3―3 激突する黒金
水曜の三時限目、特別時程による戦闘実技の時間。生徒たちの注目は、この特設舞台の上に立つ、黒と金の髪を持つ二人に集まっていた。
「こうやって向かい合うのは久しぶりだね」
「ああ、そうだな。模擬戦をやったときぶりか」
黒髪を揺らすのはレイン。神騎士学園初の転入生にして“漆黒の勇者”の正体でもある強者。
他方、金の髪を持つのはアルス。神王国ゴルジオンの次期王位継承者にして“神の子”という選ばれた存在である実力者。
共に神器を操ることを認められた者たちが、しかし今回は木刀を手に向き合う。クラスの生徒たちの期待はいやが上にも高まっており、出番を控える生徒以外は、ここ、第二特設舞台の周辺に集まっていた。
もっとも、当の本人たちにとっては周りの注目の大きさなど関係ない。ただ単純に、お互いの実力を確かめあえることに期待していた。よく知り合った仲ではあるが、実際に剣を交えてみないと分からないこともあるのだ。
「両者、武器を」
教官の声で、二人は共通の武器である木刀を構えた。レインはいつものように半身になり剣をだらりと下げた姿勢に。アルスは木刀を中段に構えてはいるが、わずかに体を外側に開いた変則的な構えだ。
お互いの戦い方や手の内は把握している。その上でいかに相手の予測の裏をかけるかが勝利の行方を左右することは、二人ともよく理解していた。ゆえに試合開始までのわずかな時間を思考に費やし、起こり得る全てを想像する。想像すればするだけ勝利に近付くと信じて、脳を最大限に回転させ続ける。
「準備は済んだな。……よし、では試合を開始する! 用意――」
ピンと張り詰めた集中の糸。二人の木刀の切っ先を結ぶその糸が微かな張力を二人に伝えると共に。
「――始め!」
プツン、と切れた瞬間、二人は寸分違わぬタイミングで舞台を蹴った。
周りの生徒からはその動きはほとんど捉えられないが、レインとアルスは当然お互いの動きをしっかりと把握している。爆発的な加速力で飛び出した二人は、舞台の中央――わずかにアルス側よりの位置で激突する未来を予測し、適切に木刀を制御した。
レインは加速を生かして下から掬い上げるような軌道の一撃を放ち、アルスは飛び込みながらも上段に振り上げた木刀を袈裟斬りの要領で斬り下ろした。結果、二振りの木刀は交錯し、鈍い音を立てて反発する。
「……っ」
腕力で劣るアルスが顔をしかめながら衝撃をいなす。以前よりも力の差が開いたのか、思っていたよりも反動が大きい。わずかな誤差ではあるが、レイン相手にはそれですら命取りだと判断してアルスは後ろに飛んだ。体勢を立て直して、得意の歩法を生かした立ち回りに繋げようとしたのだ。
しかし――飛び退ったアルスを追うレインの動きもまた予想より速い。アルスが着地するのとほぼ同時に追い付き、自由には動かさないとばかりに斬りかかってくる。何とか対処するアルスだが、連撃を中心とした剣術を得意とするレインのペースに飲み込まれてしまい、なかなか離れることができない。
わずかな誤差は無視できないズレとなり、アルスを徐々に縛っていく。四方八方から迫るレインの木刀はただでさえ対処が難しいというのに、その一撃一撃が想定より重いのだ。アルスがまだ木刀の軽さに慣れきっていないというのもあるのだろうが、それはレインも同じはず。ならばこの差は――
「……! 神器か…………!」
自分が振るう木刀を見てアルスがその原因に気付く。
今のアルスのいつもと違う点は一つ。それは、神器を持っていないこと。普段ならば肌身離さず所持しているはずの神器を振るっていないこと。それが大きな誤差を生んだ。
神器と木刀は確かに重量という部分で明確な差がある。ならば木刀が軽いことを考慮して振らなければならないと、逆に言えばそれさえ克服できればいつものように戦えると思っていた。
だが違うのだ。なぜならば神器には、所有者の力を引き出すという能力があるのだから。
文字通り、神の武器である神器には、膨大なエネルギーが秘められている。その力が本来、人には過ぎたものであることは、使用者の制御を超えて神器が暴れだす“壊放”を見れば明らかだろう。
あまりにも大きいそのエネルギーは、神能として使われる他、人の異能を目覚めさせるトリガーにもなる。そしてさらに、使用者の身体能力をすら引き上げるのだ。神器が強力な武器と言われるのは、決して神能や異能だけによるものではなく、使用者そのものを能力的に強化する部分にも起因する。
