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4―1 修羅の炎を燃やす者

 クラス戦四日目――最終日の朝。

 レインとアリアは、ここ最近のいつもと変わらず、無言で登校の支度をしていた。


 試合が滞りなく進行したおかげで、最終日は随分と余裕を持った試合予定となっている。ここまで勝ち進んだのはレインやアリア、ヘルビアを含めて八人。そのほとんどが悪魔デモンとの実戦経験を持つ者たちだ。


 優勝候補はやはりレイン、アリア、ヘルビアの三人。特にヘルビアは全ての試合を十秒以内で終わらせており、“王属騎士団”副団長としての実力を遺憾なく発揮している。もっとも彼が今までに対戦した中に神器使いはいなかったので、真の実力がどれほどのものかはいまだ不明だ。

 一方レインとアリアはそれぞれアルス、シャルレスとの熾烈な争いを制してここまで勝ち上がってきた。その実力はクラスの誰もが認めるところであり、優勝への期待は高い。彼らがヘルビアとどのような勝負をするかが今日の試合の見所となっていた。


 予定では、まずはアリアがヘルビアと当たる。その試合でヘルビアの実力がどれほどのものか明らかになるだろう。


「…………」


 粛々と支度を進めながらも、レインはヘルビアのあの瞳を思い出していた。


 殺気。ミコトはヘルビアの意思をそう評した。ヘルビアはレインを殺そうとしている、と。レイン自身も、昨日肌でそれを感じた。あの瞳はそういうものだ。レインがこれまで何度も見てきた、修羅の炎を宿す瞳だ。


 ヘルビアがレインに殺意を抱く理由にはおおよそ察しがついている。彼のような存在に殺意を向けられるのは一度や二度ではない。あの日――『大厄災カタストロフ』が起こったあの夜に、レイン自身が蒔いた種と言ってもいい。レインの愚かさが、彼のような人間を生み出してしまった。

 ならばそれを摘み取るのはレインであるべきだ。事実、レインは何度も摘み取ってきた。自分が生み出した、罪なき狂える人の命という芽を。そうするしかレインにはできなかったのだ。彼らを元に戻そうと試みたことは幾度とあるが、いずれも上手くいかなかった。


 今度はどうなるのだろうか。レインは考える。またしても自分は芽をつぶしてしまうのだろうかと。

 あるいは、今度こそ自分は報いを受けるのだろうか、とも。


「……アリア」


 ふと、無意識にレインは呼んでいた。レインに背を向けていたアリアはぴくりと身じろいだが、レインを見ることはない。


 構わずレインは、素直に気持ちを口にした。


「頑張れよ。……俺も、頑張るから」

「…………」


 アリアは返事をすることはなかったが――ひらりと、肩越しに手を振った。


  ***


 よく晴れた空が広がっている。今日も雨が降ることはなさそうだ。幸いにも、クラス戦が行われた四日間、一日も雨が降ることはなかった。


 いよいよこの時がやってきた。特設舞台リングの上に立つのはアリアとヘルビア。共に手に持つのは木刀だ。


 レインは既に決勝へ駒を進めている。この試合に勝ったものが決勝にてレインと戦うということだ。三つの特設舞台のうちここだけが使われているため、クラスのほとんどが試合の観戦に集まっている。レインもその一人だ。横にはアルスとシャルレスも立っている。


「両者、準備を」


 アリアとヘルビアは互いに一言も言葉を交わすことなく木刀を構えた。凄まじい集中だ。瞬き一つせず、相手の構えから探れるだけ情報を探る。

 言い様のない緊張感にクラスの生徒たちのざわめきも自然に収まり、風もない今、辺りは完全な無音となった。


「……では、これより試合を開始する」


 心なしか、昨日にまして改まった教官の宣誓。試合に出ている訳でもないのにレインの体が強張る。それはアルスやシャルレスも同じようだった。


「用意―――」


 緊張、不安、心配。様々な感情が込み上げたレインの眼前で。

 高く掲げられた教官の手が、振り下ろされた。


「―――始め!!」


 ガンッ! という激突音はヘルビアが立つ位置から聞こえた。


「……! アリア……!」


 先行したアリアがヘルビアの元に瞬時に動き、まさしく神速の一撃を繰り出した。つまりアリアがヘルビアの速度を上回ったのか――と思うのは早計だ。ヘルビアは動揺することなく、完璧にアリアの木刀を防いでいる。


