あんたにとって邪魔?」
「な……そんな訳……!」
すぐさまレインは否定していた。自分が思うより早く言葉が口から出ていた。
もちろん、レインが否定することはアリアも分かっていた。レインが自分たちを疎んじていることなどあってほしくない。あるはずがない。
本当に聞きたいのは、次の質問なのだから。
「――なら、どうして私たちを頼ってくれないの?」
「…………!」
レインは言葉に詰まった。
「いつもそうだった。どんなことも自分で片付けようとして、自分で終らせようとして。自分を犠牲にしてでも私たちを助けようとして。……やっぱり私たちって頼りない?」
アリアは聞きたいのだ。レインの思いを。レインがアリアたちに対して抱える本当の気持ちを。それが分からないまま何かを手伝うなどできるはずがない。
つまるところ、アリアはレインを助けたかった。どれだけ幼稚で単純な感情だと言われても、「大切な人を救いたい」のだ。損得勘定や打算なしに、ただ純粋にレインを助けたかった。
「違う……違うんだ…………俺は…………」
レインは歯を食い縛り、小さく呟いていた。レインが抱える葛藤はアリアも分かっているつもりだ。だとしても今度は退かない。レインが意地を通そうとするように、アリアも意地を通そうとする。アリアにできるのはそれだけなのだから。
「……ずっと頑張ってきた。あの日“漆黒の勇者”に救われてから、ずっと頑張ってきたんだよ。いつかあの人を助けられるように……って……」
今でも目を閉じれば昨日のことのように思い出せる。まるで夜空のような寂しげな瞳を。孤独な英雄の姿を。
願って、願って、願って、やっとここまで来た。なのにまた“漆黒の勇者”はアリアを見てくれない。あの時と同じ、寂しげな瞳を瞬かせている。
それはもはや一種の無力感だった。憧憬の存在は、しかし自分を見てくれない。どれだけ近付こうとしても、同じだけ離れていってしまう。そんな事実が、ひどく悲しかった。
「ねえ、レイン……私って……やっぱり、弱いのかな……ぁ」
「―――」
いつの間にか零れそうになっていた滴をアリアは必死に押し止める。涙を流してはいけない。そんな姿を見せてしまえば、レインはまたしてもアリアに縛られてしまう。自分を理由に重荷を背負わせてしまうのはもう嫌だ。
「俺は……お前らに、関わってほしくない。もう誰も傷つけたくないんだ。俺のせいで……大切な人が巻き込まれるのは……もう…………」
レインは俯いたまま呟く。
アリアにもそんなことは分かっている。レインの優しさは、強さは、とうの昔に思い知っている。
それでもアリアは救いたい。レインが抱える苦しみを、せめて共有してあげたい。誰にも頼れない孤独さをアリアは知っている。レインの苦しみが自分の何倍のものなのかは分からないけれど、その孤独さだけはアリアにも想像できる。だから――
「誰も傷つかない」
――唐突に告げたのはシャルレスだった。
外に目を向け、ヘルビアを警戒しながら、シャルレスは語る。
「私たちは強くなる。強くなって、それぞれの願いを叶える。それまでは負けない。レイン自身がそうであるように。――違う?」
言葉足らずな文言の意味は、事実確認――いや、宣言だ。例えレインに巻き込まれたとしても、自分たちは誰にも負けないという宣言だ。
現時点で最強など口が裂けても言えない。だがいつかは。そう遠くない未来に最強に登り詰めるという宣言だった。
あまりにも真っ直ぐで傲岸不遜な言葉に、レインは反応することができなかった。だがそのとき、一人だけ。
「……ふふ、そうだね」
治癒術式の詠唱を終えたアルスが笑う。
「レイン君。君からすれば僕たちはまだまだ未熟に見えるかもしれない。壊れてしまうように見えるかもしれない。……けどさ、それは僕たちから見たレイン君も同じだよ」
「…………」
「一人で誰にも頼らず全部やる、なんて欲張りすぎだよ。きっと限界がある。その時、もしも君が壊れてしまったら…………僕たちは耐えられない」
優しげな微笑を浮かべるアルスの術式が真価を発揮し、レインの体を癒す。温かい光に包まれたレインの傷が癒えていく。
だが何よりも、レインはアルスの次の言葉に救われた。
「君は、頼っていいんだよ。例え誰かがそれを否定したとしても、僕たちは君を支える」
「…………っ!」
――頼っていいんだよ。
その一言が、不思議なほどじんわりとレインの胸に沁みた。
込み上げてくる思いは、久しく感じていないものだった。悲しくはない、むしろこれ以上なく穏やかな気持ちなのに、胸の奥から温かい何かが押し寄せてくる。
懐かしい――本当に懐かしい感覚だった。前に一度だけ似たような感覚を覚えた記憶がある。そのときは、一体誰に救われたのだったか。
「…………ああ、そうだったんだよな」
結局思い出すことはできなかった。それでも、今回は断言できる。レインはこの三人に救われたのだ。
「……ありがとう。本当に…………ありがとうな」
衝動を必死にこらえながら、レインは上手く動かない口で三人にそう告げた。
そして、レインはアリアを真っ直ぐに見つめる。
「――アリア。お前がいてくれたから俺はここにいる。これからは……いや、これからも俺を支えてくれ」
「……………………っ」
レインの言葉に、アリアは一瞬目を丸くした。目を腫らしたその表情はすぐに崩れ――やがて頬をゆっくりと涙が伝った。
「当たり前よ……そのために、ここに来たんだから…………!」
きっと自分もアリアと同じような顔をしているのだろう。レインはそう思った。情けない顔になっていなければいいな――と思いながら、レインはぐしっ、と鼻を擦った。
「……さて。じゃあ、話すよ。俺があの『大厄災』の日に見た全てを」
レインは決断する。ひた隠しにしてきたレインの記憶を伝えることを。知られることを恐れ隠し続けてきた、嘘偽りないあの日の記憶をアリアたちに教えることを。
このことが知られてしまえば、自分は否定されるのではないか――そんな思いはもう消えた。三人はレインを支えると言ってくれた。ならば疑念など不要だ。
「うん。聞かせて。あなたが抱えるものを」
たったそれだけのアリアの言葉に勇気づけられて、レインはあの日の全てを三人に告げた。
ずっと抱えてきた十字架を、初めて地面に下ろした。




