3―4 燃ゆる氷、零下の焔
クラス戦も後半に入った三日目。今日注目すべき試合はやはりこのカードだろう。
「…………私が勝つ」
「誰に言ってるのよ。私が勝つわ」
試合開始前だというのにバチバチに火花を散らす才媛二人。極に位置する二つの美が激しく闘志を燃やすその様は、まるで一種の絵画のようだ。
――そんなことでも考えていないと、恐ろしさで気がおかしくなってしまいそうだ。レインは自分が出場する訳でもないのに、誰よりも二人の試合の行方を案じていた。
そう、アリアとシャルレスの試合である。
今に始まったことではないが、この二人の相性は相当に悪い。神能に始まり、性格や考え方、行動といったこと全てが正反対なのだ。対立するような姿勢は見せていなくとも互いのことを好んでいないことは明らかだろう。今のところ派手に正面衝突したという話は聞かないが、今日こそがその正面衝突、それも公に認められた全面戦争の日。血を見ることはないとはいえ……いや、血を見ることはないはずだと、半ば祈るような心もちでレインは二人の試合を観戦することにしていた。
ちなみにレインは既に今日の試合を終えており、順当に勝ち進んでいる。ヘルビアとは当たるとしても決勝戦であり、まだ気持ちには余裕があった。むしろ、トーナメントの組合せ上、この試合の勝者がレインより先にヘルビアと当たることになる。そういう意味では彼女たち二人にはさらに思うところがあるだろう。
いずれにしろこの試合を見ておいて損はない。辺りにはヘルビアの姿はなく、レインの隣にはアルスが立っていた。
「いよいよだね……レイン君はどっちが勝つと思う?」
「…………」
アルスの問いにレインは沈黙した。
試合がどのように進むのか、正直レインにはまるで想像がつかない。アリアとシャルレス、どちらとも剣を交えたことのあるレインでもその実力の優劣は判定しがたいのだ。加えて今回は神器を用いない試合であり、つまりは純粋な剣術が試される訳で、まして想像できないのが事実だ。
ただ、強いて言うとすれば――
「……“受心”を使えない時点でシャルレスにとってはかなり不利な条件に思える。もっとも、使えたとしても“無属”を持つアリアには通用しないけど。とにかく普段と違う戦い方をしなきゃないってのは、想像するよりずっと厳しいことだと思う」
そう、シャルレスが得意とするのは“受心”による認識改竄を用いた死角からの攻撃。しかしこの試合では異能の使用は禁止されており、ましてやアリア相手にはその戦術は使えない。聖具使いの級友たち相手ならば大した問題ではなかったかもしれないが、実力が拮抗しているアリアを前にして一体どれほどの影響を及ぼすのか、それがこの試合の結果を大きく左右するだろう。
ちなみにアリアが持つのは一般的な木刀だが、シャルレスは木製の短剣を手に握っている。各々が普段持つ武器と同じ武器種の木刀を持つため、重さ以外に感覚の差異はないはずだ。
二人が武器の用意を終えたことを確認した教官がゆっくりと手を掲げた。それに伴って場も静まる。
間隙の静寂は、嵐の前の静けささながら。数瞬後に荒れ狂う暴風雨とつりあいを保つためにあるかのような時間。しかしこの静寂は決して穏やかなものではない。水面下では極限の集中による思考の逆読みが繰り広げられている。
――そして今。静寂は、たった一言で断ち切られる。
「用意……始め!」
ヴンッ、と空気が震えた音が、それだけがレインの鼓膜に届いた。
音は光より遅い。その事実をレインは実感を持って思い知る。眼前で行われている剣技の応酬が、音をさえほぼ置き去りにしていることを目の当たりにしながら。
一度目の激突は秒に満たない時間で終わった。二人が距離を取ってから、遅れて激突音が耳に届く。
それも、今繰り広げられたのはたった一撃の交錯ではない。互いにあらゆる方向からの攻撃を試し、互いにその全てを相殺した。互角としか言いようがない一合だった。
離れ、地を蹴り、再度激突。やはり音は光景とズレていた。木刀と木刀の衝突が大気を揺らす。心なしか微かな風をすらレインは感じた。
「…………すごい」
横のアルスがぽつりと呟く。口にはせずともレインも全く同感だ。まさか二人がここまでの次元に達しているとは思っていなかった。
剣戟が互角といっても、アリアとシャルレスの身体能力が全て等しい訳ではない。例えば純粋な力ではアリアが勝るだろうし、身のこなしではシャルレスに分があるだろう。それぞれの強み、弱みを把握した上で最適な動きを実現しているからこそ、ここまで伯仲した試合となっているのだ。
試合開始十秒で五回もの激突を繰り返した二人は、六度目の衝突の前に一度動きを止めた。その距離は大股で十歩ほど。いずれも油断なく得物を構えており、集中は微塵も乱れていない。
「“受心”は使えないのに、シャルレスさんはアリアさんと互角にやりあえてる。不利だと思ってたけど……何でだろう?」
「……多分、あれが本来のシャルレスなんだ」
「え?」
