13.無人島
岩の島には人工的に造られたであろう平らな場所があり、そこに古い木で造られた鳥居が立っていた。やっとのことで海から上がり切った俺は、その下にへたり込んでしまった。死ぬかもしれない極度の緊張感の中で泳いできたことで完全に疲弊していたのだ。
「星くん、大丈夫? 浮輪で横になっていても良いのよ?」
イカダ型の浮輪を俺の隣に持ってきながら、黒木さんは心配そうに言う。もっとパニックになってるかと思ったが意外と冷静なようだ。
「ありがとうございます。でも大丈夫です」
俺は笑って言った。ここで疲れている表情を見せたら黒木さんに伝染する可能性があると思ったからだ。俺が浮輪の上に尻の置き場をうつしていると、黒木さんが跪いて祈り始めているのに気付いた。
「天にまします我らが父よ。どうか私たちをこの場所からお救い下さい。どうか救助を与えてください」
キリスト教徒の黒木さん的に、こういう時神様に祈るのはごく普通のことなのだろう。とはいえ鳥居の下でキリスト教的な祈りをささげる黒木さんの姿は、どこか不思議なものに写った。
祈りを終えた黒木さんは俺の隣に座る。肩と肩が当たるほどの近い距離だ。危ない状況とは言え心臓が高鳴る。何せ俺も黒木さんも布一枚脱げばすっぽんぽんであり、ここは誰も見ていない無人島だ。もしこの状況が成人向けの漫画であれば、ここから怒涛の〈自主規制〉が始まるところだ。俺はこんな状況で湧いてくる己の欲の深さに苦笑した。まあそんな事を考えるほど余裕があるとも言えるが。
「星くん、私不安なの」
黒木さんは突然俺の手を握った。
「もしこのまま助けが来なかったらどうしようって」
この島に着いてから気丈に振舞っていたものの、やはり心は不安でいっぱいだったようだ。黒木さんは続ける。
「このまま、この島に住むことになったらどうしようって」
住民票移す気なのかよ。黒木さんはまだ続ける。
「両親が私の部屋からBL本を見つけてしまったらどうしようって」
心配するところはそこなのか。あと随分物騒なものを持ってるんだな。
「このまま魚しか食べられなくなったらどうしようって」
だからなんで永住する気なんだよ。
「魚ばかり食べて魚になってしまったらどうしようって」
ならねーよ。
「星くんが星になってしまったらどうしようって」
俺を殺すんじゃねえ! もういい加減つっこもうと思っていたら、今度は黒木さんが泣き始めた。
「ごめんなさい。私のせいでこんな事になってしまって……。私の方が年上なのに、全然頼りにならなくてごめんね」
どうやら黒木さんは流されてしまった事で自分を責めているらしい。さっき馬鹿な事を言ってはいたのは、どうしようもない不安な気持ちをごまかすためだったのかもしれない。誘った海水浴旅行でこんな思いをさせてしまって、俺は非常に申し訳ない気持ちになった。こんな時こそ俺がしっかりしなければならない。小さく縮こまってしまった黒木さんの肩を、俺は自然に肩を抱きしめていた。
「大丈夫です、黒木さん。絶対に助かります。必ず助けは来ます。仮に来なかったとしても、こんな距離なら泳いでだって帰れますよ。俺を信じてください」
小さく震えている黒木さんを抱きしめ、俺は優しく声を掛けた。こんな時だからこそ落ち着かなければならない。男の俺がしっかりし精神を保っていなければ黒木さんを守れない。ふと黒木さんの細い腕が俺の背中に回される感覚を感じた。もう彼女の身体から震えは感じない。
「星くん、ありがとう」
黒木さんは潤んだ目で笑った。
「ごめんなさい私、不安で、取り乱してしまって……。でも星くんが居てくれてよかった」
そう言ってしっかり俺に視線を合わせる。そのまま、顔を近づけてくる。黒木さんが何を求めているのか、俺は気付いた。特に感情が高ぶるわけでもなく、俺もそれを受け入れていた。黒木さんがゆっくり目を閉じるのとほぼ同時に俺も目を閉じる。黒木さんの心臓の音が聞こえる。鼻息も、体温も、感情も。
遠くからモーター音が聞こえてきた。今それどころじゃないんだ。もう少し待ってくれ。しかしモーター音は、まるで蚊の鳴く声のような鬱陶しさで近づいてくる。この時点で既に遭難しているという感覚はどこかに行ってしまっていた。
