20260602 なろうのトレンドについて
こんにちはー。走り書きです
最近は文学論みたいなことばっかり書いてて済みません。お料理とか調理器具とか化粧品とかのお話はぜーんぶXでやっています
ちょっとお話をすると、最近はですね、化粧水は資○堂のエ○クシールがオススメです。美白しつつ肌も落ち着かせつつターンオーバーも促進するみたいなやつなので、中価格帯で化粧水をお探しならいったん試してみても良いのではないでしょうか
ポイント還元だったり割引を利用すると、化粧水と乳液が合わせてだいたい5,000円〜6,000円くらいで買えたりします。これくらいのお値段なら『プチプラよりもうちょっと良い化粧水を使いたい』と思っているかたにも手を出しやすいのではないかしら
さて、本題です。というか、忘れる前にメモしに来ただけなのですが
前々からわたしは、『悪役令嬢小説が好きになれない』というお話はしていたかと思います。これは単純に、『最初から恵まれている人間が弱者を踏みにじるお話を読んで何が楽しいんだ』と思ってしまうからというのがあるのですが
じゃあなぜここまで悪役令嬢小説が流行しているのか? という疑問に対して、なるほどねーと思うことがありまして
えーっとその前に、わたしはなろうではどうして『末子成功譚』じゃなくて長子が勝つ小説ばっかりが書かれるのか、ということを後書きで話したことがあるのですが、その返答としてとあるユーザーさんから『末子成功譚へのカウンター』かつ、そのほうが『システム的に自然だから』という答えを頂いたのですね。それで、なるほどねー! と思いまして
これって全く同じことが悪役令嬢小説でも言えるのですよね
世の中には『成り上がり成功譚』というものがありますが、これはシステム的には不自然です。恵まれないものが勝つ、低い立場のものが勝つ、そういうのは現実的に考えれば不自然で、まあだから読みものとして成立するのですが
この『成り上がり成功譚』へのカウンターとして生まれたのが、なろうの悪役令嬢小説なんだろうなーと思いまして
悪役令嬢小説は、成り上がり成功譚とは真逆です。最初から恵まれている人間が勝つ。正しい人間が勝つ。強い人間が勝つ。高い立場のものが勝つ。当たり前のことで、普通のことで、とっても自然なことです。つまりこれも、『末子成功譚』へのカウンターである長子成功譚と同じように、システム的に自然なお話なのですね
ちょっと悪口を言いますが、これ単純に作家側が書きやすいのもあるんだろうなーと思っております。なーんにも考えなくても、最初から正解を知っている人間が正しいことをしているだけで勝てちゃうお話ですからね
正しいことをしているだけのお話だから、ストーリーに矛盾が出にくい。読者からも突っ込まれにくい。主人公(悪役令嬢/長女)は間違ったことをしないから、とりあえず主人公(悪役令嬢)アゲ/敵(聖女、転生ヒドインetc.)サゲすれば済む。しかも評価されやすい。そりゃーみんなこぞって悪役令嬢小説を書くよなーってお話で
そりゃーもちろん、書籍化だったり人気を獲得している作品はそれだけじゃありませんけどね。やっぱり評価される作品ってのには評価される理由があるのよね。ちゃんと面白いし
わたしの作品にアンチがつきやすいのは、テンプレから外して色々と試行錯誤しているからってのもあると思います。思いついたネタを勢いだけで書いているので矛盾も出やすい。しかもテンプレ王道な悪役令嬢小説みたいに『システム的に無理のない』お話はほとんど書かないので、システム的な齟齬が出る。しかも勢いで書いているのでそこの説明が足りてない。いや、たまに『これ本文中で説明したよな…??』みたいな意見が届いてひっくり返ることもありますが、それはさておき
なるほどねー、の気持ち。まあだからと言って、いまの執筆スタイルから変える気は全くないのですが
そもそもさぁ、いや、良いんだけど…、身分の高い人間/強い人間/賢い人間/正しい人間/恵まれている人間が、それとは真逆の身分の低い人間/弱い人間/愚かな人間/間違った人間/恵まれない人間を正論や権力で叩き潰すだけのお話って、読んでて楽しいか…?? って思ってしまう。普通に、主人公/敵サイド、どっちのキャラクターも好きになれなくない?? どこに楽しさを見出してるんだろ。いや、個人の嗜好だから良いんだけどさ
物語を読むときって、ある程度こう、キャラクターと読者の間に親和性が必要だと思っていて…もちろん必ずしもそういうお話ばっかりじゃないんだけど、突拍子もないキャラクターを出すときに、周りに適切なキャラクターが存在しないのであれば、例えばモブ視点から始まるみたいな構成はよくある手法なわけです
あとは例えば探偵と助手みたいなのも王道ですよね。ホームズだって隣にワトソン置いとかなきゃただのいけ好かねえ狂人だし火村は隣にアリスがいなきゃただのナルシストの中二病なわけです。京極堂だと関口くんもたいがい狂人ですが、あれは初っ端で執拗に執拗に関口くんを描写して最初に『こんにちは! 狂人です!』って読者に自己紹介して受け入れ態勢を作らせているわけです。そもそも読書体験において『弱者』は基本的に『読者』と親和性が高いと思っています。まったく検討違いだったら済みません、石は投げないで
そういう意味で、悪役令嬢小説は誰に感情移入ないし自己投影をして読んでいけば良いんだろう、って迷子になってしまうのよね…。悪役令嬢に感情移入してるってこと?? 『正当性の固まり』みたいなキャラクターに対して感情移入って難しくない??? 皆さんどうしてるんだろ
もしも『正当性の固まり』みたいなキャラクターに対して感情移入ができるのだとしたら、そういう人とは仲良くなれないなーと思ってしまいます。正義や正論ほど暴力的で攻撃的なものもそうそうありませんからね。というか、だから悪役令嬢小説ではやり過ぎみたいな『ざまぁ』が好かれるのかも知れませんけれど
あれって、読者の皆さんは現実だと『ざまぁ』されるのは自分だなーとか思って気分が悪くならないのかしら…?? どうしても負ける側に思いを馳せてしまいます
みたいなことを考えるので、うーんってなってしまいますわね
ちなみに伽藍さんの場合は、基本的に『弱いほう/間違ってるほう』に視点の重きを置くようにしています。というか、なーんにも考えないと自然にそうなるというか。もちろん基本的に頭アッパラパーで書いてるので全部が全部そうなるってわけじゃありませんが
思考整理をしたかったのでいったんここまで! お付き合い頂いてありがとうございました
そういえば、AIの分類が追加されるそうですね。再設定面倒くさいなーの気持ちでございます
正直なところAIにも思うところはあるのですけれど、これはある種の負け惜しみだなーという気持ちもあるので また考えをまとめるときにでも書きに来ますわね。ではでは(*・ω・)ノ




