参 ーー “力”の先にあるもの ーー (5)
それはある決意。それは、救いなのかもしれない。もしかすれば、行ってはいけない選択だっかのかもしれない。その先にはあるものは……。
7
「ーーゴメン」
尾崎の第一声は謝罪になっていた。
「ううん。ありがとう」
机に向かい合った杉浦は礼を述べた。
いつもと違う状況に、尾崎は緊張せずにはいられなかった。
夢の中の教室。いつもの中央の席に尾崎は座り、向かいに今日は杉浦が座り、その横にはフードを脱いだ野村がいた。
そして尾崎の隣には、普段は夢では現れない矢島の姿があった。
二人が向き合った机には、五枚のトランプが並べられ、中央と右端の二枚のトランプが捲られていた。
捲られたトランプの銘柄はどちらも、ジョーカーであった。
捲ったのは杉浦と野村。
「……ゴメン。こんなことになってしまって」
尾崎は机の下で左手をギュッと握った。
二人を消したのは昨日。病院で手順を踏んだ左手で二人に触れた。
「こっちこそ、ゴメン。無理な願いを言ってしまって」
「でも、こうしないと上手く話ができなくて。それで仕方がなく……」
「もう、止めよう、この話は。あなたは私たちの願いを叶えてくれた。それでいいのよ」
杉浦と野村に、どこか清々しい表情を献上されると、自分の“力”が初めて憎いと恨んでしまった。
「それに、私も横田くんに理由もなく消されるのは嫌だから」
塞ぎ込む尾崎を励ます野村だが、その言葉の語尾は強く、尾崎は顔を上げられない。
「横田くんは私か矢島さんを狙っているの可能性があったんでしょ」
「おそらくね」
それまで黙っていた矢島が返事をする。
「だろ。だったら、お前はこいつを助けてくれたんだ」
杉浦の言葉にも、尾崎は顔を上げられない。
「もう、この話は止めよう。お前がこれだけ悩んでいたことには、何か理由があったんだろう」
そこでようやく顔をあげ、矢島と顔を合わせた。お互い、どう切り出すか躊躇しつつ、
「ーー実はさ」
矢島が迷っているのを察し、尾崎は一度頷いてかから、杉浦の方に向き合った。
「あいつがどうやって“力”を手に入れたのかを知りたかったんだ。奪ったんだろ、姫香って子から」
「ねぇ、それって、どうやったの?」
「あなたたちは知らないの?」
問い返され、尾崎も矢島も揃って頷くと、野村は驚いたように目を見開いた。
「僕らは産まれたときからあったらしい」
答えを聞き、少し考えた上で納得し、
「簡単よ。“力”を持った人物の血で染めた手で、握手をすればいいのよ」
「ーー握手?」
思いがけない簡単な方法に、尾崎は拍子抜けして身を反らした。
どうしても信じられず、矢島と目を合わせていると、野村は右手を差し出し、握手する素振りをした。
「そう。こうやって。私は姫香の血で真っ赤にした右手で握手をして、“力”を譲ってもらったの」
「いや、ちょっと待って。血で手を染めてって」
気になったことを訊くと、手を下げた野村は目を伏せた。何かを渋っているみたいに。
黙り込む野村に変わり、杉浦が補足する。
「あいつは確かーー」
先を続けようとする杉浦を、顔を上げた野村が制すると、自分が説明すると目配せして尾崎に向き合った。その表情は険しく見えた。
「中学のとき、学校の屋上に姫香に呼び出されたの。そうしたら、姫香は屋上で血だらけになって倒れていた。背中をナイフで刺されていてね」
そこで一度区切り、野村は唇を噛み、鼓舞する様子で続ける。尾崎も口を挟みたくなったが、ここはじっと待った。
「素人目で見ても瀕死で、助からないように見えた。けど、それでも私は姫香を抱き上げた。そのとき、姫香の血が、私の手についたんでしょうね。そしたら、私の右手を握って、「託すね」って笑ったの」
「託すって」
「私、姫香の“力”を知っていたから。横田くんのことも。だから…… そこで私は“力”を得たの。そこで助けたい一身で“力”を使った。手順は聞いていたから。でもーー」
黙り込む野村。しかし、誰も先を言おうとしなかった。誰もが把握していたから。
「助からなかった。もう、そのときには間に合わなかったの」
ややあってこぼした野村の声は痛々しく聞こえた。
誰もが唇を噛んでいた。話を聞きながら、尾崎も机の下で左手をギュッと握り締める。爪が皮膚に食い込むほどに。
「なぁ、なんで姫香って奴は、刺されたんだ?」
