118. 花束 (美咲視点)
「倉内くん、麗が進行からブーケトス外して欲しいって。野沢さん、悪いけど今麗にそのブーケ渡してもらえる? 」
歓談時間も残りわずかとなった頃、山内さんに声をかけられた。彼らの高校時代の同級生が結婚を視野に入れたお付き合いを始めた事が判明したらしい。
「もともとブーケトスはちょっと微妙って話も出てたくらいだし、ちょうど良いんじゃないかな? それにその方が映える」
ブーケトスを進行から外すのが麗ちゃんの意向であり、倉内さんも賛成している以上、反対する理由はない。むしろ、私自身もブーケトスをしない事に賛成だ。倉内さんが発した『映える』という言葉の意味はイマイチよくわからなかったけれど、確かに歓談中でもブーケを渡すシーンは良い写真が撮れそうなので「そうですね」とそれらしい相槌を打っておいた。
「すぐ用意しますね」
ブーケが用意してある控え室へと急いで向かう。
若い頃はそれこそ挙って参加するブーケトスも、私達みたいな微妙なお年頃になると参加し難い。特に私の様な相手もいない独り者にはブーケは欲しいけれど、醜態は晒したくない、けれど是非ともキャッチしたいという葛藤がループとなる。
既婚者の多い会でのブーケトスとなれば、まるで晒し者にされてるみたいで嫌、なんてよくある話だ。
以前の打ち合わせで麗ちゃんもそんな事を気にして迷っており、「ダミーがあっても良いかも」と呟いていたのを私は聞き逃さなかった。ダミーという表現を少し不思議に思ったけれど、用意しなくて後悔するよりも、用意して使わなかったという方が良いと思う。
「ダミー」とは、花嫁が持ち歩いているブーケではなく、トス用に作られた花束の事らしい。説明された時、なんだか麗ちゃんが慌てていたのが気になったけれど、投げた時の衝撃に耐えうる様に比較的丈夫な花を使ったり、色々な工夫がされているのだという。
麗ちゃんが用意したのは、打掛を来た時に髪に飾った花をメインに作ってもらったものだ。ちゃんとゆかりのある花を使うあたり、麗ちゃんらしい。
私は紙袋に入ったままのトス用ブーケを持って、麗ちゃん達のいる会場の後方へ向かう。後方から近づき、麗ちゃんの肩をそっと叩くと待ってましたといわんばかりの笑顔。そんな麗ちゃんにありがとうと言われれば、それまで張り詰めていた緊張もほぐれ、頰が緩んでしまう。
「奈津子ちゃん、トスする予定だったブーケ、受け取ってくれないかな?」
浅井さんに一時的に持ってもらっているスモーキーカラーのブーケを少し持ち上げて、「こっちじゃなくてごめんね」と言いながら渡したトス用のブーケ。キリリとした雰囲気のその人には大ぶりで真っ赤な花を使ったブーケがよく似合う。
「麗ちゃん、本当に私がもらって良いの?」
「勿論、ぜひぜひ受け取って。奈津子ちゃんも委員長もおめでとう!」
「麗ちゃーん、ありがとう!」
奈津子さんは涙目で麗ちゃんからブーケを受け取り、麗ちゃんに抱きついていた。そんな二人を、浅井さんと委員長と呼ばれた彼が優しい目で見守っていて。麗ちゃんも奈津子さんも愛されているんだっていうのがよくわかる。
私は、その輪からそっと抜け出した。ちょっとした同窓会状態となったその輪は、部外者の私にはちょっと居心地が悪い。
麗ちゃんと浅井さん同様に、高校の同級生同士の二人。あっという間に当時のクラスメイト達に囲まれて——少々手荒い気もしないでもないが——皆からの祝福を受けているのだ。
そんな光景が微笑ましくもあり、羨ましくもある。
もらった人が次の花嫁になれるとか、幸せのお裾分けなんて言われている花嫁のブーケには憧れがあるけれど、それ以上にみんなに祝福されている事が何より羨ましい。
今日の倉内さんは妙に積極的で、いつも以上に思わせ振りな態度を私に対して取ってくる。距離もとても近い。披露宴中、気付かぬうちにそんな写真を撮られていたらしい。
歓談中のスクリーンに映し出されているのを目にした私は、驚くとともに頰に熱を集まるのを感じた。それから倉内さんと浅井さんの同期の人達に冷やかされて舞い上がってしまった。
だけれど、熱に浮かされていたのは一瞬だった。
『ちょっと優しくされたからって勘違いしないで欲しいよね』
そんな一言であっという間に現実に戻された私は、居た堪れない気持ちになってしまった。裏方で動く事に意識を集中させ、中傷は拾わない様に、聞こえても気にしないようにして過ごしてはいる。
けれど、突き刺さるような視線や時折耳に飛び込んでくる不満げなため息が心をかき乱す。
私に任されている事は難しくはないけれど、やはり恙無く会を進める為には必要な事だ。投げ出す訳にはいかない。
お祝いムードを壊すようなトラブルなどあってはいけない。気を張っているからこそ気丈でいられるけれど、いつもの私ならば逃げ出したくなるような状況に疲弊していただろう。
