Another 7 〜side 佐々木〜 ギャルと修行2
本日もよろしくお願いします。
『良い目になったではないか』
切り株の上にどっしりと腰を下ろした役小角が、老獪な笑みを浮かべて頷いた。その瞳は、獲物を値踏みする捕食者の冷徹な光から、未熟な弟子を導く厳格な師父のそれへと、静かに、しかし劇的に変化していた。
「……お願いします!!」
私は泥だらけの地面を強く蹴って立ち上がり、膝の汚れを乱暴に払って叫んだ。内心では「マジでさっきの死ぬかと思ったし! コンプラ的にアウトなレベルなんですけど!」と絶叫しているギャルの自分がいる。けれど、今はその臆病な声を心の奥底に封じ込めた。
あの、物理法則を無視したような、青白い光を纏った拳。
あんな化け物じみた力を、もし私のような「普通」の人間でも手に入れられるというのなら。泥を啜り、プライドを捨ててでも、この伝説のゴブリンに食らいついてやる。
『うむ。では、まずは呼吸から行こうかの』
「……呼吸? 某アニメみたいな、全集中のアレですか?」
『何を言っておる。……だが、その前にそこの黒瀬とやらを起こしてからにせよ。先ほどの衝撃で気を失ってしもうたようだな。魔力の感知能力が、凡人より少々鋭敏すぎるのも考えものじゃ』
言われて視線を横に向けると、そこには白目を剥いて、文字通り「の」の字になってひっくり返っている黒瀬桜(三佐)の姿があった。
「あー、マジか。……おい、桜! 起きろってば! 職務放棄かよ!」
私は「仕方ないな」と溜息をつきながら、意識を飛ばしている上官に歩み寄る。そして、一ミリの躊躇もなく、往復ビンタをフルスイングで叩き込んだ。
パパパンッ!
乾いた音が静かな広場に快調に響き渡る。自衛隊の階級的には三佐(黒瀬)と一尉(私)なのだが、今のこの超常的なサバイバル状況下では、実務能力と「今、立っているかどうか」がカーストを決定する。今の私は、紛れもなく現場のトップだ。
「……ふぇ? あ、熱い!? 頬が摩擦係数無視して燃えるように熱いわ、芳恵!」
4発目で見事に覚醒した黒瀬は、数秒ほど虚空を凝視してフリーズしていたが、すぐに脳内の処理が追いついたらしい。
「今の……見た!? あの魔力の圧縮率! ニュートンが泣いて逃げ出すレベルの物理干渉よ! 芳恵、もう一回受けてみて! 今度はこの広角センサーを……」
「うるさい。今から修行なの。黙って計器だけ見てなさい」
また往復ビンタを一発。黒瀬は涙目になりながら、赤く腫れた頬を押さえて恨めしそうに私を見上げたが、小角が低く咳払いをすると、条件反射のようにピシリと背筋を正した。
『よし、それでは呼吸を教えよう。……正しくは、呼吸と姿勢じゃな。難しいことでは無い。そなた等はすでに「道」の洗礼を受け、魔力の流れがその目に「見えて」おるのだからな』
小角はゆっくりと地面に立ち、手本を示すように両足を地に着けた。
『天と地。頭の先から背骨を通り、真っ直ぐに一本の芯を通せ。その重みを、地に落とすよう意識せよ。難しければ、一度跳ねて、着地した瞬間の「自らの重量」を感じてみるが良い』
私は言われた通り、肩幅に足を開き、体幹を垂直にするよう意識する。自衛隊の基本教練で、雨の日も風の日も叩き込まれた「直立不動」の姿勢。だが、これはそれとは似て非なるものだった。規律で固めるのではなく、もっと柔軟に、重力という自然の理に身を委ねる感覚。
『佐々木、もう少し顎を引け。……黒瀬、お主は一度跳べ』
黒瀬が「ぴょん」と情けない音を立ててジャンプする。着地した彼女は、研究職特有の、キーボードを叩き続けることで染み付いた猫背な姿勢に、磁石のように吸い寄せられて戻ろうとしていた。
『黒瀬、そのまま後ろ向きに数歩歩いてみよ』
「え、バックステップ? こう……?」
黒瀬がおぼつかない足取りで後ろに下がる。すると、転倒を防ごうとする防衛本能から、自然と背筋が伸び、丸まっていた骨盤が正しい位置へとカチリと収まった。
