第四話
深夜。
暗い部屋でベッドに横たわり、短時間の情報の少ないネット動画を延々とスクロールし続けていたときだった。
スマホにメッセージ通知が入る。
差出人は”赤坂徹”。
「え……」
驚いて心臓が高鳴りすぎて少し胸が苦しくなったので、ベッドから起き上がって縁に座る。
恐る恐るそのメッセージを開いてみると、書いてあったのはこんな内容だった。
『君が良ければ、今度の日曜に映画を観に行こう』
正直言って、どういう風の吹き回しかと思った。
でも私の知っている彼は、彼の理に従って動いている。
私に気を遣っているわけではなく、私の心の内を全て見透かした上でそれを解消しようとでもしているのだろうか。
だとしたら、本当におせっかい。
でも、嫌じゃない。
『分かった』という趣旨と、待ち合わせ時間や場所を指定したメッセージを返し数分待つと、彼の方からさらに返信があった。
『悪いけど、今回は俺が指定する映画館と時間にして欲しいんだ』
「?」
何を企んでいるのかは知らないけれど、彼のことだ。任せよう。
場所と時刻について相談したあと、その日は就寝した。
映画当日。時刻はすでに15時に差し掛かる。
この日の約束をしてから学校でも数日会っているが、様子は変わらなかったし彼から話しかけてくることはなかった。
だからますます彼の思惑が分からなかった。
それでも、彼を信じることにした。
それに今日はもう一つ目的がある。
事故があった日。私が自分に過剰に責任を感じすぎていて、それを押し付けようとしたこと。そして拒絶されて怒鳴ってしまったこと。
それらをちゃんと謝罪する。
できる償いはするつもりだが、彼が何かを求めようとはしないことは明らかだった。
「お、お待たせ……水瀬さん」
「ええ」
何かいつもと様子が違う気がしたのは気のせいだろうか。
「じゃあ映画行こうぜ。今日見る映画は?」
「映画はなんでもいいの?」
「ああ。重要なのは映画じゃないんだ」
ニッと歯を見せて笑う彼の表情を、私はまともに見られなかった。
さしてトラブルもなくスクリーンに辿り着き、2、3の会話をしたあと映画が開始した。
謝罪するタイミングを逸してしまったが、今日は夕飯まで一緒に食べてから帰る予定だ。機会はあるはず。
映画の内容自体も気になるものではあった。
今日は青春アニメ映画で、年頃の男女がすれ違いとともに成長していく話だった。
何となく自分自身の姿を重ねてしまうが、彼は映画そのものは重要じゃないようなことを言っていたので、フラットに鑑賞しようと努めた。
上映終了後。
「うぉーこれはよかったなぁ」
素直に感心して拍手の素振りをしている彼。
私もかなり感銘を受けたのは確かだったので、同意だけしてから席を立つ。
ただ、今日はなぜか涙を出そうとしても一滴も出ず、嘘泣きができなかったのが不思議だった。
映画館から出ると遠くの雲が少しだけ赤い。
空のほとんどは雲で覆われているが、太陽の位置はわかる程度の天気だ。
梅雨は、もうすぐ明ける。
「夕飯はどこで食べるって?」
「10分くらい歩くんだ。予約してるから」
「そうなんだ……」
彼が食事をする場所にこだわるのはそもそも珍しかった。
私も彼もお金はある方だけど、一方で店の雰囲気の問題で安上がりな店を好んでいた。
だから夕飯を共にするにしても別に店を選ぶようなこともなく近くにある適当な店、という流れで決まることが多いのだ。
確かに10分ほど歩いたところで彼が立ち止まる。
「ここなんだけど……」
その店はイタリアンのファミレスのようだったが、大手チェーン店と比較すると小洒落た雰囲気が流れている。
やはり彼がこういう店を選ぶのは少し意外だ。
「予約してる赤坂です」
「2名でご予約の赤坂様ですね。お待ちしておりました」
2人で座るには少し広めのボックス席に通される。
あまり来たことがない類の店なので勝手が分からないが、まあ彼に任せてけばなんとかなるだろう。
「ピザやリゾットが順番に出てくるコースがいい? それとも、あんまり食べられないようだったら単品でもいいけど」
「お任せする。慣れているようだから」
「いや、俺もちょっと前に知ったばかりなんだけどさ。そうだな……デザートでオススメしたいものがあるからお腹は空かせておいたほうがいいな、単品にしよう」
それぞれが食べたい味のピザやリゾットを選び、お皿に取り分けて食べることにした。
注文を終えてドリンクバーを取りに行ったが、多種多様な果汁ドリンクや少し珍しい銘柄の紅茶などが並んでいて、どれを選んだらいいか少し悩んでしまった。
席に戻ったあと、彼は当たり前のように喋りかけてきてくれた。
映画の内容はどうだったかという話題だ。
私たちの関係に重ね合わせて見てしまいそうになったことは言い出しづらい。あくまで文脈を最低限にして読み取れることを話し、満足度が高いことなどを伝えた。
食事が席に運ばれてきて、それぞれの皿に取り分けたあと。
彼は本当に美味しそうにピザを頬張っている。私は育ちの関係もあってなるべく上品に食事をする習慣がついていたが、別に食べ方が汚いことをどうこう思わない。
むしろ、ある種下品な食べ方に憧れているような節もある。
