12.うきわ
俺をワカメでしこたまシバいた佐倉は、「先輩なんかサメのエサになってしまえ!」と吐き捨ててどこかへ走って行ってしまった。黒木さんと一緒に海岸中をくまなく探したが佐倉はおらず、酷暑のせいで疲れ果てた俺はパラソルの下にへたり込んでしまった。一緒に佐倉を探していた黒木さんも隣で汗を拭いている。海の方を見れば地平線に陽炎が揺れていて、沖の方にポツリと岩のような島があるのが見えた。
「ねえ、本当に佐倉ちゃんを探すのを止めても良いの?」
「大丈夫ですよ。多分気晴らしに走ってるだけだと思います。アイツの性格からして、昼には必ず戻ってきますよ」
今もワカメで引っ叩かれた背中がヒリヒリ痛む。まあ背中をシバかれたのは腹が立つが、このままだと佐倉も可哀そうだから後で飯をおごってやろう。
「俺たちは俺たちで遊んでおけばいいと思いますよ」
俺がそう言うと、不意に黒木さんが肩を叩いた。
「ねえ星くん、せっかくだから、あれに一緒に乗らない?」
黒木さんが指さす方には、平べったいイカダの形をした浮輪があった。海の家で借りてきたものだ。
「私、泳ぐのが得意ではないから海に入るのが少し怖いのだけど、あの浮輪があれば安心だわ」
そういえば黒木さんは昨日も今日も積極的に海に入ってないな。昨日は目隠ししたままダイブしてたけど。
「良いですよ。どうせ昼には帰る予定なんだし、今のうちにたくさん思い出を作りましょう!」
そう言って俺は浮輪を担ぎ上げた。しかし俺はこの時の決断が、重大な事態を招くとは思いもしていなかった。
「ちゃ、ちゃんと持っていてね! 離さないでね!」
黒木さんは浮輪の上にうつぶせでしがみ付いている。そうは言ってもまだヒザの高さまでしか海に浸かっていないぞ。このまま後ろから黒木さんのお尻を眺めているのも悪くないが、ちょっといたずらしたくなった。試しに浮き輪を傾けてみる。
「きゃああああっ! 無理無理! 落ちる! 落ちちゃうう!!」
大声を上げながら浮き輪にしがみ付く黒木さんの姿に、俺は堪えきれずに笑ってしまった。
「も、もう! 笑ってないで早く元に戻してよ!」
「あー、すみません。今から元に戻しますね」
言いながら今思いっきり反対方向に傾けてみる。すると耐えきれなくなったのか、黒木さんは叫びながら海の中へとずり落ちて行ってしまった。面白いなこの人。
「っぷはぁ! もう! 星くんのバカ! いじわる! 妖怪罪深男!」
海面から勢いよく顔を出した黒木さんは俺に水をかけてきた。妖怪罪深男って何なんだ。
「あっはっはっはっ。黒木さんは子供ですね。こんな浅い所なんて全然怖くないですよ」
俺も負けじと黒木さんに水をかける。……あれ? 何かこれすごく恋人っぽくない? 向こうは俺のことを恋人だなんて思ってないだろうけど、こうして一緒に海に来て、こうして戯れられるだけで俺はすごく満足してしまっていた。
「こ、怖がってなんかないもの!」
ほっぺを膨らませた黒木さんはヨタヨタと浮輪に上半身を乗せ、足で水を掻きながら沖へ進み始めた。黒木さんは意外と子供っぽいな所があるなあ。可愛いけど。
「待ってください、一人じゃ危ないですよ」
と、俺が浮輪に手をかけた時だった。海岸の方から、足に強い圧力がかかった。立っていられないくらいの強い力だ。危険を感じてガッチリ浮輪を掴んだ、その直後に足を取られて俺の身体は海に浮いた。
――離岩流だ! 気付いた時には既に、俺と黒木さんを乗せた浮輪はドンドン沖の方へ流され始めていた。
「ほ、星くん! 何かすごい勢いで岸から離れて行ってない!?」
黒木さんは今にもパニックに陥りそうな、不安げな表情で俺に聞く。今彼女に離岸流のことを話せば完全に落ち着きを失いかねない。どうにか誤魔化すしか……。
「すみません、俺の屁のせいです」
「そうなの!?」
なんで信じるんだよ。しかし、そう言っている間にもどんどん沖の方へ流されていく。もう200mほど離れただろうか。淡い色合いの海水も今や黒に近い青に変わり、海水温度も冷たく俺の身体を飲み込んでいる。どうにかして早くこの流れから抜け出さなければ、沖に流され続けてしまう。
離岸流とは岸から沖に向かって流れ出す強い流れで、時には秒速2mという強烈な速さで発生することもある厄介なものだ。だが流れの幅は10m~30mほどしかないため、海岸と平行に泳げば抜け出せるのだ。間違っても岸に向かって泳いではならない。体力を消耗するだけだ、とサーフィンをやっている兄貴から聞いた。
幸いなことに俺たちは今浮輪に捕まっている。落ち着いて泳げば無事に離岸流から抜けられるはずだ。黒木さんの方を見ると、今にも泣きそうな顔をして俺をジッと見つめている。怖いだろうに。だが今は耐えてくれ。必ず俺が岸に戻してやる。俺は浮輪をビート版のように持ち、バタ足で力いっぱい岸と平行に泳ぎ始めた。少しづつだが進んでいる。だがそれ以上に沖へ流され続けている。岸ははるか遠くに感じる。まずい。このまま離岸流を抜け出せたとしても、ちゃんと海岸にたどり着けるだろうか。
「星くん! あれを見て!」
黒木さんは沖の方を指差している。見れば、そこには小さな岩の島があるではないか。ポツリと鳥居が立っているのを見ると、どうやら上陸は可能なようである。あくまで体力の限り岸を目指すか、それともこのまま沖へ出てあの島で助けを待つか、俺の頭は一瞬で判断を下した。
「黒木さん、一旦あの島に避難しましょう」
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