8 役者は舞台に集う(1)
馬車が止まり御者が扉を開ける。エスコートされながら馬車を降りたレヴィ家姉妹は今夜の舞踏会の会場である屋敷を見上げた。
レヴィ家も高貴な家柄であるため屋敷は大きく、華やかな情景にも慣れている。しかし目の前の屋敷は威容を誇る堂々とした佇まいでノエルを圧倒した。夜ということも荘厳な雰囲気に拍車をかけている。
「さすがは公爵のお屋敷……」
「そうね。私も初めて来たけれど、とても立派だわ」
「カーティス卿は宰相である以前に現国王の弟君だ。王家の分家筋の家系は特に恵まれているんだよ」
他の馬車に乗っていたヒューイが娘たちと同じように見上げる。その横顔は侯爵という名に相応しいほど引き締めた表情をしていた。舞踏会といってもほとんどは貴族同士の駆け引きの場だ。油断など見せられない。
「そうね。ここは何度訪れても圧倒されてしまうわね」
自然な動作でヒューイの腕を組み隣に立つのは、ヒューイの妻であり姉妹の母、スザンナだ。四十路を迎えるも若き頃の美貌の片鱗が垣間見える。元祖ローウェル国の女神であり、金髪と若草色の瞳、そして他を魅了する美しさはしっかりとソフィアに受け継がれていた。
「いきましょうか、あなた」
スザンナが声をかければヒューイは口元を緩ませ完璧なエスコートで魅せる。父は母を溺愛しており、ヒューイの猛アタックの末に結ばれたのだそうだ。時折、ふたりの間の独特の空気に入ることができないときがある。そのため余計に幼い頃から優しい姉ばかりを追いかけていた。
無意識にソフィアに寄り添うと、安心させるような微笑みが返される。ふたりは両親に次いで、カーティス公爵から送られた招待状を手に屋敷に入った。
肌寒い秋なので屋敷内の暖かさに和むが、瞬く間に会場の人間の視線を感じて体を強ばらせた。一手に視線を集めているのは隣のソフィアだから自分が緊張する必要がないのに、ノエルの手にじんわりと汗が滲んだ。
今夜のソフィアは一段と美しかった。フリルをあしらったラベンダー色のドレスを上品に着こなし、小花のアクセントが可憐な印象を与えた。輝く金髪をアップスタイルにし、ドレスと揃えるように小花を使った髪飾りが添えられている。
優美な姿はどこにいても目を引く。実際に周囲の男性は恍惚としてソフィアを見つめ、賞賛の言葉を口にしていた。
「相変わらずソフィア嬢はお美しい。いや今夜はいつも以上に輝いている」
「さすがはローウェル国の女神だな」
「ああ。……しかし、隣が、なあ。妹君も相変わらず平凡だな」
「こらこら。聞こえたらどうするんだ。ソフィア嬢との結婚は妹君に気に入られるかどうかなんだぞ。失礼のないようにしないとならないんだからな」
……しっかり聞こえていますけど。
ノエルは頭に血がのぼるのを必死に堪えた。というか五人の候補者以外でまだ姉の結婚を狙っていたのか。図々しい。一度、自分の身分と顔と性格を顧みて出直してこい!……などと叫ぶこともできず、ただひたすらに薄っぺらい笑みを貼りつけながら両親と美しい姉とともに舞踏会参列客の挨拶に回っていた。
「どうしたの、ノエル。顔が引きつってるわよ」
「何でもない。大丈夫だよお姉様」
気遣う言葉に対しては素直に返すことができた。純真なソフィアに自分の影口を聞かれていなくてよかったと思う。
姉と比べれば自分は見劣りするなどわかりきったことだ。自分は母ではなく父に似て平凡だ。シフォン素材でできたアクアマリンのドレスを着ても茶髪を編み上げても、姉のような上品さや可憐さは全く出せていない。レヴィ邸を出る前にハルに褒められたが、あの青年は人を傷つける言葉を絶対に口にすることがないので、今ひとつ受け入れられなかった。
艶やかな姉に劣等感は抱いていない。ただ、どこまでも地味な己が情けないのだ。
「そう?舞踏会なんて久しぶりだから緊張してしまうのよ。あなたが大丈夫ならずっと側にいてほしいわ」
「本当に大丈夫。側にいるから安心して」
「ありがとう、ノエル」
共にいることはこちらにも願ってもないことだ。虫が寄り付かないように目を光らせることができる。姉の引き立て役にもなれるのなら本望だ。
「カーティス公爵。今夜はお招きいただきありがとうございます」
父の明るい声が耳に入り、振り向けば少しくすんだ金髪を撫でつけた今夜の主催者が立っていた。凛と背筋を伸ばしヒューイと握手を交わす姿には気高さが感じられ、宰相と呼称するにふわさしい貫禄がある。
「こちらこそお越しいただき感謝しております。お美しい方々をお連れのようだ」
「ははは。紹介しましょう。妻のスザンナと娘のソフィアとノエルです」
「なんと、ソフィア嬢か!かのローウェル国の女神と讃えられる女性と直接お会いすることができて嬉しい限りだ。息子が惚れてしまうのも無理はない」
「初めてお目にかかります、公爵様。勿体無いお言葉ありがとうございます」
「謙遜する必要はないよソフィア嬢。奥様の美貌も変わりませんな」
「あらいやだわ。カーティス卿も口達者なところはお変わりありませんのね」
優雅な会話を繰り広げている光景を前に、ノエルは自分が蚊帳の外にいることをひしひしと感じ取っていた。声をかけられるほど目立つ容姿ではないし自慢することも持ち合わせていないので当たり前であり、慣れた光景だ。じっと終わりを待つことが最適。
「アラン殿にもご挨拶したいのですが」
「ああ、息子ならどこかに埋まっているのではないかな」
「埋まってるとは……?」
「ほら、あそこだ」
カーティス公爵が指した先に目を向けると人だかりができていた。主に着飾った若い女性の。その中心には困った顔で受け答えするアランの姿があった。
「おやおや。ご子息は人気者ですな」
「まったく。ソフィア嬢がいらしているというのに会いに来ないなど。息子に代わって謝罪しよう」
「お気遣いなさらないでください。まだ時間はあるのですから。なあ、ソフィア」
「ええ。余裕のあるときで構いませんわ。いつかお話したいと思っていましたから楽しみです」
にこやかに話を続ける両親たちの言葉を聞き流しながら、ノエルはというと並べられる料理に意識を向けてしまっていた。豪勢な料理の数々にごくりと唾を飲む。
「おいしそう……」
いい加減お腹が空いてしまって何か口にしたい。腹の音が今にも鳴りそうで、屋敷を出る前に軽く食べておけばよかったと後悔した。
少しくらいこの場から外れても大丈夫かと逡巡する。踊る前に食事をとることは意地汚いかもしれないが、自分が消えても影が薄いから気づかれないだろう。それに姉も両親が一緒なら安心だ。
すぐ戻ってくるからと頭の中で言い訳し料理に向かう。さすが公爵の舞踏会。どれも食欲をそそるものばかりで、嬉々として目を配らせる。
どれにしようかと小躍りしそうになっていると、唐突に隣から気配を感じた。小首を傾げながら振り返った途端、目に入った人物に思わず口をひん曲げてしまった。
「おまえは食い意地が強すぎ……って何その顔。王子である僕に対して失礼じゃない?」
そこには白を基調とした正装に身を包んだアーネストが見下ろしていた。