第9話:最後のボタン
「……ぐわ?」
小さな声に、石崎が顔を上げる。
だっくは操作卓の奥を見つめていた。
警報画面で隠れていた操作卓の奥には、透明な安全カバーに覆われた大きな赤いボタンがある。
そのボタンには、説明書きがなかった。
ただ、押されることを想定して作られたように、赤く、重く、そこにあった。
「あ……」
石崎の顔から血の気が引いた。
「だっくちゃん。それだけはダメ」
「ぐわ?」
だっくは石崎を見上げる。
「触っちゃダメだから」
「ぐわっ」
小さく頷く。
石崎はほっと息を吐いた。
「そう、そのまま――」
カパッ。
安全カバーが開く。
「……え?」
石崎の笑顔が凍りつく。
だっくは羽を振った。
「ぐわっ♪」
今まで見た中で、一番大きな赤いボタン。
興味を持つには十分だった。
「待って!」
石崎がガラスを叩く。
「それは押しちゃダメ!」
「ぐわっ!」
勢いよく頷く。
そして。
足を上げた。
「だっくちゃぁぁぁん!!」
カチッ。
カチッ。
カチカチカチカチ。
何度も赤いボタンを踏み続ける。
「ぐわっ♪」
《SELF DESTRUCT》
静かな女性の音声が、施設中に流れた。
一瞬だけ、誰も声を出さない。
石崎も。
施設長たちも。
実験区画の子どもたちも。
全員が固まった。
モニターには白い文字だけが表示されている。
《SELF DESTRUCT》
その文字を見つめたまま、石崎がゆっくり口を開いた。
「……え」
次の瞬間。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」
施設中に悲鳴が響いた。
轟音がすべてを飲み込む。
ドォォォォォォォォォォォン――――ッ!!
白い閃光が走り、世界が爆発音だけに塗りつぶされた。
◇
どれくらい時間が経ったのか分からない。
石崎はゆっくりと目を開けた。
視界に広がったのは、煙の流れる空だった。
身体を起こす。
辺り一面は焼け野原。
施設は跡形もなく崩れ落ち、瓦礫と黒煙だけが残っていた。
「……生きてる」
思わず呟く。
その時、小さな足音が近付いてきた。
てくてく。
振り返る。
「ぐわっ」
だっくだった。
いつもと変わらない顔で石崎の前まで歩いてくる。
石崎は力なく笑った。
「……無事だったか」
だっくは一度だけ鳴くと、くるりと向きを変え、てくてくと森の方に歩いていく。
石崎はその後ろ姿を見送りながら、小さく声をかける。
「……もうボタン押すなよ」
「ぐわっ!」
元気な返事だけが返ってくる。
だっくはそのまま森の中へ消えていった。
しばらくして。
森の奥から、カチッ。
小さな音が聞こえた。
石崎の表情が固まった。
「…………」
次の瞬間。
ドォォォォォォォォォォン!!
森の奥から巨大な爆炎が上がった。
鳥の群れが一斉に飛び立ち、遅れて爆風が吹き抜けた。
石崎は焼け野原の真ん中で立ち上がり、森に向かって声の限り叫ぶ。
「何押したぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
遠くの森から、楽しそうな鳴き声だけが返ってくる。
「ぐわっ♪」
「返事じゃなくて戻ってこいぃぃぃ!!」
石崎は煙を上げる森へ向かって駆け出した。
施設を出ても、どうやら彼の日常は変わらないらしい。
ただ、その頭上にはもう、彼らを閉じ込める天井はなかった。