私はそんなに気が強くもないし、負けず嫌いという訳でもない。どちらかと言えば、逃げ出すとか泣き寝入りをする様な情けないタイプだ。
ここにいる、浅井さんの仕事関係のゲストのうち、およそ3割が興味本位で来てしまった人達だ。もちろん、興味本位ではあるけれど、祝福する事を目的で来ている人だって確かにいる。けれどその中のごく一部ではあるけれど、倉内さんや、信じられないことに浅井さんとお近付きになりたいが為に来ている人もいるのだ。
いくら浅井さんが参加を承諾したとは言え、彼女達の思い通りにさせてはいけない。彼女達が何かやらかすのではとの不安は拭えない。
数日前、ロッカーやトイレで聞いたのは、会ったこともない麗ちゃんに対する嘲笑だった。
「婚約破棄された女とか、場合によっちゃワンチャンあるんじゃない?」なんて発言にはびっくりした。どこから聞きつけてきたのかわからないけれど、麗ちゃんの過去についての情報が耳に入っていたらしい。
私自身に対する陰口も大概だったけれど、麗ちゃんに対するそれは比べ物にならないくらいタチが悪い。
それを知っている浅井さんは、これでもかというくらい彼女達に麗ちゃんとの仲の良さを見せつけている。どう見ても浅井さんが溺愛しているのは間違いないし、麗ちゃんだって思い切り惚気ているし。
ワンチャン狙っていた子は、想像していたものとは真逆の光景に驚きを隠せなかったようだ。彼女達の中では、「浅井さんの優しさにつけ込んで結婚を迫った女」という設定は儚くも崩れ去ったに違いない。
倉内さんは倉内さんで、上手に彼女達をあしらってかわしている。
それならばと、麗ちゃんや浅井さんのお友達へのアプローチを試みたようだが、服装や言動で悪目立ちしている彼女達は明らかに浮いていたし、すでに浅井さんのお友達には麗ちゃんのお友達が紹介されて盛り上がっており、入り込める状況ではなさそうだ。
彼女達の勢いをなくしてゆく様子に、私は心の中で爽快感の様なものを覚えた。
暇を持て余しているらしい彼女達の怒りの矛先が、私へ向かっていているのに気付きもせず。
「足痛いんでぇ、椅子持ってきてもらえませんかぁ?」
「私たちずっと立ちっぱだし。ほんとヒール辛いよねぇ」
嫌な笑みを浮かべながら、近づいてきているのに気付いたものの、時すでに遅し。あっという間に3人に囲まれてしまった。
「ごめんなさい。椅子は譲り合って座ってもらうことになっているから……」
「そんなこと言われても、3人分の席なんて空いてないから頼んでるのにね」
「参加人数と会場のキャパの関係で仕方ないんです。だから譲り合って……」
「座ってる人に退けって言えって事なんですかぁ? 言えないから頼んでるんですけどー」
お酒が入って気が大きくなっているのかもしれない。会場は賑やかだとは言え、このまま騒ぎ出したら場の雰囲気は壊れる。下のフロアにも席を用意しているが、それを案内したら怒り出しそうなので下手な事は言えない。
「もうすぐ浅井さんからの挨拶があるので、それまで我慢してもらえませんか?」
「30越えてる人の『もうすぐ』って全然すぐじゃないんだよねー。っていうかもう終わっちゃうの? 浅井さんと話せてないんだけど。倉内さんも忙しそうだから話しかけられないし」
ああ言えばこう言うとは、まさにこの事だろう。
無茶を言う客先への対応へ似ていると思いながら、なるだけ丁寧に応じるよう心がけたが、彼女達には全く意味がなかった様だ。
「っていうか、野沢さんって今日はゲストじゃなくてスタッフなんでしょ? ごちゃごちゃ言ってないでさっさと働けって話なんだけど」
「裏方にかこつけて倉内さんに構ってもらおうなんてほんと浅ましいっていうか図々しいよね」
「ちょっと構ってもらえたからって、勘違い酷すぎだし」
酔っているのか、エスカレートする彼女達の物言いは流石に傷付く。けれどただ傷付いてばかりではいられない。
「私個人へ対する不満でしたら閉宴後お伺いいたします。ですが今はお祝いの席なので、この場にそぐわない発言は慎んで頂けますか」
「はぁ? 調子に乗るのもいい加減に……」
「ちょっと……まずいって……」
彼女達の中から諌める発言が出たのは、私の毅然とした態度で接したのが功を奏した、そう思いたかったけれどそうではなかったらしい。
背後から聞こえた聴きなれてはいるけれど、いつもとは違い威圧感のある声に、思わず私は萎縮してしまった。
「そうだね、調子に乗りすぎるのは良くないね」
「きゃー、倉内さん! 野沢さんってば酷いんですよ? 足が痛いって言ってるのに、我慢しろだなんて」
「ごめんね。だけど予定よりも大幅に人数増えてしまったから椅子が足りないのは仕方がないんだ」
彼女達の態度が急変するであろう事は理解していても、その変わり身の速さを実際目にすればびっくりせざるを得ない。
それ以上に、倉内さんの嫌味に気付いていない事の方が私には驚きなのだけれど。
