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赤と黒、そして始まる英雄譚~人が紡ぐ絶対神話~  作者: 紫閃
episode another とある夏の日に
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2 全ては我らが午後のために

「ったく、いきなり散々な目に遭った……」


 ぷかぷかと水に浮かびながらレインはぽつりと呟く。

 空から降り注ぐ日光の熱さと水から伝わる冷たさが何とも心地いい。少しばかり焦げた気がする髪の毛のことも忘れられそうだ。爆発後の迅速な消火――海へ顔面から突っ込むという緊急消火だった――が功を奏したのか、大事には至らなかった。

 巧みにバランスを取りながら顔を上げれば、浅瀬ではアリアとシャルレスが持ってきたビーチボールで遊んでいる。たまに水しぶきを上げながら遊ぶ姿は何故か微笑ましく思えるから不思議だ。弾けるような笑顔を浮かべるアリアと対比的にシャルレスは無表情だが、頬がわずかに紅くなっているのをレインは見逃さない。あれは普段無表情なシャルレスが心から楽しんでいる証拠なのだ。しかしボールが弾む度にアリアの体の一部も弾んでしまうのを見るのが気恥ずかしくなってレインは視線を砂浜へ向ける。

 砂浜ではアルスが砂の城を造っていた。どうやら泳ぐのはあまり得意でないらしく、たまに水に足をつけて涼む程度のようだ。その代わりに砂の城へ全力が注がれ、思わず唸ってしまうほどの完成度になっている。サイズもどこから砂を持ってきたのかと思うほど大きく、アルスが立ち上がって作業する程度には巨大だった。


 城の完成を楽しみにしてレインはもう一度空を見上げた。雲はゆっくりと流れ、独特のリズムで海のさざめきが響き、腹と背の双方から感じる温度が心地よい。忙しい日々にすっかり忘れていた真のやすらぎというものを実感しながらレインは目を閉じた。これなら何時間でもこうしていられる……と思ったちょうどそのとき。

 空腹を示すあの音が聞こえた。


「…………」


 一気に現実に引き戻されたレインは背中を支える波魔法――風を発生させる魔法を水中で発動、調整し、体を安定して持ち上げる波を生み出せるようにしたもの――を解除して、腰ほどの高さの浅瀬に立ち、ざぶざぶと歩いて浜へ上がった。


「もう昼だし、そろそろ飯にしようぜ。午後も時間はあるんだろ?」


 こちらに気付いたらしいアルスにそう言うと、「そうだね」と頷いて城を造る手を止めた。念入りに〈魔障壁デウォール〉を張っているところをみるによほど壊されたくないらしい。まあ、別にわざわざ壊しに来るような人間も今ここにはいないのだが。


「二人ともー、ご飯食べようよー!」


 障壁を張り終えたアルスが声をかけると、浅瀬で遊んでいた二人も頷いて浜へと上がってきた。レイン以外の三人は砂浜に置いていた神器――いささか不用心な気もするが――を回収する。


「水遊びなんてプールでしかやったことなかったけど、外でやるのも楽しいものね」

「同意見。日光をここまで心地よく感じたのは初めて」

「僕も久しぶりに日の光を浴びた気がするよ。最近は書類と格闘してたし」

「それより飯だ飯! あのコテージにあるんだよな?」

「うん、そうだよ。街で買ってきた食材が置いてあるはず」

「む? なんだ、これから昼食をとるのか。せっかく着替えてきたのに」

「まあまあ、そう言わないでくださいよ。ていうより一つ聞きたいんですけど何でここにいるんですかミコトさん」


 ――ごくごく自然にレインの隣に立っていたのはミコト。神出鬼没を体現する〈フローライト〉の学園長は、フリルのついた女児用の水着を纏っていた。

 正直、普段の様子からは考えられないほど可愛らしい。体相応の水着がこれしかなかったのだろうが、何の違和感もなくミコトを包んでいた。

 当たり前なことではあるが、胸はシャルレスよりも――


「今レインは『ミコトさんってシャルレスより胸ないんだな』って思った」

「うおい!?」

「…………ほう」


 唐突なシャルレスのカミングアウトにレインは凍りつく。


 シャルレスの異能“受心トレース”は他者の思考を読む能力だ。とはいえシャルレスがわざわざ他人の考えを読む必要もないので、基本的には他者の認識改竄にしか使われないのだが、最近はやたらとレインの心を読んでくる。

 その結果シャルレスが読み取るレインの本音は大抵誰かの地雷であったりする訳で。


「なるほど……君は毎日そんなことばかり考えているということか」

「語弊がありますから! 別にそんなつもりじゃ――」

「人と比べられるほどシャルレスの胸を凝視しているとは、覚悟はできているんだろうな?」

「そっち!?」


 どういう原理か腰に吊られていた鞘を鳴らし、ミコトは剣のグリップへと手をかける。さああっと血の気が引いていくのが自分でも分かった。


 あれ、俺ってここで死ぬんだっけ?