「はああああああッ!」


 もちろんアリアとてそこで止まるはずはない。開幕から全力の連撃に持ち込み、ヘルビアを苛烈に攻め立てる。


 木刀と木刀が激突する音が途切れない。くぐもった鈍い衝突音がヘルビアの周囲から響き続ける。反撃の隙すら与えない、正真正銘アリアの全力の剣撃だろう。一撃一撃がしっかり重く、かつ容易に防ぐことを許さない角度からの鋭い剣撃だ。レインといえど、〈制限解除リミットオフ〉あるいは異能“翔躍アドバンス”を使わないと完全には捌ききれないように思える。


 しかしなお、ヘルビアは負けていない。つまりそれは、アリアの剣をヘルビアは防ぎ続けているということ。これだけ苛烈な剣撃を避け続けているということ。


「……その程度か?」


 ――ぽつりとヘルビアは呟いた。その表情は一切余裕を失っていない。何一つ変わらない無の表情が何よりも恐ろしい。


 荒れ狂う剣の嵐をヘルビアはいなし続けていた。アリアから発せられる鬼神のような覇気に恐れもせず、アリアが放つ剣撃に慄きもせず。異能も神能も使わず、単純にヘルビアは剣一本でアリアの連撃をかわし続けているのだ。


「この程度なら、もう終わらせよう」

「…………ッ!」


 瞬間、アリアは距離を取った。〈弧狼の勘シックスセンス〉による危機察知がはたらいたのだ。


 アリアが辛うじてヘルビアの間合いから外れたまさにその瞬間、今までのアリアのどんな一撃よりも重い薙ぎが放たれた。


「…………!」


 間合いからは外れた。しかし薙ぎの余波が、背後に飛んだアリアを襲う。


「はっ!」


 背後に飛んだことで生まれたわずかな余裕で、アリアは宙を駆けた剣撃を弾いた。たかが風のはずだが、その一撃は確かにアリアに力を与え、より遠くへと吹き飛ばす。


 思いの外長く吹き飛ばされ、舞台の端スレスレの位置に着地したアリアはすぐに顔を上げた。ヘルビアは追撃には来ていない。


「……なるほど、危機を察知したのか。少し見くびっていた」


 どうやら今立っている位置から動くつもりはないらしい。表情を変えず、何を考えているのかは全く分からない。ただ少なくとも、今闇雲に突っ込んだところで何もできないのは明確だ。


「アリアさんのあの連撃も防ぐのか……? 異能も何も使わずに…………」


 アルスが呆然と呟く。レインも同感だ。あれだけの攻撃を放てるアリアもアリアだが、アリアの剣筋を見るのはほぼ初めてのはずのヘルビアがそれらを完全に防げるなど普通なら有り得ない。“王属騎士団”副団長の名は伊達ではないということか。


 シャルレスが言う。


「……ただ身体能力が高い訳じゃない。攻撃への瞬間の判断がすごく速い。向かってくる剣をどうかわすか、それを考える時間が極端に短いんだと思う」

「なるほどな…………」


 確かに今のヘルビアの動きは目で追えないほどのものではなかった。むしろ速度に関して言えばアリアよりも遅かったかもしれない。にも関わらずヘルビアが攻撃を防げていたのは、アリアが繰り出す剣撃にどう対処するのかを考える時間が異常に短かったからだ。思考している時間を減らせば反応はより早くなり、結果として余裕を持った迎撃に繋がる。


 そして真に恐ろしいのは最後の一撃の威力。アリアは〈弧狼の勘〉により回避できたが、何の能力も使わずにあれほどの攻撃を避けるのはかなり厳しいだろう。加えて質が悪いのは、相手の攻撃の最中であろうと強引にねじ込んでくるあのタイミングだ。攻勢で攻撃に意識が向いている中、唐突に襲い来るあの剣を避けられる自信はレインにはない。


「アリア…………」


 ヘルビアの対処の反応が早いとなると、真正面から向かっていってもアリアが勝てる見込みは少ない。ヘルビアはアリアを迎撃するために敢えて動かずにいるのだ。あの防御をかいくぐるには、何らかのきっかけでヘルビアが攻撃を防げない――すなわち、反応できても防御が間に合わないようなタイミングで攻撃するしかない。

 普通ならば連撃により相手の体勢を崩すのが常套手段だが、ヘルビアにはそれすら通用しないとみていいだろう。ヘルビアがあの位置で防御に徹しているかぎり、隙をつくらせる余地はない。


