そして新たな場へ
「終わったか。結局、何人か高官が毒を飲んだな」
「ええ、聞いていますよ。名誉の毒殺というのも、ずいぶん安くなったものですね」
いつもの場所で酒杯をくゆらせる紫丁の口調には、一切のよどみがない。紫丁はこうなることを、全て見越していたのだ。驚かないのは当然だろう。武者隠しに座っている石蕗は苦笑いをした。
「毒殺行も、やりたくてやったわけじゃないだろう。蜥蜴の尻尾切りをやるんだから、せめて格好つけさせてやれと言われたんじゃないか」
「大方、そんなところですね」
「怖いねえ、月下がどうなったのかきっちり聞かないのか」
「情報を引き出すために拷問を加えられたが何も出てこず、腹立ちまぎれに磔にかけられた──といったところでしょうか」
石蕗は舌打ちをした。
「見てきたように当てやがる」
「官の考える事など、昔からそう変わっていませんよ。彼らは何よりも面子を重んじる。それを踏みにじった相手には容赦しません」
紫丁はそう言って低く笑った。
「月下も愚かな。その者たちと同じ思考にはまっていた。自分の考えにこだわって救われるべき者を見下し、雑な仕事の多いこと」
だから紫丁は、月下を切り捨てたのだ。大嫌いな官吏に手を貸してまで。その徹底した潰しぶりには、石蕗もわずかに恐怖を感じる。幼なじみの二面性は、今に始まったことではないが。
「しかしこれで幕引き。明日からまた、いつもの活動を再開しましょう」
「……ああ」
「救いとして死を求めるものは、後を絶ちません。正しき救済を、彼らに」
紫丁は立ち上がり、いつもの場所から立ち去った。石蕗もそれに伴って、武者隠しの闇の中に沈む。
「救済ねえ。本当に、純粋な奴だ」
白は黒と違い、利害関係の薄い集団だ。その頭目に一点の黒でもあればすぐに知れ渡ってしまう。紫丁にはなんの裏もないことを、石蕗はよく知っていた。
「人の分際で、本気で神の座に昇る気でいやがる」
利益でもない。効率でもない。ただひたすら、哀れみと許しのために毒を用いる。そういう人外の存在に、紫丁はなろうとしていた。
石蕗自身は神仏など信じてはいない。お題目だけで、結局自分には何もしてくれなかったからだ。紫丁が神になったとしたら──石蕗は初めて実体を持ったそれを見ることになる。
背中にうすら寒いものをおぼえつつも、自由にやらせた結果、何を成してくれるのかという期待が止まらない。だから結局、石蕗は紫丁に甘くなる。
妙にすっきりした心を抱えながら、石蕗は背筋を伸ばす。幼なじみの次なる攻め手を見るのが、楽しみになってきた。
☆☆☆
「ずいぶん減ってしまいましたね」
仕事中、天霧の部屋の棚に並んだ毒薬の瓶を眺めながら、枸橘がため息をついた。
「……この前の件があったからな。海外船が来た時すぐ購入できるよう、予算の申請をしておけ」
「分かりました」
数人分の在庫はあるものの、心もとない。天霧は棚を指でたたいた。
「もったいない、と思っておられるのですか?」
「……少しな」
死んでいった官たちの顔を思い浮かべて、天霧は歯がゆい思いを抱いた。
「名誉の死を与えるのに、ふさわしい面々ではなかった。それは確かだ」
「仕方がないことです。かなりの高官揃いで、御三家と縁がある方もいました。あれでも大分、こちらに有利な幕引きだったと思いますよ」
「慰めてくれるとは珍しいな」
「事実を述べているだけです」
枸橘の言葉で、天霧は気を取り直す。そういえばはじめは勢いが良かった御三家も、不祥事の大きさを悟ると徐々に顔色をなくしていった。
『まだこれでもやろうってんなら、こっちにも考えがあるぞ』
髭まみれになった将軍にすごまれて、さしもの御三家も頭を下げて引き下がらざるをえなかったようだ。それを思うと、少しすっきりする。
「火の粉をかぶるのは、あちらも避けたかったでしょう。そのおかげで、白斑様の助命がかなったわけですが」
協議の結果、白斑は遠島に流されることになった。手枷なしで屋敷に謹慎という形だから、決して悪い待遇ではない。
「証拠を検討し直した結果、現場での殺害に関与していないことははっきりしたからな。犯行の隠蔽だけでは、死罪にするのは難しい」
対して、守宮は白烏とともに磔刑に処せられた。彼が憎しみを背負ったおかげで、白斑に対する風当たりは大分弱くなっている。守宮の家族だけは身を隠さざるを得なくなったが、これも数年経てば改名して市中に戻れる手はずになっている。
「……ようやく、終わりましたね」
「いや、今からが始まりだ」
白い烏は、これからも違法な毒殺に手を染めていくだろう。そして思想は違えど、黒い烏も同じ道を選ぶはずだ。両翼に覆い尽くされる前に、天霧たちは手をうたなければならない。
「存分にこき使うぞ、これから」
「ご遠慮なく。天霧様よりも鍛えておりますので」
「はは、違いない」
天霧が笑いながら戸を閉めたところで、巻物を抱えた紫苑が帰ってきた。その後ろには七扇も控えている。二人の距離は初めて会った時より遥かに近く、手と手がくっつきそうだ。
「一緒だったのか」
「はい。色々教えていただきました。人を見かけで判断してはいけませんね」
紫苑は無邪気だが、それは帯占の見た目が怖いと言っているのと同じだ。早く気付けと天霧は焦る。
「……申し訳ない」
案の定苦い顔になっている帯占に、天霧は詫びた。
「その坊やのこともあるけど、あたしの機嫌が悪いのは……将軍がまたうちに来てるからよ」
「そんなに水槽が気に入ったのかな」
「違うわよ。あんまり公にしたくない事件を、あんたに渡すための中継所にされてるの。誰も来ないからって」
天霧は無言になった。……が、聞いてしまったら動かないわけにはいかないのもわかっている。将軍に逆らって官庁にいられるものなどいない。
「とにかく、早く来てよ。強面のオッサンがうろうろしてたら、進む仕事も止まっちゃうわ」
七扇は腰に手を当てて、仁王立ちの構えだ。天霧と枸橘は、目を見合わせた。
「……行くか」
「行きましょう」
天霧は覚悟を決めて、うなずいた。