彼の真似をして豪快に大きめのピザを口に一気に頬張ってみた。
「ぷっ……あはは! 水瀬さん、ほっぺにソース付いてるよ」
「え? あ、ほんとだ……笑わないでよ……」
「ごめんごめん、何だかおかしくってさ」
いつもと変わらぬ彼の調子を見ていると、私は本当に――。
それから2人でメインを食べ終わるのにそう時間はかからなかった。
これからデザートが出てくると聞いているので、少し間があいた。
それをキッカケに彼に語りかける。
「ねえ、赤坂くん……」
「なんだよ、改まって」
「今日はその、どうして誘ってくれたの?」
そうじゃない。
私が言うべきことはそんなことじゃない。
「誘っちゃ悪かったか?」
ここで「悪いかどうかじゃない、理由を聞いているのよ」と返すのが私らしい。
なのになんで、いつもの調子が出てこないんだろう。
「……私は、嬉しかったよ。久しぶりにこうして一緒に映画が観れて」
それが素直な気持ち。それを伝えるのも重要だ。
でも、彼に言わなければならないのは謝罪の言葉だ。
なのになかなか勇気が出ない。
「あのね、赤坂くん……私、あのとき――」
言葉を口にしかけた途端、店員さんが側に立っていることに気づいて少し驚く。
「お待たせいたしました。こちらドルチェプレートでございます」
テーブルに差し出された皿は一枚だけで、なぜかドームカバーがけられていた。確かこういう蓋の名前をクロッシュという。
しかもプレート皿の大きさがかなり大きい。
「なに? これ……ずいぶん大きいみたいだけど」
「蓋を開けてごらん」
「うん……」
恐る恐るそれを開くと、そこには。
水瀬雫という名前と、自分の認識している年齢より1つ足された年齢。そしてその下に「Happy Birthday!」の文字があった。
私がそれに気づくと同時に、赤坂くんは「誕生日おめでとう!!!」と言って潜ませていたであろうクラッカーをパンッ!と鳴らした。
色とりどりなテープが舞っているのを見て呆然としながら、私は尋ねる。
「なんで……私の誕生日なんか知ってるの?」
「そりゃ知ってるよ。散々プロフィールカード出せって詰められたんだから」
「私のやつを確認したってこと? そんな、手間までかけて……?」
「ああ。俺のことを気にかけてくれるのは君くらいだからな。少しくらい恩返ししなきゃと思っただけだよ」
私とて、誕生日を忘れていたわけではないんだ。
ただ、今日がその日だということとこの誘いが関係あるなんて推測は全く立たなかった。
彼にとって私は、それほど大きい存在ではないと思っていたから。
「赤坂くん……あなたって……」
本当にお人好しだ。
彼にとっては私は提出物を急かすうざったい存在でしかないと思っていたのに、私が本当に泣く手伝いまでして、ついには恩返しだなんて。
でも恩を感じているのは――。
「……私の方だよ」
「え、なにが?」
「逆なんだよ。私のことを気にかけてくれるのは、あなただけ……恩返しできたらって……ずっと思ってたのに……あなたから、もらってばっかりで……私、わたし……」
ぽた。
え…?
私のスカートに、ひとつの雫が落ちた。
「私……泣いてる?」
もう一つ。
もう二つ。
落ちる雫は、徐々に増えていって。
「う、うぅ……赤坂くん、ごめん、私……嬉しい。嬉しいけど……もっと悔しいの……! 赤坂くんはずっと私のために色んなことをしてくれて……返せるものが何もないことが……」
「君は返してくれたよ」
そう言うと赤坂くんはハンカチを私に差し出しこう言った。
「君が泣いてくれて、俺は本当に嬉しいんだ。それだけでも十分なんだ。君の幸せが、俺も嬉しいから」
「赤坂くん……ありが、とう……」
止まらない涙を拭いながら、私は少しだけ笑ってみせる。
私はきっと、幸せ者だ。
デザートを味わいながら、私は意を決して言葉を紡ぐ。
「……赤坂くん。事故の日はごめんなさい」
「気にしてるだろうなと思ってはいたけど、本当に気にしなくていいんだよ。俺は大丈夫だから」
「ううん。この謝罪は、あのとき怒鳴ったことじゃないの。私……勝手に赤坂くんのこと決めつけてたんだと思う」
今なら言える。はっきりと。
「私は赤坂くんと一緒に映画を観るのが好き。赤坂くんと、ただの雑談を交わすのも好き。私にとって赤坂徹くんは、涙を流すために必要だっただけじゃない、大事な友達なの」
「……」
「君にも私との時間を好きでいて欲しかった……そんなエゴで、勝手に怒って、悩んで。溝まで作って。傍迷惑だよね」
「水瀬さん、俺も――」
「……言わなくていい」
止まっていた涙が溢れ出てくる。
「それ以上優しくされたらっ……今度は涙を止める方法が、分からなくなっちゃうから……!」
「そっか……うん、分かった。ありがとうな、水瀬さん」
滝のように溢れてくる涙は止めようとしても止まらない。
が、ふとあることに気づいて少しだけ涙腺への刺激が弱まった。
「えと……私のこと、下の名前で……呼んでくれる?」
「……分かった。雫、これからもよろしく」
「うん……徹くん。よろしくね!」
涙で酷く乱れてしまった顔だったけれど、そのとき人生で一番の笑顔を浮かべられたのは。
目の前の彼が――私の一番大切な人が、私に勇気をくれたからだった。




