第5話:不自由な嘘と、温かい秘密
【大和視点】
翌日、俺は昨日の酒で響いた重い頭を気にしつつ、いつも通り学園での作業を続けていた。
「おい見ろよ、昨日の勘違い作業員だぜ」
昨日の中庭の出来事を知る男子生徒たちが、すれ違いざまに嘲笑を浮かべて盛り上がっている。
だが、一部の女子生徒たちの反応はまるで違っていた。
「ご覧になって、あの方……作業服ですのに、耳のピアスがとてもお洒落でしてよ」
「颯爽とお仕事をこなして、時折お見せになるあの屈託のない笑顔……すっごく可愛らしいですわね!」俺が先輩との会話で見せるふとした笑顔に、令嬢たちが色めき立っているのが分かった。
いくら周りの目が変わろうと、俺の視線は無意識に六花の姿を探してしまう。
だが、遠くの校舎の窓から、いつものお嬢様の佇まいで静かにこちらを見つめる彼女の姿が見え、俺の胸は優しく締め付けられた。
### 【六花視点】
昼休み。私は周囲の目を盗み、一人で日陰の資材置き場へと足を運んでいた。
手には、ハンカチで包んだ小ぶりなお弁当箱。「……大和くん」
物陰から声をかけると、台車の整理をしていた大和くんが、飛び上がるほど驚いて振り返った。
「り、六花!? お前、何しよん!? 誰かに見られたら――」
「大丈夫、いま皆は食堂に行っとるけ。……これ、大和くんの分の、お弁当っちゃ」
「え……弁当?」
### 【六花視点】
「うん。お弁当、二つ作らせたんよ。……やけ、大和くんの分っちゃ」
大和くんの顔を見た瞬間、学園での『氷の姫』の仮面が嘘みたいに剥がれ落ちて、懐かしい北九州の言葉が次から次へと溢れ出してくる。
本当は大和くんのために、うちの手で一生懸命作ってあげたかった。
だけど、常に見張られているお屋敷のキッチンで突然お弁当を二つも作り始めたら、専属シェフに怪しまれて問い詰められてしまう。
そうなった時の言い訳がどうしても思いつかなくて、うちは泣く泣く、シェフに「今日は体育があって凄くお腹が空くから」と嘘の口実を作って、お弁当を二つ用意させたのだ。
本当は体育の授業なんてない。朝からずっと、大和くんにお弁当を渡すことだけを考えていたうちの、不自由で切ない秘密の嘘を、大和くんは知る由もない。
私は少し恥ずかしくなって視線を逸らしながら、お弁当箱を大和くんの手のひらに、そっとのせた。
### 【大和視点】
「ありがとな、六花。……これ、ここで一緒に食べようや」
俺は泥のついた手で嬉しそうにお弁当箱を開け、俺たちは足場の陰に身を潜めながら、お弁当を口に運んだ。じんわりと温かいご飯を噛み締めながら、俺がずっと胸にしまっていた疑問を口にする。
「六花、お前……小3のあの日、なんでいきなり居んくなったん?んでなんで苗字が『東雲』になっとると?」
昨夜、居酒屋の席で親方や先輩たちが口々に話していた、学園のホームページに載っているという『東雲六花』という名前。
いくら頭の中で整理しようとしても、俺が知っているこいつは小鳥遊六花だ。
だけど、世界はあいつを東雲六花と呼んでいる。
親方たちの言葉が本当に正しいのか、その事実を、俺は他の誰でもない、目の前にいる六花自身の口から確かめたかった。
凍りついたような静寂のなか、俺は六花が口を開くのを、じっと見つめた。
### 【六花視点】
大和くんのぶっきらぼうな問いに、私は箸を止め、寂しげに視線を落とした。
「お父さんとお母さんが急に交通事故で亡くなってさ……。そしたら、お母さんの伯父の『鳳 玄』っていう人がうちを引取りに来て、東京に連れてかれたとよ。東雲の家に籍を入れられて、それからはずっと、あの人の言いなり。……大和くんこそ、なんで東京におるん? ご両親はどうしたん? 小学校の時、あんなに成績良かったのに、なんで高校に行かんで働いとるん……?」
