境界の向こう側
数日後。
調律所の前には、今日も人が並んでいる。
町人、職人、そして兵士。
その列の少し離れた場所。
銀髪の魔族の女性と年長の男が、静かに様子を見ていた。
女性が言う。
「完全に根付いてるね」
男が頷く。
「ああ。あの技は特別なものではなくなっている」
女性は腕を組みながら続ける。
「“特別じゃないのに効果がある”っていうのが一番厄介だよね」
男は少しだけ口元を緩めた。
「だからこそ広まる」
そのとき、通りの端で声が上がる。
「おい、貸してくれ!」
「順番だって言ってるだろ!」
兵士たちが、一本の棒を囲んでいた。
コロ……コロ……
女性が小さく笑う。
「奪い合いになってる」
男が言う。
「必要とされている証拠だ」
少し間。
女性がふと真剣な表情になる。
「……ねえ」
「なんだ」
女性ははっきりと言う。
「もういいんじゃない?直接聞く。ユウトに」
男は視線を向ける。
「早い」
女性は肩をすくめる。
「でも、もう分かってるでしょ。あれは偶然じゃない」
男は静かに答える。
「体系化されている。再現性がある」
女性は一歩、調律所の方へ踏み出す。
「だったら本人に聞くのが一番早い」
短い沈黙。
男は小さく息を吐いた。
「……接触は慎重に行う。こちらの正体は明かさない」
女性は笑う。
「それは分かってる」
調律所の中。
いつもと変わらない光景。
ユウトが一人の客を見送っている。
「お大事にしてください」
客が頭を下げる。
「また来ます」
その流れの中で、二人が中へ入る。
ユウトが振り向く。
「いらっしゃいませ」
女性が一歩前に出る。
「……少し、聞きたいことがある」
ユウトは少し首をかしげる。
「はい?」
女性は少しだけ間を置く。
言葉を選ぶ。
「どうして分かるの?どこが硬いか、どこが流れてないか」
ユウトは一瞬だけ考える。
そして答える。
「見てるからです」
女性の目がわずかに細くなる。
「見てる?」
ユウトは頷く。
「動きとか、呼吸とか、体のバランスとか。全部ヒントになるので」
女性は少し驚いた顔をする。
「……魔力じゃないのに?」
ユウトは少し笑った。
「魔力は分からないですけど、体は見れば分かります」
その言葉に、男が静かに反応する。
(分かっていて言っていないのか)
(それとも本当に気づいていないのか)
女性はさらに一歩踏み込む。
「流れを整えてるよね?」
ユウトは少し考えてから答える。
「結果的にはそうですね。巡りを良くするっていうか」
女性は小さく笑う。
「やっぱり」
短い沈黙。
ユウトが少し不思議そうに聞く。
「お二人とも、体のことに詳しいんですか?」
女性と男が一瞬だけ視線を交わす。
女性が答える。
「少しだけ」
ユウトは頷く。
「それなら話は早いですね。無理にやるより、整えた方が楽になるのは同じなので」
女性はその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。
(同じ……か)
男が静かに言う。
「……一つ、確認したい......これは特別な力ではないのか?」
ユウトはきょとんとする。
「特別っていうほどでもないと思います。誰でもできるようになりますよ」
女性が思わず吹き出す。
「それが一番すごいよ」
ユウトは少し困ったように笑う。
―――外。
調律所を出る。
しばらく無言で歩く。
やがて女性が言う。
「……確定」
男が頷く。
「ああ」
女性は空を見上げる。
「本人は分かってないね。どれだけすごいことやってるか」
男は静かに言った。
「だからこそ広がる」
女性はにやっと笑う。
「いいね。面白くなってきた」
そして振り返る。
調律所。
「……ユウト」
今度は確信を持って、その名を呼んだ。
人間と魔族。
その距離は――
もう、思っているよりも近い。