レインが気付いたのはシャルレスの本来の強さ。“受心”という壁に阻まれ見ることができずにいた、シャルレス自身の力量。
「確かに認識阻害は強力だしシャルレスの核になる力だと思う。けど、俺たちは勘違いしてた。認識を改竄されるっていうのは、俺たちがシャルレスに対して抱く評価にも影響を与えかねない。シャルレスの戦い方が認識阻害を軸にした短剣術と考えてる時点で、俺たちはシャルレスの素の技量を知らないんだよ」
シャルレスの認識阻害は厄介だ。直接姿を把握できなくなり、シャルレスに絶対的なアドバンテージを与えることになる。短剣を扱い不意打ちを得意とするシャルレスを相手にして、姿を確認できなくなるというのはあまりにも大きすぎる不利だ。
しかし、認識阻害の脅威度が高すぎるがために、誰もシャルレス自身の戦闘能力を考えたことはあるまい。“受心”を使わない状態でシャルレスがどれだけ強いのか、考える必要もないと思っていた。シャルレスにそうする異図はなかっただろうが、認識改竄という脅威の大きさを前にして、知らず知らずの内にレインたちはシャルレス自身の戦闘能力の評価を下げていたのだ。
その結果がまさしく眼前で繰り広げられている光景――ということだろう。
「……もう一度繰り返す。私が勝つ。あなたには負けない」
シャルレスがアリアに対し告げる。二度目の勝利宣言は、負けず嫌いのアリアにとっては挑発にも等しい。むしろアリアの調子を意図的に崩そうとしているのか、いつもよりもシャルレスの口数が多いようにレインは感じた。普段ならばシャルレスが対戦相手に何かを言うことなどまずないだろう。
あるいは――
「感情…………か」
――シャルレスもまた、アリア相手に思うことがあるのかもしれない。レインが窺い知ることなどできない何かが。
以前までは他者と会話を交わすことさえしようとしなかったらしいシャルレスだが、彼女はもう以前とは違う。一人の人間として感情を抱き、行動に移せるようになった。ミコト曰く「レインのおかげ」らしいが、レインには何かした心当たりは全くない。
いずれにしろ、試合の行方は彼女たちの感情に――正しくは感情の制御に大きく左右されるだろう。特にアリアに関しては気持ちが顕著に剣に表れる。
実力は本物だが、如何せん行動が感情に左右されやすい節があるのだ。怒りで剣の操作を誤るなどということはないが、行動が単調になりやすい。シャルレスもそれが分かっているからこそ言葉での揺さぶりをかけているのかもしれない。
「…………」
何か言葉を返すだろうというレインの予想と異なり、アリアは無言だった。集中も切れていない。いつもならば、散漫とはいかなくとも少しは揺らいでいるだろうに。
アリアの反応が少し予想外だったのか、シャルレスは言葉を重ねた。
「あなたは私には勝てない。私が決勝でレインと――」
「――繰り返すわ。誰にものを言ってるのよ?」
――大気が揺らぎ。一瞬でアリアはシャルレスへと詰め寄っていた。
誰も追えない速さだった。静止している間に集中が途切れていれば、まず間違いなく目が追いつかなかったであろう速さ。そうでなくとも明確に姿を把握することさえ難しいような移動だ。
だがしかし、シャルレスは読んでいた。まさにこの通りアリアが飛び込んでくるように誘導したシャルレスには移動の速さなど関係ない。思い描いていた位置にアリアがいることを確認し、短剣を振るうだけだ。
レインやアルスもまたアリアの行動を予測していた。シャルレスがそれを狙っていることも把握していた。そしてアリアがシャルレスのもとに飛び込んだ時点で、アリアが負けることを確信した。それだけ抜群のタイミングでシャルレスは反応したのだ。
――ゆえに、シャルレスの短剣が空を切るという結果に目を疑った。
「…………!?」
三者が三様に驚く。
シャルレスは剣の手応えがないことに。
アルスはアリアが瞬時に消えたことに。
そしてレインは――アリアがここまでの展開を予想していたことに。
「言ったでしょ? 私が勝つわ」
アリアはシャルレスの背後に回り込んでいた。
「……!」
シャルレスが短剣を振り切った直後、すなわち即座には動けない、反撃には抜群のタイミング。アリアは瞬間的な反応でシャルレスの一撃をかわしたのではない。明らかにここまで先読みした上で、意図的にシャルレスの眼前に姿をさらし、攻撃を引き付けてから回避したのだ。でなければこうも完璧に背後を取ることはできないだろう。
つまりアリアはシャルレスの思惑を見抜いていた。自身を挑発していると察し、あえてその挑発に乗ったように見せかけたということか。
「〈孤狼の勘〉――レインと決勝で戦うのは私よ」
〈孤狼の勘〉。アリアが異能〈無属〉を発展させて獲得した業だ。
もともと〈無属〉はあらゆる状態異常を無効化する能力だ。自他を区別し、外部からの影響を究極に遮断する。物理法則等を無視できる訳ではないので傷こそ負うが、本来的に起こり得ない、異能や神能による状態異常を始めとした各種悪影響に耐性がある。