重い空気を感じつつも、尾崎は口を開いた。
「横田くんよ。私に“力”をくれたとき、「取られた」って。なんか、もう財布を盗まれたみたいに簡単に言ったのよ、姫香は」
「ーーあいつが」
「それから、横田くんは“力”を使っても証拠はないし、犯人が分かっても、何もできなくて。それで」
そこで、隣に座っていた杉浦の右肩にそっと、手を添えた。野村の不安を察して、杉浦は左手を重ねた。
「私って、無力だよね。ずっと逃げて。結局その後は」
現実の野村をみんな分かっている。だからこそ、誰も口にしないが、その中で尾崎だけは両手に力をこめる。
「でもちょっと待って」
誰もが黙り込む中、申しわけなさげに矢島が話を中断するが、すぐに頭を抱えて首を捻る。
「ねぇ、それって、横田くんはこれまで何度も“力”を使ったってことよね。でも、私たち、その感覚はなかったけど」
そうだ、と尾崎は手から力が抜けた。確かに青い涙を流したのは、一ヶ月ほど前だけ。それ以前はなんの兆候もなかった。
「それは多分だけど、面識がなかったからじゃないかな。私は何度かあったから。青い涙を流すのことが」
「面識って……」
「多分、消されたのは二人の知らない子なんだと思う。二人とも接点がないからーー あるいは、私と横田くんは元々、姫香の“力”で繋がっていたから…… それしか考えられないけど」
「そもそも、どうして横田くんは姫香さんのことを覚えているの? ってか、あなたたちも」
話が頓挫しようとしていたとき、ふと矢島に疑問が浮かび、口を突いた。
「何か方法があるのかもしれない。けど、よく考えてみろよ、みんなが忘れているんだよ、消した子を。それなのに……」
「……確かに。僕は完全に忘れていた。スマホのアドレスからも、姫香の番号は消えていたんだ。けど、僕は思い出した。こいつに教えられて」
何か思い当たる節があるように、杉浦も同調する。
「そうか、そうだよな。普通、小さなことでも、何かは残っているはずなんだ。それこそ、アドレスとかが。けど、それらも、全部消えていたんだ。それなのに思い出すのは何か、不思議な力があるとしか……」
「故意に記憶を残そうとするってこととか……?」
自分のことを思い出すように、顎に 手を当てながら話す杉浦。すると、野村が割り込む。
「それは、意外と単純なのかもしれない。私はただ、姫香のことを忘れたくないって思ったの。もしかすればだけど、そこに“力”を持っている者と、持たない者との違いがあるのかもしれない」
「違い?」
「そう。私たちは「誰かが消えた」っていう事実を知っていた。だから、痕跡をさがそうとできるけど、ほかの人は、消えたかどうか曖昧だから、分からない。だからいつしか本当に忘れていく。そこで、「消えたのは誰?」って疑問を持てば、思い出すきっかけが見つかるのかも。それが青い涙なのかも」
「そっか。それだ、姫香が消えたとき、神隠しだって変な噂がながれた……?」
「それとも、野村さんと横田くんは、同じ姫香さんから受け継いだってところにも意味があるのかも」
「どういうこと?」
「二人の“力”は対になっている。だから、横田くんが何かしらの方法で記憶を蘇らせると、野村さんも思い出す、みたいな……」
杉浦らが憶測を話していると、矢島も自分なりの考えを述べた。
「ーーそんなの、どうでもいいよ」
新たな疑問が浮かんだとき、尾崎はドンッと机を拳で叩きつけると、荒々しく叱咤した。
三人は音に驚き、尾崎を見て動きを止めた。尾崎はうつむいたまま、机に叩きつけた拳をわなわなと震わせていた。
三人が注目する中、ゆっくりと尾崎は顔を上げ、堪え切れない苛立ちで奥歯を噛み締めた。
どうしたの? と、聞こうとした矢島だったが、尾崎の血走った眼差しを目の当たりにして、臆してしまう。
言葉が喉に詰まってしまう。
「どのみち、あいつは何人も殺している可能性があるってことだよね」
「えぇ、まぁ」
野村も尾崎の気迫に気負いしてたじろいでしまう。
「……あいつだけは許せない」
いつかは尾崎から“力”を使うきっかけを作ろうとしていました。それは尾崎の苦渋の判断になります。“力”を使った相手は杉浦と野村。彼らを消すことに躊躇っていた尾崎の思いに強い意志が隠れています。それが大きな動きになっていきます。今後もよろしくお願いします。