つまり今のアルスはそのような神器の加護を失った状態なのだ。慣れきった感覚と現実との乖離がアルスの大きな枷となっている。
「はっ!」
「……ッ」
レインの強烈な斬り下ろしが、体への直撃を防ごうとしたアルスの木刀を強かに打ち付けた。衝撃は木刀を通じてアルスの腕にも伝わり、ビリビリという痺れにも似た感覚に声が漏れそうになる。
神器なしで戦うということがどういうことか、よく考えれば分かったはずだ。実際に木刀を振り、実戦のつもりで動いてみればこの違いは自ずと明らかになっていた。相手のことだけを考えて自身の状況を把握することを怠った昨日の自分にアルスは苛立つ。
レインも神器なしではあるが、彼はもともと〈タナトス〉の力を抑えることで神器の存在が表に出ないように振る舞っていた。当然神器の加護を得ることはなかっただろうし、それゆえに木刀を手にしたこの状態でもある程度思い通りの操作ができるのだ。
レインの攻撃は苛烈さを増し、アルスの防御もままならなくなってきていた。試合規定では体のどこかに一度でも剣が触れれば、たとえ皮膚を掠めただけでも負けとなる。つまり高威力の大技を当てる必要はないのだ。速さで翻弄して、あるいは意表を突いて剣先を当てればそれでいい。
つまり今のアルスは絶対的に不利であるということ。攻撃に転じる隙はなく、かといってレインをそう簡単に出し抜けるとも思えない。第一、下手に木刀を振り回せば防御が遅れてしまうだろう。
レインの予測がアルスの予測を上回っているからこその状況だ。
ならばアルスがやるべきことは一つ。
――予測の上を行くまで。
「……っ?」
――キィン、と。
レインが打ち込んだ一撃がアルスによっていなされる。それはこの試合において幾度も繰り返された動作。しかしレインの感覚が告げた。今の一瞬は何かが違うと。
決して弾き返されたのではない。ただ受け流された……いや、剣筋を逸らされた、というべきか。水平に近い軌道の斬り払いがアルスの眼前すれすれを通るように逸らされた。
「…………はっ?」
という事実の異常さにレインは遅れて気付いた。
そんなことが起こるはずがない。明らかにアルスは木刀の間合いにいた。つまりアルスの胸あたりを薙ぐような斬り払いをどういなそうが、アルスの眼前を――アルスに木刀が届かない空間を斬るということは起こり得ないのだ。
アルス自身が後ろに飛べば可能だが、そんな様子はない。しかし現実には――
「…………ッ!」
――アルスはいつの間にか、レインの間合いの外にいた。
今までレインがアルスに接近して連撃に持ち込んでいたのは、自分がやりやすい戦い方でアルスと向き合うため、そしてもう一つ、アルスの得意とする戦い方を封じるためでもある。つまり、アルスの特殊な移動が絡められた剣撃――それも“神の子”として覚醒した今では、以前よりもさらに洗練されたもの――を防ぐ意味があったのである。
一度距離を取られてしまうと抑え込むのは至難の業。速度差を生かした軽やかな動きはレインをして容易に捉えられない。だからこそ、無理をしてまで距離を詰めていたのに――
「…………くそっ」
不利な局面に陥ったことを嘆きながら、レインは目でアルスを追うことをやめる。いや、正しくは目だけで追うことをやめると言うべきか。
感覚を研ぎ澄ませて全方位に集中を張り巡らせる。通常は精神の疲労を防ぐために主に敵の方向に集中力を注ぐが、今はそんなことを言っている場合ではない。あっという間に回り込まれてしまう可能性があるために、消耗を覚悟した超集中を発揮する。
同時に敢えて姿勢を崩して攻撃部位を誘導し、レインは反撃を目論んだ。攻撃を完璧に弾いてアルスの体勢を崩せれば、もう一度接近する隙が生まれるはずだ。
刹那の間にそれら全てを考え実行したレインは、受動的な立場でありながら完成された状況を作り出した。神器使いでも突破は容易ではない鉄壁の構えだ。それどころか、迂闊に攻めれば手痛い反撃を被ることになるだろう。もちろん、レインに慢心などない。自身が危機的状況にあることに変わりはないからだ。
――そして、レインの鋭敏な感覚が、アルスが罠にかかったことを告げた。
背後の隙。正面に対してわずかに右に体を開いた姿勢ゆえに、今のレインは左半身側の背面への攻撃に対処しづらい。アルスがそちらへ回り込んだことを微かに感じた。
もっとも分かったところでギリギリ迎撃が間に合うほどの時間しかない。アルスの速度と観察眼に舌を巻きながら、しかしレインは確実に反撃できると悟った。
