勝者と敗者
イソダはじっと手を見た。鞭を握る手は力が入りすぎて血がにじんでいた。ふと振り返るとエンドロールの臀部の皮膚が破れ血がにじんでいた。明らかに鞭の叩きすぎである。
「ごめんな」
イソダはそう呟いた。そして前を向こうとして景色がぼやけて見えることに気づく。目から涙が溢れ出す。
「ちくしょう、負けちまったよ」
ほぼ同時にゴールしたがイソダは負けを悟った。
ゴールを駆け抜けて退場口に戻ってくるまでのクールダウンの時間、それはごくわずかだがイソダにとっては永遠に感じられた。
戻ってきたイソダとエンドロールのまえには勝者であるオすシタニとプレセンシアがいた。
「史上初はあんたらが持っていったんだな」
エンドロールが勝っていたら史上初の地方馬によるG1制覇、プレセンシアが勝てば史上初の女性騎手G1制覇、果たしたのはプレセンシアの方だった。
勝者を称えるのは敗者の義務とばかりにイソダはエンドロールをプレセンシアの横に並べ、オシタニの腕を天に届けと大きく掲げる。
観客は史上初の快挙を達成したオシタニに惜しみ無い賛辞を贈るが同時にそれは名勝負を演じ惜しくも破れたイソダとエンドロールにも送られたのだった。
歓喜に包まれて、イソダに勝利を称えられてもオシタニは素直に喜べなかった。自分はなにもしていない。ただ乗っていただけ、ほとんどはプレセンシアが自発的的に動いた結果であり、自分はむしろ足を引っ張っていたようにさえ思えた。
そんな二人の様子をクマダはむしろサバサバした表情でながめていた。
「まだ終わった訳じゃない。むしろこれから始まるんだ。今のうちに充分に勝利を味わっておけよ」
負け惜しみともとれるような思いを心に抱いてターフを去るのだった。
装鞍所に戻ってきたオシタニとプレセンシアを出迎えるマツダ調教師
「おめでとう、よくやった」
マツダをはじめとする厩舎関係者に祝福されるオシタニを見ながらイソダは鞭の打ち過ぎで傷を負ったエンドロールを獣医に診せていた。
「二、三日もすれば傷は癒えるでしょう。ただ足の方に若干の異常が見受けられます。しばらくは安静にしておくべきです」
獣医はそう診断した。
「マーチチャレンジには間に合いそうだ」
負けたとはいえイソダは手応えを感じていた。三冠の第一関門、エイプリルカップに出走するためには予選であるマーチチャレンジで三着以内に入る必要がある。イソダの胸中は次のレースでのリベンジで溢れていた。
「どうだ、実際にプレセンシアを間近で見て」
タカダ調教師は騎乗を終えたウラタにそう声をかけた。
「圧倒的な強さは感じませんがなんと言うか勝てる感じもしません。かなりやりにくい相手です。キングオブロードの方がまだ戦いやすい」
「そうか、回避したのは正解だったかもな。この段階で苦手意識を植え付けられたくはないしな。よし、今のうちに手を打っておこう」
「と、言いますと」
「マドロームに勝ち癖をつけさせる。前回の敗戦を忘れさせるために年内に一戦走らせる。ラジパンハイに出す」
マドロームは年内最後の二歳戦ラジパンハイに出ることになった。
しかし、そのレースにはエンドロールとは違う地方競馬に所属する地方馬が出走を予定していた。
「エンドロールの仇を打つ」
とばかりに意気揚々と乗り込んでこようとしていた。
この時期競馬関係者はそわそわしだす。年末の大一番ファイナルグランプリが迫っていたからである。




