1 たまには、ほんの休日を
「そういえばさ、レイン君って今週末の予定は決まってる?」
アルスからその話題が持ち出されたのは、とある放課後のことだった。
シャルレスが正式に学園に入学することになってから早一週間。クラスメートが一人増え、教室も随分と騒がしくなり――なんてことは全くなかったが、シャルレスもようやく学園の雰囲気に慣れてきつつあるところだ。正式入学した当初こそ質問攻めにあっていたものの、今では物珍しげな視線もすっかりなくなり、クラスの一員として認められてきている。むしろその超然とした気配、そして神器使いとしての実力から、ある種の崇拝すら受けるほどになっていた。
今教室に残っているのは、レイン、アリア、アルス、シャルレスの四人だけ。授業はとっくに終わっていたが、四人だけは神器使いとしてのこれからの活動について秘密裏にミコトに呼ばれ、今しがた学園長室から帰ってきたところなのだ。
「今週末……? ……ああ、そっか、もう憂雨も明けたもんな」
暦を思い浮かべて、レインはアルスの問いの意図に気付く。
今週末からは、ゴルジオン国民が待ち望んだ、白金週間と呼ばれる大型連休が始まるのだ。ジメジメとした憂雨を過ぎ、一気に夏へと向かうこの時期にゴルジオンは大きく盛り上がる。
神騎士学園の生徒と言えどそれは変わりなく、この期間は学園も休講となるために多くの生徒が帰郷し、あるいは王都へと繰り出して遊び倒すことになる。滅多にない大型連休は、日々辛く苦しい修練を重ねる生徒たちにとってはまさしくオアシスのような存在だろう。
「んー、別に決まってないな。特にやりたいことがある訳でもないし……アルスは? あ、もしかして公務が入ってたりするのか」
神王国ゴルジオンの王位継承権第三位でありながら、将来的に王位を継ぐことが確実視されているアルスには、王族としての責務が常に付いて回る。国民にとっては休日でも国を治める者としてはそんな暇はないのかとレインは思ったが、
「ううん、今年は何にも。ナガル兄さんが僕の替わりに仕事を引き受けてくれたんだ。『学生の今の内に遊んでおけ』だってさ」
アルスの兄、ゴルジオンの第二王子であるナガルは確か城で様々な実務に当たっていたはずだ。以前に悪魔化してしまった影響はほとんどなくなり、国を思う一人の王子としてやってくれているとレインは現国王ウルズから聞いた。
どうやらそのナガルがアルスの分まで仕事を肩代わりするらしい。「兄貴面したいだけだよ」というアルスの顔は、それでも嬉しそうだ。
「だから僕はしばらく暇なんだ。アリアさんとかシャルレスさんは?」
「別に予定はないわ。せいぜい修練するくらいかしら」
「私も暇」
いつも通りの返答をする二人。つまりこの場にいる四人は、せっかくの白金週間中に何もすることがないという事態に陥りかけているということで。
「……あー、と……」
この何とも言えない物悲しさを紛らわせようとレインが案をひねくり出そうとしたとき。
「あ! じゃあさ、皆で泳ぎにいかない?」
アルスから為されたのは、そんな提案だった。
***
視界の横幅目一杯に白く輝く砂浜。辺り全てをジリジリと灼く日光。そしてその光を反射し美しく煌めく水面。
まさしく絵に描いたようなビーチがそこにはあった。
「…………ほんとにこんなとこあったのか」
そう呟くのは黒い下着――否、水着とサンダルだけを身につけたレイン。黒髪が恐ろしい速度で熱を持っていくのを感じながらも、ひとまずはこの景色を眺めておくべきだろうとレインは一人そこに立っていた。
ここはアロン島。神王国ゴルジオン第二街区のおよそ中央に存在するメガロクス湖に浮かぶ孤島である。
神王国ゴルジオンは大陸の北部に位置する内陸国であるため、領土内に海と接する土地はない。最も近くの海は国を出てしばらく西に進んだ後に到達できる大陸西岸のウェステルゲ海だが、馬を使っても優に二週間、しかも道中は安全の保証もできない公領であるために、わざわざそこへ出かけるものはまずいない。故にゴルジオンに暮らす者の中には海というものを直に見ずに生を終える者も少なくないのだ。
だからこそ、まさかアルスの「泳ぎに行く」というのが海――正しくは海ではないがそれに類するもの――に行くということだとは思ってもみなかったが。
「暑いな…………」
久しく感じることのなかった肌が灼ける感覚は、普通であれば海への期待の気持ちを高めてくれるものなのかもしれない。しかしレインにとっては単なる不快感でしかなかった。そもそも外で遊んだ経験があまりないために、一体どのような気分で待てばいいのかが分からないのだ。