 ふとそんなことを思ってしまうほどにはミコトは本気だった。


「シャルレスに近付く害虫はさっさと駆除しなければ。なに、苦しくはないさ。スパッといってもう終わりだ」

「淡々と言うのやめてくださいよ! てか違う、誤解、誤解だから! ……あ、シャルレス、何か言ってくれ!」


 今にも斬りかかってきそうな気配を漲らせているミコト。何とか止めねばとシャルレスに助けを求めると、当の本人は言った。


「……ミコト。私、別にレインに見られるの嫌じゃないよ」

「なんだと?」


「――だって一度、下着まで見られてるし」


 ――…………空気が凍った。


 神能“蒼淵アビス”が発動したのかと思えるほど一瞬で気温がぐっと下がった。正しくはレインの体感温度が下がった。


「……へえ。私以外にもあいつの毒牙にかけられた人がいるなんて思わなかったわ。詳しく聞きたいわね……!」


 と、そのシャルレスの横で燃え上がる焔。こちらは間違いなく神能“神之焔ブレイズ”が発現していた。不思議なことにレインの体感温度はさらに下がった。


 ……ああ、俺ってやっぱりここで死ぬんだ。


 二方向からの殺意に、ついにレインが覚悟を決めたとき――


「……! ちょ、ちょっと待って、通信です!」


 ブルブルと震えたのはレインの背に吊っていた〈タナトス〉。刀身に嵌め込まれた学園の徽章バッジが振動しているのだ。

 一見すると単なる徽章だが、魔法を応用した通信機能を持つ。振動は通信が届いた合図だ。

 レインが通信を許諾すると、女性の声が聞こえた。


『レインか? 私だ、ノルンだ』

「ノルン教官? どうしたんですか、突然」


 通信の相手はノルン・アイリス。レインたち四人が所属するクラスの担任教官であり、同時に学園長の補佐役でもある。普段は滅多に通信などしてこないのだが、今日は特別な用件があるようだ。


『一つ聞きたいのだが、君のところに学園長はいないか?』

「ああ、ミコトさんならここにい――ません!? 逃げました!」


 視線を巡らせたときにはミコトは既に近くにはいなかった。見れば恐ろしい速さで彼方へと走っていく。


 状況を飲み込めず困惑するレインに声が響く。


『ちっ、勘づかれたか。今君は誰といる?』

「アリア、アルス、シャルレスといます。一体何がどうなって――」

『詳しいことは後だ。とりあえず今は皆と協力して学園長の足止めを!』


 訳も分からぬまま、「は、はい!」と返事をしてレインはミコトの後を追う。


「? どうしたの、レイン君?」

「分からん! けどノルン教官から、ミコトさんを足止めしろって指示が出た! 手伝ってくれ!」


 レインが走りながら叫ぶと同時、レインたち四人にノルンを加えた五人での集団通信が接続される。


『唐突ですまないが、協力してほしい。そこの学園長は自らの仕事を放棄して君たちのもとに向かったのだ。ただでさえ我々教官にとって白金週間プラチナムウィークは忙しい時期だというのに、長がいないとなれば仕事にならない』

『――私がいくら書類を捌いたと思っているんだ? これくらいの休暇をとってもバチは当たらないだろう。それに、シャルレスの水着姿を見るくらいの褒美はあって然るべきだ』


 平然と通信を不正介入ハッキングしてきたミコトはそう言うが、明らかに二つ目の理由が占める割合が大きいのだろう。身内、というかシャルレスを溺愛しすぎていると思うのはレインだけだろうか。

 アリアやアルスの目も半ば呆れたものになっている。シャルレスに至っては走り出してすらいなかった。


『学園長の言い分は後で聞くとして、捕獲を頼む。もし成功できたら……そうだな、白金週間明けの課題提出を免除してやろう』


 しかし、ノルンのその一言で。


「「……本当ですね?」」


 ――黒髪の少年と赤髪の少女の目つきが変わった。


『約束しよう。学園長を捕獲し、憂いのない午後を過ごすといい』

「だそうだ。行くぞ、皆。何がなんでもミコトさんを捕まえる!」

「え、だって今日って白金週間最終日だし、課題も終わってるんじゃ――」

「行くわよアルス! 課題云々は一切関係ないけど、ノルン教官からの依頼だもの!」

「さっきまでアリアさんやる気全くなさそうだったよね? はあ……ま、いいけどさ」


 走る速度を上げたアリア、アルスがレインに追い付く。二人とも既に抜剣しており、準備は整っていた。


『目標は学園長の捕獲、よろしく頼む。健闘を祈っている』

「「「了解!」」」


 ブツッと通信が途切れる。ここから先、徽章による通信は使わない方がいいだろう。ミコトの不正介入が考えられるし、そもそもこの三人に言葉による意思伝達など必要ない。


 目標はあくまでミコトの捕獲。つまり絶対的な束縛が必要になるのは明白だ。三人の中でその点において最も優れているのは言うまでもなく――


 基盤となる共通認識さえあれば、各自がやることは自然と決まってくる。三人が各々の個性と特徴を理解していればこそ、互いの思考回路をよく把握しているからこそ、アイコンタクト一つで役割と優先される行動が決められた。


「……行くぞ!」


 こうして、ミコト捕獲作戦は始まった。

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