ええい! あと1㎝で黒木さんの唇に触れるのに邪魔すんじゃねえ! 腹が立った俺は音のする方に視線を向けた。岸の方から、白いしぶきを上げつつ一台のジェットスキーが近づいてくる。それもこの島へ、まるで俺たちが居るのを分かっているかのように。何はともあれ助かったようだ。良かった良かった。
「黒木さん、助けが来ました! 俺たち助かりますよ」
ところが黒木さんの方を向くと、プイッと俺から目を逸らしてしまった。え? なんですねてるの……? もう一度ジェットスキーの方に目を向けた時、俺は背筋から汗が噴き出すのを感じた。乗っているのが、まるで能面のような表情をした佐倉だったからだ。佐倉は一切表情を崩さないまま、遠くから俺の顔だけを一点凝視しながら近づいてくる。
殺されりゅ。
俺はこのまま海に逃げ込もうかと思ったが遅かった。島の手前まで迫った佐倉は、ジェットスキーを横に滑らせながらブレーキをかけ、俺たちの手前で止まった。ジェットスキーに巻き上げられた水しぶきが全部俺たちにかかったわけだが。
「先輩、ご無沙汰してますね」
佐倉は島に乗り移りつつ言った。阿修羅と見紛う顔つきの後ろからは炎が立ち上っていそうだ。やはりこいつは俺を殺しに来たに違いない。
「ここで何をしていたんですか?」
佐倉は俺の真ん前で仁王立ちをしている。俺の答えようによっては無人島殺人事件が起こりかねない。
「い、いやあ大変だったんだよ。離岸流に流されて、やっとの思いでこの島に上陸してさ」
「さっきキスしようとしてましたよね」
なんで見えてるんだ。ここから岸まで軽く500mは離れてるぞ。
「ち、違うんだよ! 海水温が低くて、ちょっと二人で身体を温め合ってただけで」
「そうなの、心細くて、お互いに身を寄せ合っていたの。少し心も近づいたかもしれないわ」
なんで煽ってるんだい黒木さん! 俺に視線をぶん投げ続けていた佐倉の目がぎょろりと黒木さんの方へ向く。黒木さんは朗らかな笑顔のまま続ける。
「でも佐倉ちゃん、助けに来てくれてありがとう。お陰で星くんともう少しで罪深い関係になることを止めることが出来たわ」
やめてぇ! 俺の生死に関わる問題なのぉ!! 何故黒木さんがこんなケンカ腰なのか分からないが、このままだと怒った佐倉に置き去りにされかねない。
「そ、そうだ佐倉! よくここが分かったな!」
俺はどうにか話を逸らそうと試みる。
「ええ、この辺りから臭い臭いメス豚のにおいがしたもので」
「あら、メス豚って誰のことかしら」
「へえ、自覚はあるみたいですねえ」
怖い。二人とも完全に戦闘モードに入っている。ここが逃げ場のない岩の島でなければ、半径1㎞以内に近づきたくない感じである。この場合どうすれば丸く収まるのだろうか……そうだ。
「佐倉、放っておいてすまなかった。悪かったと思ってるよ。それでも助けに来てくれてありがとう。お礼に何でもするから、許してくれ」
俺は佐倉に頭を下げた。若干先輩としてのプライドが邪魔をしたが、今はそんな事を言っている場合ではないのだ。佐倉はしばらく黙っていた。
「稽古……」
佐倉はうつむいてぼそりと言った。
「え? 何だって?」
「せ、先輩が今度、私の一日稽古に付き合ってくれたら! その、……許してあげますよ」
佐倉は口をとがらせながら言った。心なしか頬が紅くなっているように見える。
「良いけど、お前熱中症になってないか? 顔が赤いぞ」
俺は佐倉のおでこに手を当ててみた。平熱である。ところが佐倉の反応は平常ではなかった。一瞬身体を膠着さあせたあと、目を見開き、さらに赤くなって叫んだ。
「せ、せせせせせせ先輩の変態!!!」
佐倉は俺の腕をつかみ、そのまま海に向かって放り投げた。なぜこうなるのか。
俺は白い水しぶきを上げながら、深い青に沈み込んでいった。その透明なコントラストが非常に綺麗だった。
俺が海から顔を出すと、佐倉は黒木さんを後ろに乗せたジェットスキーにまたがっていた。
「じゃあ私たちは帰るので先輩はそこで頭を冷やしておいてください」
待ってぇ!!!
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