第1話:石崎君の日常
――某研究施設・地下実験区画
大企業が所有する巨大研究施設だった。
地上には最新鋭の研究棟が並び、多くの研究員が日々新しい技術を生み出している。
その地下深く、幾重ものセキュリティゲートを抜けた先には、一般社員でも立ち入ることのできない実験区画があった。
そこでは、育成プログラムに参加した子どもたちが暮らしている。
耳や尻尾を持つ子どもたち。
人語を話す獣。
そして、人とも動物とも少し違う命。
施設では、彼らをまとめて「セレーネ」と呼んでいた。
その一方で、地下のさらに奥には、外部との接触を禁じられた実験体たちもいた。
知能の不安定さ。
制御できない危険性。
そうした理由から、彼らは人目に触れない場所へ隔離されている。
この区画で暮らしているのは、その中でも比較的安定したセレーネたちだった。
もっとも、一人だけ彼らを「セレーネ」と呼ばない人間がいた。
「おはよう」
若い監視員の石崎海斗だった。
重い電子ロックが解除され、扉が静かに横へ開く。
その瞬間。
「ぐわっ!!」
白い小さな影が、羽をばたつかせながら勢いよく飛び出してきた。
一直線に、石崎へ向かってくる。
「おっと」
石崎は慣れた様子で抱き上げる。
「おはよう、だっくちゃん」
「ぐわっ! だっくです!」
嬉しそうに鳴きながら、石崎の腕の中で羽をぱたぱた動かした。
真っ白な羽毛。
黄色いくちばし。
小さな足。
見た目は完全にアヒルだった。
けれど、登録上はこの子も『セレーネ』の一体だった。
石崎はその頭を優しく撫でた。
「今日も元気だね」
「ぐわぁ……♪」
気持ちよさそうに目を細める。
その様子を見ていた奥の部屋から、ため息が聞こえた。
「……また一番乗り」
犬の耳を揺らしながら、ミルダが歩いてくる。
まだ十歳らしい幼さが残る少女だった。
「だっくだけずるい」
「順番だから」
石崎は笑って答えた。
その時、部屋の奥で本を閉じる音が響く。
「……だっく、早い」
ルナだった。
豹の耳と長い尻尾を持つ少女。
この区画では年長組に入る。
それでも、石崎を見上げる表情には、まだ子どもらしい素直さが残っていた。
「カイト、おはよう!」
「おはよう」
その声に続くように、コウが駆け寄ってきた。
「俺、お腹空いた! 今日のおやつある?」
その後ろから、ミーアも顔を出す。
石崎は苦笑しながら台車を押し込む。
台車の上には、朝食の皿と、湯気を立てる温かいミルクのカップが並んでいた。
「はいはい、まず朝ご飯。おやつはそのあと」
「ミーアもちゃんと並ぼうね」
「はーい!」
元気な返事が重なった。
◇
セレーネの管理は、本来なら当番制だった。
……建前では。
「石崎、今日も頼む」
「悪いな」
「お前慣れてるだろ?」
最初は「今日だけ」だった。
翌週には「今週だけ」になり、一か月後には誰も疑問を持たなくなる。
気づけば配給も、掃除も、健康チェックも、遊び相手も、部屋の片付けも、全部石崎の仕事になっていた。
それを当然のように押し付け、当然のように任せる。
それが、この施設の日常だった。
石崎は何も言わず、台車を押した。
「はい、ご飯」
一人ずつ皿を並べていく。
ルナは「ありがとう」と小さく頭を下げた。
ミルダは待ちきれずに席へ座り、コウはすでに二杯目を狙っていた。
ミーアは横からつまみ食いしようとして、
「まだ」
石崎に止められる。
「えへへ」
笑ってごまかした。
そんな中。
「ぐわっ!」
だっくちゃんだけは、石崎の足元から離れない。
「だっくちゃん。ご飯」
「ぐわ」
返事だけして、動かない。
石崎は笑いながらしゃがみ込んだ。
「いい子いい子」
頭を撫でる。
「ぐわぁ……♪」
ようやく満足したのか、てくてく歩いて自分の皿に向かっていった。
その後ろ姿を見ながら、ミルダが笑う。
「カイトしかみてないね」
「そうかもね」
石崎も苦笑した。
◇
昼休み。
研究員たちは食堂へ向かい、地下区画は少し静かになる。
石崎は保冷バッグを取り出した。
中から、小さなアイスを一つ取り出す。
「だっくちゃん」
「ぐわっ!」
だっくはすぐ飛んできた。
石崎は周囲を見回す。
研究員の姿はない。
「これは、アイスっていうんだよ。みんなには内緒だからね」
「ぐわぁいく!」
だっくは何度も頷いた。
石崎は小さく笑う。
スプーンでひと口すくい、くちばしの前に差し出した。
「はい」
「ぐわぁぁぁ……♪」
幸せそうに羽をぱたぱた動かし、その場で歩き回る。
「ずるい」
ミーアが頬を膨らませる。
「私も食べたい」
「俺も!」
コウも便乗する。
ルナは本を閉じ、小さく息を吐いた。
「カイト、怒られちゃうんじゃ……」
「見つからなければ大丈夫」
「……うーん、大丈夫かな」
地下の実験区画。
重い扉の向こうで、決められた時間に食事を運び、決められた項目を確認する。
世話を押し付けられることも多い。
正直、損な役回りだった。
それでも、不思議と嫌いにはなれなかった。
石崎にとって、ここは毎日笑い声が響く小さな居場所でもあった。




