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第1話 処刑台の鐘

本作は、短編「父殺しの冤罪で処刑された令嬢は、十歳の冬に死に戻る 〜雪の上の足跡は、ひとつだけだった〜」の連載版です。

短編を読んでいなくても、この第1話から読めます。

全60話、完結までの構成ができあがっています。

鐘が鳴っていた。


冬至祭の朝を告げる鐘だ。


領都リンデルの広場には、夜のうちに降った雪が、くるぶしの高さまで積もっていた。屋台の骨組みには、もう緑の枝と赤い実の飾りが結ばれている。今夜は、一年でいちばん長い夜を、町じゅうで灯りをともして越える祭りだ。


その広場のまんなかに、昨日までなかった台が組まれていた。


私は、その上に立っていた。


「ノーウッド伯爵令嬢リディア。実父毒殺の罪により、斬首に処す」


役人の読み上げる声は、雪に吸いこまれて、ひどく遠くに聞こえた。


台のまわりには、人が集まっていた。


祭りの飾りを抱えたまま、足を止めた人。子どもの手を引いて、見えるところまで前に出てきた人。焼き栗の袋を持ったまま、口を開けて見上げている人。


誰も、何も言わなかった。


石も、罵声も、飛んでこなかった。


ただ、見ていた。祭りの前に、少しだけ珍しいものを見に来た顔で。


この町の人たちは、こういうとき、黙って見ているのだと、私は十八年生きて、初めて知った。


◇


父が死んだのは、秋の終わりだった。


その秋、王都から監察官が来た。ずっと昔に急死した、隣の領のブラント子爵のことを調べ直しに来たのだと、使用人たちが噂していた。


その日から、父の書斎の前を通ると、毎晩、紙の焼ける匂いがした。


夕食の席で、スープの匙が、銀の器にかちかちと当たった。父の手が、震えていた。


「お父様、どこかお悪いのですか」


父は、窓の外を見たまま、首を振った。


ひどく、何かに怯えていた。


それが何だったのか、私は最後まで知らない。


ある晩、廊下で、書斎へ茶を運ぶ侍女のエマとすれちがった。


盆の上で、茶器が、かたかたと鳴っていた。


寒いのね、と私は思った。


それきりだった。


父は、その茶を飲んで倒れた。朝まで苦しんで、そのまま目を開けなかった。


葬儀は、雪の降りはじめた日に行われた。


その翌日、衛兵が屋敷に来た。


「毒入りの茶を運んだのは、お嬢様です」


裁きの場で、エマは泣きながらそう言った。


子どものころから、私の髪を結ってくれた人だった。私が熱を出した夜には、朝まで額の布を替えてくれた人だった。


エマは最後まで、一度も、私と目を合わせなかった。


違うと言った。何度も言った。茶を運んだのはあなたでしょう、と叫んだ。


誰も聞かなかった。


泣きながら証言する侍女の涙は、伯爵令嬢の言葉より、ずっと重かった。


◇


牢に入れられてから、私を訪ねてきた人は、二人だけだった。


一人目は、ハロウ先生だった。


子どものころから、私に字と薬草の名前を教えてくれた家庭教師。痩せた体に、いつも少し大きい外套を着ている人。


先生は、看守に何かを握らせて、鉄格子の前まで来た。


「おや、リディア様。ひどいお顔ですよ」


いつもと同じ、穏やかな声だった。


先生は、外套の内側から、油紙の包みを取り出した。蜂蜜の匂いがした。


「焼き菓子です。特別ですよ。……内緒ですよ」


子どものころから、勉強が終わるたびにもらっていた、蜂蜜の焼き菓子。鉄格子のすきまから、先生は、それを私の手に乗せた。


「お父上のことは、残念でした。あの方は、少し、気の弱いところがおありだった」


私は、その言葉の意味を考えなかった。


考える力が、もう残っていなかった。


先生は、それだけ言って、帰っていった。


私は、油紙の包みを、開けないまま膝の上に置いていた。一晩じゅう、蜂蜜の匂いが牢の中に漂っていた。


最後まで、優しい人だった。


そのときの私は、本当に、そう思っていた。


◇


二人目が来たのは、昨夜だった。


看守の足音が近づいてきて、鉄格子の前で止まった。


「一分だ」


看守の声がして、ランプの灯りが遠ざかった。


鉄格子の向こうに、男が立っていた。


背の高い男だった。顔の半分を、革の仮面で覆っていた。仮面に隠れていないほうの顔は、暗くて、よく見えなかった。


男は、何も言わなかった。


鉄格子をつかむでもなく、私を見下ろすでもなく、ただ、そこに立っていた。


一分は、長かった。


「……どなた、ですか」


答えはなかった。


男の手が、少しだけ持ち上がった。何かを言いかけるように、口が動いた。それから、閉じた。


看守の足音が、戻ってきた。


男は、もう一度だけ、口を開いた。


「雪の上の足跡は、ひとつだけだった」


低い、かすれた声だった。


そして、男は、指を鳴らした。


ぱちん、と。


乾いた音が、石の壁に一度だけ響いた。


男は背を向けて、看守のランプのほうへ歩いていった。一度も、振り返らなかった。


雪の上の足跡。


何の話なのか、分からなかった。


分からないまま、私は朝まで、その言葉と、指の音を、何度も頭の中で繰り返していた。


◇


鐘が、鳴り続けていた。


役人が、私の背中を押した。


