271 優しさに包まれた平和な日常
シアと一緒に城主棟三階の南側──マリーたちの私室に近付こうとしたら、風精霊に呼び止められた。
どうやら俺は監視されてたらしい。
その結果……
「夫とはいえ礼儀ってものがあるわよね? 女性の部屋をこっそり覗こうだなんてあり得ないわ。弱って油断した姿なんてものをアンタに見られたら、みんながどれだけ傷付くか少しは考えられなかったのかしら?
あ~、でも本当に弱ってるわけじゃないわよ? 症状も微熱だけでそれほど重くないし、食事もスープがメインだけど残さずしっかり食べてるからね。隔離は念のためだから心配しなくてもいいわ。
それにしても、やっぱりマスターが心配してた通りになったわね。ハルキが自分たちのことを心配して仕事が手につかなくなったらどうしようって……。ハルキ、こんな時だからこそ、アンタはどっしり構えてやるべきことをやりなさい。それがみんなにとって一番のお薬なんだからね」
こんな感じで、説教されてしまった。
さらに……
「お兄ちゃん、こんなとこで何してるの?」
サンディーにも見つかり、そのまま主塔の上階へと連行された。
「フィーリアさんが怒るのも当然よ。私だったらお兄ちゃんに看病してもらえたら嬉しいけど……。で、でもね、それで仕事の邪魔になったら嫌だし、もし自分のせいでお兄ちゃんまで寝込んじゃったら、後悔じゃ済まなくなるわ。
この場を任されてたのはロア姉さんよね? お兄ちゃんに病を伝染した責任を感じて、実家に帰るとか言い出したらどうするの?
じゃあ、私は念のため掃除してくるから、お兄ちゃんはここで大人しく待っててね。シア、メイプル、お兄ちゃんのこと、お願いね」
サンディーの指摘はより具体的で、俺の心に突き刺さった。
使用人が主を危険に曝したとなれば、自責の念に駆られて当然だ。
ロアは妻だけど……だからこそ余計に責任を感じて、サンディーの言葉が冗談じゃなくなる可能性が高い。
そういう意味でも、俺の行動は軽率だった。
「お兄さま、そんなに落ち込まないでください。考えが及ばなかった私にも責任がありますから。お姉さまも、お兄さまが心配なだけで怒っているわけではないですよ。あの瞳の色は、対処を怠ったお姉さま自身に向けられたものです」
言いつけを破った俺が悪いのに、メイプルがひたすら優しい。
けどそれは、形は違えど風精霊やサンディーも同じで、全ては俺たちのことを思っての行動であり、説教だった。
……とまあ、そんなことがあり、そのまま俺は主塔の上階に保護という名目で軟禁されたわけだけど、監視役がシアとメイプルだったのはサンディーの優しさだろう。おかげで気詰まりも退屈もせず、のんびり楽しい時間を過ごすことができた。
メイプルがティータイムに誘い、サンディーが歓談の場を整えて待っていた。
それだけに、ようやくサンディーの機嫌が直ったのかと期待したけど……
『私も初めて知りましたけど、サンディーお姉さまは怒った時だけでなく、感情が高ぶった時にも目の色が変わるようですね』
『ロアの代わりをするからって、気合が入ってるみたいだな』
メイプルと内緒念話をし、二人でチラッとサンディーを見る。
その視線に気付いたのか、サンディーは俺に向かって小さく一礼する。
「領主様、たとえ症状は軽度とはいえこれ以上被害を広げないためにも、病床に臥せっておられる奥方様との接触は、侍女と私だけに限らせていただきます」
どれだけ酷い損傷を受けても精神世界で療養すれば復活できる召喚体だけに、病にも耐性があるらしい。
それなら妹たちだけで看病したほうが安全だけど、侍女にも立場ってものがある。苦しむ主を残して自分だけ安全な場所に避難するわけにはいかないのだろう。
「ああ、分かった。みんなのこと頼んだぞ」
「はい。お任せください」
フリフリメイドドレスロングスカートバージョンは、今やメイド長の正装といった認識だけど、その姿になったのはロアの代理を務める覚悟を示すためだろう。
できればサンディーも一緒にティータイムを楽しんでもらいたいけど、こうなる原因を作った俺としてはかける言葉がない。
沈黙が流れる中、とりあえずコーヒーを啜る。
……と同時に、シアが唐突に歌い始めた。
「くっしやっき、くっしやっき~♪ こっこのくっしやっき~♪ ……はむっ♪」
ほんの少し、場の空気が和む。
まさか、それを狙って?