とりあえず他の三人に抜け駆けして涼むのはマナー違反というものだろうと、レインはただ砂浜に突っ立っているのである。
「あれ、何でそんなところに立ってるの? レイン君」
「アルス……いや、勝手に入るのも悪いなと思って――……」
何気なく振り返ってレインは言葉を失う。
――アルスが羽織っていたのは薄手のパーカー。アルスの華奢な体に比べてかなり大きく、裾が膝の辺りまで伸びている。サイズの関係で胸元も大きく開いており、鎖骨と白い肌が見えている状態だ。何というか……非常に危険だった。具体的に何がとは言わないが、危険だった。
「……あ、これ? 本当は僕も水着だけになりたいんだけど、肌が弱くてさ。すぐに日焼けして痛くなっちゃうんだ」
「……あ、ああ、そうなのか。なら良かった」
「良かった……って何が?」
「ん、あ、いや、何でもない」
驚きと納得と安堵を感じて不自然な返答をしてしまったレインをどう思ったのかは分からないが、アルスは追求せず海へと興味を向けたようだ。この島に足を踏み入れるときにも海の景色は見たはずだが、こうして真っ直ぐ対面すればまた違う感慨を抱くものなのだろう。
「で、あいつらは?」
「さあねえ。女の子は時間かかるって言うし。心配なら様子を見てきたらいいんじゃないかな」
「それは遠回しに『死んでこい』って意味であってる?」
いい加減この灼熱地獄にも耐えられなくなってきた。目の前に広がる海に入るためにも早く女子たちに来てほしいのだが。
海とは真逆の方向を向くと、さして離れていないところにコテージがぽつんと建っている。アリアとシャルレスが中で着替えているはずのあれが、どうやらこのアロン島で唯一の建造物らしい。そもそもこの島は王族が私的に保有する土地であり、一般人がおいそれと入れる場所ではないのだ。
ちなみに円形の島はぐるりと一周を砂浜で囲まれており、中心部にはそれなりに深い森が広がる。とはいえそもそも島自体がさほど大きくない――二十分も歩けば島を一周できる――ために迷うようなことはないだろう。真っ直ぐ進めばいつかは砂浜に出るのだから。
「あ、来たよ、レイン君」
ぼーっとそんなことを考えていたときに唐突にアルスの声が聞こえた。熱気にやられかけていたレインがコテージの方を見ると、確かにこちらへ歩いてくる二人の姿があった。
「遅くなった」
「お、おまたせ。待たせちゃってごめん……」
やがて目の前に立った二人に、思わずレインは言葉を失う。
右に立つのはアリア。細く滑らかな曲線が描く肉感には何とも言えないものがある。豊満な胸にしっかりとくびれた腹部、細くありつつも確かにしなやかな筋肉をまとう太股に至るまで全てが美しい。赤いビキニはぎらつく太陽の下でさらに燃え上がって視線を惹き付け、その水着を隠そうとするように体を小さくよじるアリアの紅潮した表情はいつもとはまるで別人だ。
左に立つのはシャルレス。真っ白な肌は今まで日の光を浴びたことがあるのかと疑うほどに穢れない。アリアとは対照的に一切の無駄を削ぎ落としたようなスタイルで、まるで人形のようだ。そしてそんな体を覆うのは上下が一体となった紺色の水着。初、中等学校の女子生徒が着るようなタイプで、この砂浜にはいささか違和感を持って映りこそするが、そのギャップが逆にレインの胸をざわつかせる。
端的に言えば、二人ともレインの想像以上に綺麗だった。
「……ちょっと、黙ってないで何か言いなさいよ。恥ずかしいじゃない…………」
「私も感想が欲しい」
「うえ?」
ハッと我に帰ったレインの口から出たのは呆けた声。突き刺さるような二人の視線を感じ、不自然に視線を逸らしながらもレインは何とか感想を口にする。
「あー、その……綺麗…………かも」
「かもって何よ!?」
「説明を求める」
「それはないよレイン君」
「何でアルスまで!?」
二方向プラス一方向から一斉に叩かれたレインは、一息置いてから「さあ泳ごうぜ!」と誤魔化して海へ走りだした。炎天下に晒されるのはもう限界、やっと海に入って涼むことができるのだ。背後から迫る三人の足音は聞かないことにして、波打ち際で思い切り踏み込み――
「〈瞬間凝固〉」
「え」
――今まさに跳ぼうとしたはずの足がガッチリと固定され。
「〈響き渡る空間〉」
「あれ?」
――レイン全体を包み込むような振動の空間が形成され。
「〈絶焔――」
「ちょっと待ってごめんって綺麗だったよ! てか何で神器装備してんの!?」
レインの悲痛な叫びの後に、無慈悲な爆発音が轟いた。