振り返る際の回転運動の勢いを木刀に乗せて、完璧なタイミングで迎撃。回転する視界の中でアルスの驚いた表情が見えた。アルスへと吸い込まれるように木刀が向かい、手には衝撃が――
「……まだだよ」
――伝わることはなかった。
「…………!?」
――空振り!? とレインが驚いたのも束の間、ワンテンポ遅れてアルスの木刀がレインに迫っていた。一度退くことも考えたが、離れればまた元の木阿弥だと、リスクを冒しながらも剣筋を逸らして接近する。
今度こそ完璧に懐に潜り込み、必中の距離で木刀を振るう――が、手応えはない。気付けばアルスはまた離れている。
「…………!」
本来有り得ない回避、移動、攻撃。だが、それらも二度続けば「本来有り得ないこと」ではなく、「元来有り得ること」へと認識を改めざるを得ない。
そんな思考の過程を経てようやくレインは事態を察した。これは偶然でも異常でもないのだ。ただ単純に、アルスがレインの予測を超えたまでのこと。
「……〈霞の行〉。本当は切り札に隠しておくつもりだったんだけど、レイン君が相手だとそう簡単にはいかないみたいだからね」
悔しそうに苦笑いしながらアルスはそう言った。アルスが切り札とまで言うのならば、生半可な対抗策では太刀打ちできないことは容易に分かる。
〈霞の行〉――それは、アルスが自身の歩法をさらに強化して得た移動技術だ。体の重心をより完全に制御できるようになったことで、意識と実動のズレ、すなわち慣性による体の流れを極限まで無視して、危機察知とほぼ同時に危機回避をとることができるようになった。あるいは相手の隙を察知すると同時に攻撃することも可能だ。
普通、超速度で接近時に相手から予期せぬ反撃を受けた場合、引き返すことはほぼ不可能である。なぜなら自身が既に高速で運動しているため、反転しようと意識してから実際に体が反転し始めるまでには、一旦自身の速度を零にまで落とすための時間が必要になるからだ。速度が速ければ速いほど減速の時間はかかり、結果引き返す前に反撃を浴びてしまうことになる。
しかしアルスの場合は、高速で動きながらも重心を常に制御することで、体の動きを止めるために必要なエネルギーを限界まで小さくしている。そのために加速減速に必要な時間を短くできるということだ。
自由自在に戦場を駆け回り、現れたと思った瞬間にはもうそこにはいない。斬ったはずの手応えはなく、知らぬ間に背後に立たれているその様はまさに霞。アルスの戦闘スタイルの完成形とも言えるだろう。
「…………どうする……」
レインは思わずそう呟いていた。
この状況への解決策が思い浮かばない。魔法が使えればまだ何とか光が見えそうなものだが、この身と木刀だけではできることに限りがある。有効な対処法を考える時間すらほとんどないのだ。
「……ふっ!」
そうこうしている内に目の前にアルスが迫ってきていた。すぐさっきまで木刀の間合いの外にいたはずだが、瞬きほどの時間であっという間に距離を詰めてきている。
悠長に悩んでいる暇などない。まずは防御に徹しなければ、次の瞬間にでもレインは負けるだろう。
「くあっ!」
間一髪のところで剣撃を弾き返し、今度は反撃に移ることなくその場で静止する。今のアルスを追うのは自殺行為だ。全神経を集中させて、次の攻撃だけを予測する。
ぞくりと背筋を走った悪寒に従い反転、横一文字の薙ぎをレインは木刀で受けた。凄まじい衝撃を腕に感じつつも吹き飛ばされることなく必死に堪え、アルスが離れるのと同時に素早く体勢を整える。
現状、レインにできるのはこれだけだ。幸いにも〈霞の行〉は連続攻撃には繋げにくいようで、アルスは単発の攻撃だけを仕掛けてきている。瞬間的な速度差を利用する〈霞の行〉は、その場に留まって連撃を繰り出すには都合が悪いのかもしれない。攻撃を繰り出した後にはアルスは必ず後退して距離を取っている。
「……!」
――そのとき、レインはある可能性を思いつく。これならば、わずかにでも希望があるかもしれない。霞を打ち破る一撃となりえるその可能性をレインは信じた。
決断すると同時、レインは即座に脳内で策を構築する。最後の一撃を決めるための布石を次々と並べ、単なる可能性は霞を斬り裂く一筋の剣へと姿を変えた。後はレインがこの剣を正しく扱えばいい。
成功する確率は高くない――いや、むしろ低いとさえ言える。だが残された時間は短い。ゆえにレインは迷うことなく策を実行へと移した。
「…………?」
――レインが舞台の隅へと逃げていく。アルスはその様子を訝しみながら慎重にレインとの距離を保っていた。まだ互いに間合いの外だが、警戒は怠らずにレインを追い詰めていく。