『今のその状態を維持せよ。……呼吸は鼻から吸い、口から吐く。口は薄く開き、絹の糸を引くように静かに、ゆっくりと吐き出せ。ロウソクの火を揺らさぬようにな』
鼻から吸って、口から吐く。
最初は「ただの深呼吸じゃん。表参道のヨガスタジオでやるやつと何が違うの?」と内心で毒づいていた私だが、意識を極限まで集中させるにつれて、周囲の空気の「重さ」が変わっていくのを感じた。
『では、空気中の魔力を意識して行ってみよ。魔力のみを体内に残し、吐き出す息で魔力を濾していくイメージじゃ』
イメージ。
ギャルにとって、イメージという作業は非常に馴染み深い。
盛り盛りのネイルをデコるとき、理想のラインをアイラインで引くとき。完成図を頭の中にカラーで描き、そこに現実を寄せていく作業。
私は、周囲の空間に淡いラメのように漂う光――空気中に溶け込んだ野生の魔力を見つめた。それを深く吸い込み、酸素と一緒に全身の細胞、一つひとつへと染み渡らせていく。
「……っ」
体の芯、へその下――いわゆる丹田と呼ばれるあたりに、じわりと温かい何かが溜まっていく感覚。自分の代謝による熱ではない。外界から強引に借りてきた、密度のある異質なエネルギー。
そっと口から息を吐き出すと、吐き出された吐息に含まれる魔力の光は、吸い込んだ時よりも明らかに希薄になっていた。私の体が、魔力を「食った」のだ。
『溜まった魔力を、血管を通すように全身に巡らせよ。その魔力を、己が血肉の一部……己の意思に従うものへと変質させていくのだ』
(全身に巡らせる……、これ、マジで難しいんですけど! 血管一本一本を意識するとか、解剖学の教科書を丸暗記するよりハードなんだけど!)
イメージが途切れそうになり、溜まった熱が指先から霧散しそうになる。自衛隊の訓練カリキュラムに「魔力を循環させる」なんて項目は、どこをひっくり返しても存在しない。焦れば焦るほど、魔力は言うことを聞かなくなり、体の中でバラバラに暴れようとする。
だが、隣を見ると――。
「……ふむ。なるほど、熱力学第二法則に対する意識的な干渉ね。精神の指向性がエントロピーを局所的に減少させるシステム。これ、数式化できるわ……!」
黒瀬は、何の苦労もなく魔力を全身に循環させていた。彼女の肌が、呼吸のリズムに合わせて淡く脈打つように、青白く発光している。
(……は? 桜、天才かよ。マッドサイエンティストの脳構造、マジでチートなんですけど!?)
私は嫉妬混じりの焦燥感を覚えながら、再び深く、深く呼吸を繰り返した。肺が焼けつくような、不思議な充足感。
『魔力に方向性を持たせるのだ。ただ流すのではない。こう動いて欲しいと強く願うのだ。』
小角の声が、暗闇を彷徨う私の背中を、力強く、それでいて優しく押し上げた。
願う。
体の血管が胸から手。手から胸。胸から足。足から胸。そして胸から頭、頭から胸。胸を起点に全ての部位に幾重にも流れる様を想像する。
そして魔力にそう流れてくれと願う。
(マグマのように熱く全身を流れて!)
私は体の中に溜まった重たい熱の塊を、意志という名の鎖で強引に引きずり回すイメージを脳内に叩きつけた。
丹田から背骨のラインを駆け上がり、肩を抜け、指先の爪の先まで。そして、そこから再び心臓へと還る、自分だけの黄金のサーキット。
その瞬間、滞っていた「熱」が、堰を切った大洪水のように動き出した。
「……あ。流れた」
ゆっくりと、でも確実に。それは血液の流れよりも重く、電気信号よりも鮮明な、意志に直結したエネルギーの奔流。
『うむ。ようやく「入り口」に片足を突っ込んだようじゃな』
小角が、教え子の小さな進歩を喜ぶように、満足げに目を細めた。
私の肌は今、自分でもはっきりと分かるほどに、内側からの熱量で赤みを帯びていた。血管が浮き出し、体全体が、まるでこれから始まる激しい「何か」を予感して、歓喜に震えているようだった。
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