大和くんを見つめる私の瞳が、じわりと熱くなっていく。
すっかり大きくなって男らしくなった彼の背中は頼もしいけれど、作業着に染み付いた泥や、マメだらけの手のひらを見るたびに、言葉にできないもどかしさが込み上げてくる。
あんなに勉強ができて、将来は何にだってなれるはずだったのに。
東雲の家で人形のように生きることを強要されてきた私と同じように、彼もまた、自分の望まない理不尽な何かに大切な未来を奪われてしまったのだろうか。
離れていた10年の空白を今すぐ埋めるように、私は彼の本当の言葉が欲しかった。
### 【大和視点】
六花の切なげな瞳に見つめられ、俺は喉の奥が詰まるような感覚に襲われた。
「六花が居らんなってしばらくして、親父が会社クビになってや……自殺したんよ…その後、お袋も心を病んで、後を追うように自ら命を絶って。天涯孤独になった俺を拾ってくれたのが、親父の友人だった今の親方でさ。職人になって4年、今回はこの紫苑学園の補修工事の出張で、たまたま北九州から東京に来たんっちゃ。そしたら、お前がおった」
俺たちの壮絶な10年間。お互いの家庭を一瞬で崩壊させた悲劇の大きさに、俺たちは言葉を失ってただ見つめ合った。キーンコーンカーンコーン――。非情な予鈴のチャイムが、中庭に冷たく鳴り響く。
### 【大和視点】
「あ、もう時間げな!クソ……話が全然し足りん。六花、スマホの連絡先教えてや。後でじっくり話そうや」慌てて空の弁当箱を片付けながら俺が言うと、六花は泣き出しそうな顔で小さく首を横に振った。
「……うち、携帯は持ってないんよ。東雲の家から、外部と繋がるようなものは一切持つことを許されとらんけさ……」
「――は? 携帯も持たせてもらえんっち、何なんそれ……!」
衝撃を受ける俺を遮るように、廊下の方から生徒たちの騒がしい声が近づいてくる。
もう時間がなかった。俺は作業着の胸ポケットに手を突っ込み、古いスマートフォンを力任せに引っ張り出した。
天涯孤独になった俺の、もう一つの大切な宝物。
「これ、持っとき。俺のお袋の形見のスマホげな。シムは入ってないき通話はできんけど、お前ん家かどこかのWi-Fiに繋いだら、LINEはできるけ。アカウントはお袋の奴がそのまま残っとる。……夜、絶対にそこからメッセージ送るけ!」
### 【六花視点】
「大和くん……うん! ありがとう!」
私は大和くんのお母様の形見だという小さなスマートフォンを、自分のハンカチで包み、制服のポケットの奥深くへと大切に隠した。
どんなに世界が違っても、どんなに高い檻に閉じ込められても、この端末がある限り私たちは繋がれる。私は誰もいない廊下へと素早く戻っていった。
### 【大和視点】
あいつのいなくなった資材置き場で、胸の奥をかき乱すやるせない思いが何度も渦巻いた。
携帯すら持たせてもらえない、異常な世界で暮らす六花の過酷な現実。
だけど俺は、その衝動的な感情を強引に心の奥底へ封じ込めた。
今ここで俺が仕事を投げ出せば、天涯孤独の身を拾って一人前に育ててくれた、親方の顔に泥を塗ることになる。
「……うし、やるかの!」
俺は大きく息を吐き出すと、気のいい同僚たちの待つ足場へと戻り、いつものように淡々と、だけどプロの職人としての誇りを込めて、今日の残りの仕事をきっちりと片付け始めた。
そして全ての仕事が終わった放課後。
工具を片付け、学園の正門へと向かう途中のロータリーに、ちょうど黒塗りの高級車の迎えを待つ六花の姿があった。