単純に距離を取ろうとしているのではないのは明らかだ。その証拠に、レインは完全に舞台の隅に後退し、背後への退路を断った。わざわざ自らの行動範囲を狭めているのだ。
何故なのか――というのは攻撃を仕掛けようとしてすぐに分かった。あの位置では、レインの背後に回り込むことができない。アルスが得意とする側面への回り込みも、範囲がかなり限定されてしまう。
つまりレインは自身の周囲どこからでも襲いくる剣撃を移動してかわすことよりも、必ず前方から放たれる剣撃を迎撃することを選んだ。自分の剣に相当の自信がなければそんな芸当はできないだろう。ハイリスクではあるが、それでもそちらを選択するレインにアルスは尊敬を覚える。
しかしもちろん負ける気はない。一瞬で間合いに入ることができるアルスの方が有利であることに変わりはないからだ。受動的なレインよりも、能動的に動けるアルスに分がある。
詰めよって一撃を放つ。当たればそれでよし、外れる、いなされた場合は即座に後退する。レインが攻撃のために剣を振る時間は与えない。攻撃さえさせなければ、攻撃が当たらなければアルスが負けることはない。そして、間合いの外に剣は絶対に届かない。
負ける理由がない。自身を鼓舞して、アルスは地を蹴った。
「……〈霞の行〉」
滑らかな重心移動による最速の移動。レインのもとへと一直線に向かい、その真正面――からわずかに左にずれた位置で減速、レインの視界に残像を残し、すぐさま離れる。結果、レインの薙ぎ払いはアルスに当たることなく空を斬った。レインからすれば感じるはずの手応えがなく、アルスが実体を持たないように見えただろう。
そして今こそが最大の好機。レインは剣を振り切った状態だ。防御は間に合わない――
「神剣技――〈逆転の刃〉!」
――と斬りかかろうとしたアルスが、危機を察知して自身の体を制動していなければ、強烈な薙ぎがアルスを捉えていただろう。
一度眼前を通過したはずの木刀が、全く同じ軌道をなぞるように反転して薙がれたのだ。アルスが不用意に近付けば、今の一撃で勝負は決まっていた。
木刀はアルスの胸すれすれを空振りし、今度こそアルス最大の好機となった。二度と同じ手はくわない。レインが手首を返す隙を与えずに詰め寄り、初動の速い必殺の突きをレインの腹部へと叩き込んだ。
――ヒュッ! と木刀が空を斬る音がした。
「……!」
レインは跳んでいた。薙ぎの勢いを利用して、一瞬でアルスの突きから逃げるように斜めに跳んだのだ。
刹那、アルスの視界からはレインが消えた。レインの懐に潜り込むように突きの姿勢に入ったがゆえに上体が前のめりになり、視野が下がったからだ。
レインの現在位置はアルスの右側の空中。顔を動かすより早く、〈霞の行〉にてアルスはレインの間合いから離れる。間合いの外に剣は絶対に届かない。この大原則だけは信頼できる。
――そう、アルスは思っていた。それが敗因だ。
「神剣技――〈空翔剣〉」
ガツッ、とアルスは右腹に衝撃を感じた。
「……っ!? かっ……」
思わずアルスは〈治癒〉を行使しようとした。だが傷口はない。それもそのはず、アルスの腹を直撃したのは木刀だ。
――レインが投げた木刀だった。
「――そこまで!」
十秒にも満たない最後の攻防は、恐らく誰も予測し得ない結末を迎えた。
***
「じゃあ、僕の視界から外れた瞬間に木刀の握り方を変えたの?」
「ああ。握り方を変えてるのを見られたらさすがに通用しないだろうと思ったし」
試合後、木陰にて。先程まで大接戦を繰り広げていたレインとアルスの二人は、休憩を兼ねた反省会をしていた。
「にしても木刀を投げるとは思わなかったなぁ…………」
いっそ呆れたようにアルスは呟く。
先程の試合の鍵となったのは間合いに対する考えだ。間合いから離れればいいと考えていたアルスと、間合いという概念を無視したレインのわずかな差が結果に表れた。
「まあ、これは一撃でも当てれば勝ちっていう試合だから使えた技で、実戦では無謀極まりない危険な賭けにしかならないけどな」
「実際は魔法も神能も何でもありだからね。でも考え方としては全然アリだと思うよ。正直予想もしてなかった」
あはは、とアルスは笑う。少しすると真剣な顔になり、レインを真っ直ぐ見つめていった。
「次は勝つから。忘れないでよ」
久しぶりにそんな顔を見たな、と思いながらレインも言葉を返した。返さなければいけない気がした。
「俺も負けない。絶対にな」
二人は同時に微笑み、こうして勝負は幕を閉じた。




