妹
本編直前。兄視点です。
「陛下、新しい聖女が決まりました」
ネイマールの報告を聞き、俺はほっと胸をなでおろす。
長かった。
五年前。俺の戴冠式の日に本当はソフィアをグラウと娶せて、聖女を引退させてやるつもりだったのに、新規の聖女が間に合わず、魔のモノが侵攻を始めてソフィアは塔に帰ってしまった。
以降、何度も新しい聖女を選出しようとしたが、本人の意思、実力に見合う人間がいなかった。
ソフィアは自分はたぶん気づいていないが、天賦の才を持っている。
後継者は、生半可な実力では務まらない。おそらく、魔のモノも『耳』が肥えているはずだ。
「やっとか。母上はどうしている?」
「特に動きはございません」
「そうか」
半分血のつながった妹を、母は憎んでいる。
父の寵愛を奪った女性の娘だ。気持ちはわからなくもない。
自分の実の母が、妹を殺しかねないと知ったのは、父が彼女を聖女に選んだ時だった。
そばに置いておいては守り切れない──父はそう考えたらしい。
他に方法を探すべきだったとは思うが、この国は『聖女』がいなければどうにもならないのも事実だ。ソフィアがその実力を備えているのは間違いなかった。
時が過ぎ、母を陰で操っていた母の実家は衰え、俺の力でソフィアを守ってやれるようになったが、新しい『聖女』がなかなか見つからなかった。本来なら長くて十年の聖女職なのに、結局その倍をソフィアは務めている。
ソフィアは、この国の英雄だ。さすがに、母もソフィアを害そうとはしないだろう。
そうでなければ、母と言えども、容赦はしないと決めている。
「ネイマール、ソフィアに帰ってくるように伝えてこい」
「はい、陛下」
「必ず帰ってくるように言えよ。あいつの作ってくれた二十二年間の平和に我々は酬いなければならない」
今度こそ、絶対に。
俺は新旧聖女の護衛の騎士の選定を始めることにした。
護衛の騎士は二十騎。
境界の塔への往復への希望者は思った以上に多かった。
「しかし、将軍が行く必要はないとは思うのだが」
「誰がなんと言おうとも、私は行かせていただきます。必ずお迎えに参りますとソフィアさまとお約束をしました」
護衛隊のリストを持ってきたグラウは言葉だけは丁寧だが、何を言っても自分の境界の塔行きを引っ込めるつもりはないらしい。
まあ、最初から予想していたが。
「まあ、よろしく頼む」
グラウはソフィアの傍にいたいがために、長年『境界の塔』に勤務し、軍功をあげて出世した男だ。
この男にとっても、大切な『けじめ』になるだろう。
「二十二年か。お前も、ソフィアをよく支えてくれたな」
「私は何も」
グラウは首を振る。
「塔での任務は苦痛ではありませんでした。むしろ今日までこうしてこの仕事を続けられたのは、ソフィアさまがいらしたからかと」
「お前の気持ちはよくわかるが、ソフィアが引退したら、軍を辞めるとか言い出すなよ」
「一応、私は陛下にも忠誠を誓っておりますので、大丈夫です」
「……一応とは失敬なやつだな」
思わず苦笑が漏れる。
彼はこの国にはなくてはならない人材だ。
本人もそのことを知っている。
知っているからこそ、ソフィアが欲しいと俺に要求するのだ。
「引退後について、俺はソフィアに無理強いはできない。口説く許可はするが、それ以上のことは自己責任でなんとかしろ」
今まで、選ぶことすら許されぬ人生を送ってきたソフィアだ。
新しい人生は、ソフィア自身が思うように生きてほしい。
もっとも、二十二年間も国を守り続けたソフィアは既に神格化しており、軍部にはグラウだけでなく熱狂的な信者もいる。完全に『自由』は難しいかもしれないとは思う。
「言っておくが、ソフィアの『歌』の良さに最初に気づいたのは、お前ではなく、俺だからな」
歌が大好きなソフィアのために、母に内緒で歌える場所を作った。
ソフィアの歌を聞いて過ごしたあの頃が懐かしい。
「愛の深さでは私の方が上です」
にやりとグラウは口の端をあげる。
「深いというより、お前の愛は重すぎだ」
ただ。だからこそ、この男ならソフィアの人生を託してもいいかもしれない。
五年ぶりに会うソフィアは、きっと自分を慕う人間の多さに戸惑うだろう。
一番は、この男が今まで隠してきた想いに気づいた時、かなり驚くに違いない。
「なんにせよ、ソフィアを頼む」
「言われるまでもございません」
グラウは真顔で言い返す。
「長かったな」
俺は呟く。
が。これがソフィアの聖女伝説の『始まり』だとは、その時、気づくはずもなかった。