彼女の周囲にはまだ多くの生徒たちが残っている。昨日あんな騒ぎになったばかりだ。
お互いに余計な反感を買わないよう、俺も六花も、今は全くの「他人のフリ」をして、視線すら合わせずに通り過ぎようとした。
「おい大和、これからいつもの居酒屋で親方たちと一杯どうだ?」
気のいい同僚の先輩たちが肩を組んで誘ってくれたが、俺は苦笑いしながら頭を下げた。
「あ、すんまっせん。今日はちょっと、飯場でやることがあるんでパスで」
「あ? なんだよノリ悪いな。さては東京の女をナンパにでも行くのか?w」
先輩たちがワハハと笑いながらからかってくるのを、「違いますって!w」と笑いながら否定する。その瞬間、俺はほんの少しだけ、ロータリーに停まった高級車へとチラリと視線を走らせた。
### 【六花視点】
黒服にドアを開けられ、車に乗り込むまさにその一瞬前。私は大和くんが先輩たちにからかわれている姿をじっと凝視していた。
「東京の女をナンパにでも行くのか」という先輩たちの笑い声が、風に乗ってかすかに私の耳へと届く。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がチリッと小さく痛んだ。
そういえば、昼間も学苑の女子生徒たちが窓の外を見ながら「お洒落で素敵」「屈託のない笑顔が可愛い」なんて、大和くんのことを色めき立って噂していた。
グレーの髪に、日に焼けた耳元で光るルビーのピアス。
昔からかっこよかったけれど、10年経ってさらに男らしくなった大和くんは、私が知らない間にやっぱりどこかでモテて、他の女の子と遊んだりしているのだろうか。
「……別に、うちには関係ないし」
誰にも聞こえないほどの声で呟きながら、私は助手席のバックミラーに映らないよう、窓側を向いて顔をぷくーっと不満げに膨らませた。
### 【大和視点】
(あ、ヤバい……! 先輩たちの変な冗談、あいつに聞かれとった!?)
内心でめちゃくちゃ焦った俺は、先輩たちに「ちょっと、変な冗談やめてくださいよー!」と慌てて声を上げながら、六花に向かって必死に目で(違うからな! )と全力で訴えかけた。
### 【六花視点】
必死な顔で目を泳がせ、何度も首を横に振っている大和くんの姿が目に入った。
「ナンパなんてしてない」と、言葉は聞こえなくても彼の目が必死に語りかけてくる。
その慌てぶりに、胸の奥のチリッとした痛みが一瞬で消え去り、私は思わずクスッと笑ってしまった。
車内に乗り込み、スモークガラスの窓越しに大和くんを見つめる。
彼がまだ心配そうにこちらを凝視しているのを確認すると、私は子供っぽく、いたずらっぽく、小さく「あっかんべー」と舌を出してみせた。
### 【大和視点】
高級車の窓が閉まる直前、六花が不意にこちらに向けてやってみせた、悪戯な「あっかんべー」。
夕暮れの光に照らされたその表情が、10年前、北九州の空の下で一緒に泥だらけになって笑い合っていた幼い頃の六花の姿と、一瞬で重なり合った。
(ああ、やっぱりあいつは……俺の知っとる六花のままや……)
10年分の愛おしさと胸の熱さが一気に心臓へ突き上げてきて、俺は膝の力が完全に抜け、その場にドサリとへたり込んでしまった。
「うおっ!? なんだこいつw」
「おい大和、いきなりどした?大丈夫かお前?」
さっきまで笑っていた先輩たちが、突然地面にへたり込んだ俺を見て目を丸くし、慌てて顔を覗き込んできた。
「……いえ、なんでもないっす. ちょっと、立ちくらみがしただけです……っ」
俺は顔が真っ赤になっているのを隠すように必死に顔を伏せたが、胸の鼓動はいつまでも激しく波打っていた。
(第5話・了)