……いやいや、シアだけに、それは無いな。
「串焼き、楽しみにしてたもんな。……シア、その黄色いソースは何だ?」
「甘くってピリリの、ハニ~マスタ~ド♪」
相変わらず抑揚のない声で奏でられる独特な拍子に合わせて、妖精姿のシアが満面の笑みで教えてくれた。
そして、流れるように……
「はい、ハル兄も、あ~ん」
差し出された串焼きを、はむっとひと口頂戴する。
……なるほど。甘さの中にピリリと刺激が走る味だ。とはいえ、辛すぎず後味もマイルドなので、癖になるっていうか、もうひと口食べたくなる。
小型陸鳥との相性もいい。けど、他の肉にも合いそうだ。
「これはいいな。不思議と食欲がそそられる。それに、うぎゅ……」
「うぎゅ???」
いきなり発せられた俺の奇声を口真似して、シアが不思議そうに見上げる。
その目の前で、二つ目の菓子が俺の口に飛び込んだ。
三つめはなんとか手で受け止め、シアに渡す。
俺ならひと口で食べれるサイズだけど、一度に二つも放り込まれたせいで口の中が一杯で苦しい。表面がふわふわ柔らかいので、何とかもぐもぐ食べ始める。
もちもちした球体にはほんのりとした甘味があり、不思議な食感で楽しい。それを噛み潰すと果実の香りが口の中で弾け、爽やかな酸味と濃厚な甘さが広がる。
「糖蜜漬けのパインに白葡萄のジャムを絡めて、ほっぺパンで包んだものです。お兄さま、お味はどうですか?」
問いかけられても言葉が出ない。
口が塞がってて声が出せないだけだけど……
なので、なんとか感想を伝えようと、ほぐほぐ頬張りながら何度もうなずく。
それを見て……なのか、メイプルが笑顔を浮かべた。
やけに詳しいのは、メイプルが開発に関わったからだろう。となれば、サンディーも無関係ではないはずだ。
で、そのサンディーはといえば……
「もうサクヤ、食べ物で遊んじゃダメでしょ?」
「遊びとは心外です。とても美味でしたので、この幸せをハルキにお裾分けしただけですわ」
「もう、そんなこと言って。もし、お兄ちゃんが喉に詰まらせちゃったらどうするの? それに、味わって食べなきゃ勿体ないでしょ?」
シアが俺に食べさせようとするのはいつものことだけど、それを見て対抗心が芽生えたのか……
悪戯の主はサクヤだった。精霊の力で菓子を操り、俺の口に放り込んだのだ。
それを見咎めたサンディーが注意を与えてるけど、瞳から赤味が消え、口調もすっかりいつもの調子に戻っている。
「ふぅ……、今日も平和だな……」
「そうですね……」
俺とメイプルは湯気を上げるコップを手に取り微笑み合った。
……のも束の間、驚きの表情を浮かべたメイプルが、ほんの少し考える素振りを見せ、俺たちを見つめて真剣な表情で告げた。
「お兄さま、領内に新たな帝国の施設が発見されました」
「またか……」
ため息をつくと幸せが逃げるっていうけど……
ようやく手にした平和が指の隙間からこぼれ落ちるのを感じて、俺は特大のため息をついた。