 どうする――とレインが案じたとき、アリアは地を蹴っていた。


「……ふっ!」


 超加速により一気に最高速に達するアリア。その勢いのまま飛び上がり、ヘルビアの頭上から木刀を叩きつける。


「やけになったか? 無駄だと分かったろうに」


 ヘルビアは当然といわんばかりに反応し、完璧に受け止めた。一拍遅れてヘルビアを中心に舞台に亀裂が入るが、ヘルビア自身は全くの無傷だ。


「やけになんか……なってないわよ!」


 アリアはそう言うが、その攻撃は乱雑で、明らかに精彩を欠いている。このままでは危険だ。アリアの体勢が崩れていなくとも、ヘルビアは一瞬の隙を突いて恐ろしい一撃を放ってくるはず。〈弧狼の勘〉があるとはいえ、必ず避けられる確証がある訳ではない。


 ヘルビアは焦ることなく淡々と攻撃を捌き、並行してアリアのわずかな隙を探していた。試合を終わらせるに足る一撃を放つための間隙を。


 ――そしてついに、その時が来た。


 十数発目のアリアの剣撃を弾くと同時、ヘルビアが木刀を引き戻し最小のテイクバックを取った。本来は致命的な隙とはいえないわずかな硬直時間だが、ヘルビアにとっては十分な時間だった。


「いい加減に――諦めろ」


 刹那。

 レインでさえ目で追うのがやっとな縦斬りがアリアを襲った。


「アリア――!」


 ――ギイイインッ!


 響いたのは鈍い音。物体の衝突というよりは、擦り合わせるかのような長い音だ。


「…………?」


 ヘルビアが眉を潜める。木刀がアリアに当たった手応えがないからだ。


 衝突から一瞬遅れて、レインはそれに気付いた。


「――〈先見の逆撃ジャストクロイス〉」


 ――ヘルビアの眼前で木刀を振りかぶったアリア。ヘルビアの木刀はアリアの左側の虚空・・を斬っていた。 


 〈先見の逆撃〉。〈弧狼の勘〉を応用して相手の攻撃の瞬間を予測し、命中寸前で回避して反撃に転じる技だ。ハイリスクではあるが、相手の攻撃をかわしさえすれば、攻撃後のほぼ無防備な相手に逆転の一撃を叩き込むことができる。


 アリアはヘルビアの一撃を受け流し、ギリギリで回避したのだ。


「……! いける…………!」


 ヘルビアは体勢を崩しており、今ならばアリアの木刀を弾くことは不可能。そして、既にアリアは攻撃準備が完了している。


 今こそが最大の好機。


「終わりよ!」


 万全の状態で、アリアが木刀を振り下ろす――


「…………舐めるな」


 ――その瞬間。

 いくつかのことがほぼ同時に起こった。


 まずは地面の陥没・・・・・。轟音と共にアリアの足元が崩れる。

 原因は虚空を斬ったはずのヘルビアの木刀。空振った木刀をそのまま地面に叩きつけ、圧倒的な威力で舞台そのものを破壊したのだ。


「……!?」


 突然の揺れにアリアの狙いが乱れ、振り下ろすのがわずかに遅れた。その時間はヘルビアにとってあまりに余裕あるもので、決め手となるはずだった一撃が空を斬った。


 次にアリアの体が宙に浮く・・・・・・・・・・。揺れで不安定になったアリアの足が払われたのだ。視点が逆さまになったアリアが即座に反応できるはずもなく、ヘルビアは悠然とアリアの横を通り背後へとすれ違う。


「俺の攻撃をかわすまではなかなか面白かった。だが、中途半端だ」


 そしてヘルビアは最後の一撃を決めるために振り向く。


 途端、〈弧狼の勘〉がアリアに危機を知らせる。アリアにとっては天地逆転の上に背後からの攻撃だが、タイミングさえ分かれば防げる可能性が――


「……―――」


 ――という希望は即座に打ち砕かれた。


 察知した危機の数、計十撃・・・。つまり、アリアがどう動いても反応できるように、ヘルビアは既に策を構築し終えているということ。ありとあらゆる方向からの危険がアリアを方位していた。