状態異常を無効化できるということはつまり、状態異常を判断することができるということだ。言い換えれば、外部からの攻撃や影響を認識できるということに他ならない。
それを突き詰めた先にあるのが〈孤狼の勘〉――身に迫る脅威を本能的に感じとることができる、常識外の危機察知能力という訳だ。異能ではなく、あくまで異能の感覚を発展させた技術なので、試合で使っても何の問題もない。
「く…………!」
アリアに背後を取られたシャルレスは反転するより先に距離を取ろうと走り出した。しかしアリア相手にそんな隙はなく。
木刀がシャルレスの背を叩き、アリアの勝利で試合は決した。
***
『三日目も終わり、いよいよ明日が最終日か。楽しんでいるか? ヘルビア』
クラス戦三日目を終えた夜。男子寮の一室で、ヘルビアは神器を介した〈天声〉にて、団長カイルと通信を行っていた。
部屋にはほとんど家具はない。ヘルビアが学園に来ることが決まってから急遽用意された部屋のため、備え付けの家具程度しか置いていないのだ。そもそもヘルビアには部屋の内装にこだわる趣味はないので、別に不便はしていなかった。
「任務ですから、楽しむ暇などありません。……報告に移ります。ミコトとレインの繋がりを探ってみていますが、何も出てきません。恐らくは当人たちしか知り得ないことかと。同様に、ミコトの素性も不明です」
『ふむ……まあ、そう簡単に分かるはずもない。調査は継続しろ。手掛りを見つけるまでとは言わないが、あらゆる可能性を当たれ』
「はい。それと、“漆黒の勇者”についてですが……やはりレインで間違いありません。試合を見る限り、特徴は完全に一致しています」
〈追憶〉で幾度となく確認したヘルビアは、心の平静を保ちながらそう報告した。
すぐ近くに、長年追い続けてきた宿敵がいる。その事実だけでヘルビアの手は震える。昨日のことのように……いや、すぐさっき起こったことのように思い出せるあの惨劇を引き起こした男の存在がヘルビアの心を黒く染める。
しかしカイルの前ではこの感情は抑えなければいけない。もし殺意に感づかれれば、ヘルビアはこの任を解かれてしまうだろうから。それだけは避けたかった。
長い時間沈黙した後にカイルは言った。
『…………なるほど、嘘は吐いていないようだ。“真言”は真と告げている』
発言に対しその真偽を悟るカイルの異能、“真言”。この場合の偽とは発言者が発言に対し偽と思っているということを示す。つまりカイルが判別できる発言の真偽は、事実に基づかず、発言者が知り得る情報についての真偽が問われるということだ。
今のヘルビアの言葉に対する判定は真。すなわちヘルビアの言葉は事実で、レインはあの日ヘルビアが見た漆黒の男であることを示す。しかしそれが本当に悪魔を鏖殺した“漆黒の勇者”かどうかまでは分からない。本当の“漆黒の勇者”は別にいて、レインが単純に姿が類似しただけの別人である可能性があるからだ。
「少なくともレインは断罪の対象です。奴があの日人を殺めたことは間違いない」
ヘルビアはカイルの同意を待った。それさえあればレインの有罪が確定する。もちろん正式なものではないが、“王属騎士団”騎士団長の言葉は絶対だ。やがてレインは捕縛され、正当な手続きを踏んだ上で公に罪が確定するだろう。
あるいは許可さえあれば、捕縛ならば今すぐにでも行える。カイルの言葉一つで悲願を果たせるのだ。
しかしカイルは言った。
『……いや、もう少し待て。警戒はされているだろうが、まだ何か分かるかもしれない。罰はそれからでも遅くないだろう』
「…………奴らは何も吐きません。これ以上は時間の無駄です。早く許可を」
ヘルビアは一歩も引かない。カイルの言質さえあればそれでいい。不毛な会話は早く終わらせたかった。
だが。
『――だめだ。まだ許可は出さない。指示があるまで待機しろ』
「…………!」
――カイルがレインの捕縛を許可することはなかった。
ヘルビアにはカイルの言葉はひどい断絶のように思えた。長い間共に過ごし、カイルはヘルビアのことを理解してくれていると思っていた。
だが違った。結局カイルは国に尽くす男だ。ヘルビアの意思を尊重することはない。
『お前がこの件にかける思いは十分に分かっているつもりだ。だが敢えて言おう、お前は既に冷静ではない。奴に罰を与えたいというのならば、然るべき時まで待て。――話は以上だ』
カイルがそれだけを言い残し、通信は途切れた。
部屋には静寂が満ちた。
「…………」
明かりも付けず暗い部屋でヘルビアは自問する。
自分は何故ここにいるのか。何のためにここに来たのか。どうして生きているのか。
――そうだ。俺は奴を殺すために…………。
自らに返した答えは、あの日から繰り返し願ってきた悲願。復讐の炎は今もなお激しく燃え盛っている。ヘルビア自身をも焼き尽くす勢いで、大きく大きく成長している。
その炎がこの日、ついにヘルビアを喰らい尽くした。
「…………ああ、そうか」
ぽつりと呟いたヘルビアの瞳は、狂暴に輝いていた。