膝をつかされる。首筋に、冷たい木の感触が当たった。雪で湿った木だった。


台の下で、子どもが一人、母親の外套の陰から、こちらをのぞいていた。


その子の足元の雪に、小さな靴の跡が並んでいた。


足跡。


雪の上の足跡。


ひとつだけ。


──どこかで、聞いた気がする。


昨夜より、もっと前に。ずっと前に。


あの、ぱちん、という音も。


考えごとをするとき、必ず指を鳴らす誰かが、いた気がする。煤だらけの顔で。


その誰かの顔を思い出す前に、鐘が、ひときわ大きく鳴った。


刃が落ちる音は、鐘の音に紛れて聞こえなかった。


◇


天蓋の刺繍が見えた。


白い絹に、青い糸で縫いとられた、小鳥と蔦の模様。


子どものころ、眠れない夜に、何度も数えた小鳥だった。十二羽。左の端の一羽だけ、片方の羽が、ほかより短い。


私は、ゆっくりと体を起こした。


首に、手を当てた。


つながっていた。


寝台を降りると、足が床に届くまで、思ったより遠かった。鏡台の前まで歩いて、鏡をのぞきこんだ。


小さな女の子が、こちらを見ていた。


丸い頬。細い首。寝間着の袖が、手の甲まで余っている。


十歳の、私だった。


扉が、叩かれた。


「お嬢様、お目覚めですか」


返事をする前に、扉が開いた。湯気の立つ洗面器を抱えて、エマが入ってきた。


私の知っているエマより、ずっと若いエマだった。


「まあ、裸足で。お風邪を召しますよ」


エマは洗面器を置くと、私を鏡台の椅子に座らせて、髪に櫛を入れはじめた。毎朝と同じ手つきだった。髪を三つに分けて、指をくぐらせて、きゅっと編んでいく。


この手を、覚えている。


熱を出した夜、朝まで額の布を替えてくれた手。


そして、この人は、八年後の裁きの場で、泣きながら言うのだ。毒入りの茶を運んだのは、お嬢様です、と。


膝の上で、両手が震えた。


鏡の中で、エマと目が合った。


八年後、一度も合わなかった目だった。


「お嬢様? お顔が真っ白ですよ」


エマが、櫛を止めた。


「怖い夢でも、ご覧になりました?」

「……うん。怖い夢を、見たの」

「夢は、口に出すと、本当にならないんですって」


エマは、ふふ、と笑って、編んだ髪の先に、青いリボンを結んだ。


「もう大丈夫ですよ。旦那様が、朝食の席でお待ちです」


旦那様。


父が、朝食の席で、待っている。


生きて。


「それに、今日はいいことがありますよ。外を、ご覧になってください」


エマは洗面器を抱えて、部屋を出ていった。


私は、椅子から降りて、窓の前に立った。


カーテンを開けると、庭が、一面の白だった。厩の屋根も、離れへ続く小道も、塀の向こうの町の屋根も、全部、雪をかぶっていた。


初雪だ。


そう思った瞬間、背中が、ひやりとした。


覚えている。


この冬の初雪を、私は覚えている。


窓の外の、この景色を、前にも一度見た。十歳の冬に。この窓から。


そして、この初雪の二日後に、何があったのかも。


◇


ノア。


八年ぶりに、その名前を思い出した。


下町のパン屋の屋根裏を借りて暮らしていた、煙突掃除の男の子。私より一つ年上の、十一歳。いつも煤だらけで、灰色の目をしていた。


伯爵家の娘と、下町の孤児。本当なら、口をきくことも許されない二人だった。それでも私は、屋敷を抜け出しては、パン屋の裏の階段に座って、ノアと話した。


ノアは、私を「お嬢」と呼んだ。


考えごとをするとき、必ず、指を鳴らす子だった。


ぱちん、と。


一度、パン屋の裏の階段で、鳴らし方を教えてもらったことがある。


「親指と中指を、こうやって合わせて、こすって、はじくんだよ。お嬢もやってみろ」


私の指は、何度やっても、すかっと空気をこするだけだった。ノアは、煤だらけの顔をくしゃくしゃにして笑った。


「へたくそ。伯爵家の娘は、指まで上品なんだな」

「ノアが下品なのよ」

「鳴らせないやつに言われたくない」


あのときの笑い声まで、今は、はっきりと思い出せる。


初雪の二日後、ノアは、屋根裏から消えた。


大人たちは、誰も探さなかった。


「孤児が一人、消えただけでしょう」


そう言って、誰も、何もしなかった。


そして、私は。


私は、一週間、ノアがいないことに気づかなかった。


気づいてからも、探さなかった。大人たちと同じように、どこか別の町へ行ったのだろうと思って、そのうち、思い出さなくなった。


八年間、一度も。


処刑台の上で、雪の上の足跡を見て、指の音を思い出しかけるまで。


私は、窓の桟を握りしめた。


小さな指が、白くなった。


あの仮面の男が誰だったのか、私はまだ知らない。


雪の上の足跡が、何のことなのかも、知らない。


けれど、ひとつだけ、知っていることがある。


私は、八年後に処刑される。


そして、ノアが消えるのは、明後日だ。


リディア(10)。ノーウッド伯爵家の娘。指は、まだ鳴らせない。

次回、十歳の初雪。

処刑まで あと八年


続きが気になったら、ブックマークや下の☆☆☆☆☆で応援してもらえると嬉しいです。リディアの八回の冬を、最後まで見届けてください。

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