「尽き果てろ」


 何とか反転し、アリアがヘルビアを向いたときには、神速の一撃――恐ろしい速度の突きがアリアの鳩尾を捉えていた。


「……かっ……」


 鈍い音と大きすぎる衝撃が、アリアの負けを決定的にした。


 凄まじい速度で吹き飛んだアリアは、舞台に叩き付けられ、動けないまでのダメージを負った。


 「そこまで!」という教官の声と、誰かが自分の名前を叫ぶ声が、アリアが最後に聞いた音だった。


  ***


 アリアが目覚めたとき、視界に映ったのは真っ白な天井。天井だと分かったのは自分が横になっていると感じていたからだ。


 保健室であることはすぐに分かった。あまり誇れることではないが、よくここに来ているからだ。主に倒れた状態で。


「…………はぁ」


 倒れた理由を鮮明に思いだし、アリアはため息をついた。


「あ、目が覚めた?」

「はひっ!?」


 自分以外誰もいないと思っていたアリアは、突然の声に思わず奇声を上げてしまった。視界に横から入ってきたのは、いつかも世話になった看護教官だ。手には湯気の昇るカップを持っている。


「あなた、よくここに来るわねえ。三度目かしら?」

「……すみません」

「誰も責めてないわよ。はい、ココア」


 教官は微笑みながら、カップをアリアに差し出した。起き上がるときに胸にかすかな痛みを感じたがそれだけだ。まともに攻撃をくらったはずだが、木刀だったからか深刻な傷ではないらしい。


 ひと口含んだココアの甘味が胸に染み渡る。ここで飲むココアは、不思議と他のどこで飲むココアよりも美味しく感じた。


「ゆっくり休むこと。ダメージは大きくないけど、一時は気を失うほどだったんだからね。しっかり休んで万全の状態に治しなさい」

「はい…………」


 もとよりクラス戦以外で暴れるつもりはない。校内戦はまだ先だし、さすがにそれまでにはこの傷も癒えるだろう。


 ――そう、この後には校内戦が控えているのだ。ヘルビアが出場するのかは定かではないが、少なくとも現状ではアリアとヘルビアの間には明確な差がある。もしもう一度戦ったとして、アリアに勝てる目はほとんどないだろう。神器を持てばあるいは……いや、ヘルビアが神器を持てば、その差はさらに広がるかもしれない。


 ヘルビアは格が違う。以前アリアはヘルビアをそう評したが、まさしくその通りだった。今のアリアではヘルビアには勝てないと、そう実感した。


「……顔つき、変わったのね」


 ふと、看護教官がそんなことを呟いた。一瞬何のことを言ったのか理解できなかったが、どうやらアリアに向けて言ったらしい。


「な、何か変ですか? 私の顔」


 ヘルビアとの戦いで傷が付いたのだろうか。いや、単純に太ったことを指摘されたのか――とアリアが狼狽えていると、看護教官は言った。


「負けたんでしょ? でも爽やかな顔してるもの。前は悪魔デモンを一匹逃がしただけでこの世の終わりみたいな顔をしてたのに」

「あ…………」


 そういえば前回は、悪魔を逃した直後に倒れてここに運ばれたのだ。加減しなければ倒せたはずだと後悔していたことを思い出す。言われてみれば確かに、負けた直後だというのに今は後悔や反省はしていない。


「いいことよ。敗北に納得できるのは自分を認めている証。次はもっと強くなれると信じていることの証明だから。きっとあなたは強くなるわ」

「…………」


 教官の言葉はじんわりとアリアに染みた。なぜか全てが腑に落ちた気がした。


 アリアがすべきことに変わりはない。勝てない相手に追い付き追い越す。そのためだけに力を注げば、いつかはアリアの願いは叶うだろう。


 そう、ヘルビアよりもずっと身近にいるのだ。アリアが勝てない相手が一人。彼に勝つために、彼を救うためにアリアは剣を振るうのだから。


「……!」


 そのとき、アリアははっと気付く。


「あ、あの、私が倒れてからどれくらい経ちましたか!?」


 あまりの険相に教官は驚きつつも答えた。


「大体三十分くらいかしら。どうかし――」

「三十分!? なら行かなきゃ!」


 答えを聞くや否や、アリアはベッドを飛び降り駆け出していた。胸の痛みなど気にしている暇はなかった。


「ちょ、安静にしなさいって言ったのに! 無理しないでよー!」


 背中越しの声に心中で謝りながら、アリアは校庭に向かって走る。


 アリアが倒れてから三十分、つまりアリアとヘルビアの試合が終わって三十分経ったならば――


「レイン…………!」


 ――決勝がそろそろ始まるはず。レインとヘルビアの試合だ。


 アリアは息を切らしながらも、がむしゃらに走り続けた。

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