「どうしても座りたいなら、下のフロアの席を案内するよ……ただ、そうすると浅井からの〆の挨拶が聞けなくなっちゃうんだよね」
「二次会、もう終わっちゃうんですか?」
「私達、浅井さんとお話しできてないのに……」
「お開きの後でよければ、浅井と話できる様に取り計らうよ」
「さすが倉内さん、よろしくお願いしまぁす!」
「じゃあ、足が痛いのはもう少し我慢してね」
「はぁーい!」
一見にこやかそうに見えるが、倉内さんはかなり機嫌が悪そうだ。きっと彼女達だけでなく、彼女達とトラブルを起こしてしまった私に対しても苛立たしく思っているのだろう。
「謝辞、すぐ準備して」
「はい」
目も合わせずにそう言われれば、胸にズキンと刺されたような痛みを感じる。けれど、今は傷付いて感傷に浸って良い時じゃない。
私は打ち合わせをしていた通り麗ちゃんと浅井さんに声をかけ、高砂へ移動してもらった。
こんなにも幸せそうな空間で、しけた顔をしていてはいけない。そう言い聞かせる。幸い、麗ちゃんと浅井さんの姿を見ていればその仲睦まじさが微笑ましくて、自然と笑みがこぼれた。
「本日はお忙しいところ、私達のために集まり頂き誠にありがとうございました。本日は遠方からも多くの方々にお越し頂き、本当に感謝しております。あっという間ではありましたが、お楽しみいただけましたでしょうか。皆様よりの温かな祝福の言葉に、一層『結婚した』という実感が強くなりました。こうして楽しい時間を過ごすことが出来て、麗共々大変嬉しく感じております。本当にありがとうございました。また、この様な会を催すにあたり、尽力して下さった立花さんご夫妻を始めとした麗の元職場のスタッフの皆様、準備を進めてくれた友人達にはこの場を借りて感謝の気持ちを伝えたいです。本当に、ありがとうございました」
浅井さんが一礼すると、会場内から割れんばかりの拍手が起こった。厚かましいかもしれないけれど、『準備を進めてくれた友人達』に自分が含まれているんだと思うと嬉しくなる。
「中でも、会の取りまとめを買って出てくれた同僚の倉内と野沢さんには特に感謝しています」
「倉内さん、美咲ちゃん、本当にありがとうございました」
まさか、名前を出してまでお礼を言われるだなんて思ってもいなかった私は、二人に向かって会釈をするので精一杯だった。
浅井さんと麗ちゃんに手招きをされていたのに、まさか自分が呼ばれているなんて気付けなくて。
「ほら、行こう」
主役の二人までの距離は5メートル程だというのに、私が気付けなかったせいてその距離を倉内さんにエスコートさせてしまい、居た堪れない。しかも、会場中の視線が私達に集まっているなんて。
「美咲ちゃん、是非受け取ってね」
「え、嘘……」
「美咲ちゃんに受け取って欲しいの。これからも、夫婦共々仲良くしてください」
「麗ちゃん、ありがとう……」
麗ちゃんから受け取ったブーケはズッシリと重かった。これが、幸せの重さなのかもしれない。
花嫁のブーケをもらうなんて初めてだ。
「花嫁のブーケ程の効果があるかわからないけど、倉内にもこれな。俺が野沢さんとお揃いなのも変だし」
「浅井、ありがとう」
そう言われると、ブーケと対になってるブートニアを浅井さんが挿したままなのは変な気がしてくる。かと言って、倉内さんとお揃いなのも気が引けてしまうけれど……
倉内さんは浅井さんからブートニアを受け取り、ジャケットの胸ポケットへ挿し込んだ。そして、マイクを浅井さんから受け取った。
「昔から、花嫁のブーケを受け取った女性は幸せな結婚が出来ると言われていますが、私達も二人から受け取ったブーケとブートニアという幸せのバトンにあやかって、良いご報告が出来るよう頑張りたいと思います」
突然湧き上がった拍手と歓声。その中心に自分がいる事が信じられない。気付けば、倉内さんに引き寄せられており、彼の左手は私の肩へ回されていた。
彼は何を言ってるんだろう。これじゃあまるで私と倉内さんがもうすぐ結婚するみたいじゃないか。
「ちょっと、倉内さん!」
「別に俺たちが付き合ってるとも、ましてや結婚するとも言ってないよ。『いい報告』なんて幾らでも解釈のしようがあるし。俺としては、『いい報告』が『結婚の報告』で、その相手が美咲であって欲しいと思っているけれど」
きっと彼の言葉は拍手と歓声にかき消されて周りには聞こえていない。けれど私の耳元で囁かれたそれは、私にははっきりと聞こえていた。
「美咲は、どう? 頷いてくれたら必ず幸せにするから」
私が頷くと、今まで見た事ないくらい甘い笑顔を浮かべる倉内さんが隣にいた。
以上をもちまして完結とさせていただきます。
長い間お付き合いいただき、またお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。
蛇足部分を活動報告に上げておりますので、興味のある方はご覧いただければ幸いです。




