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余り語られない撮影所のあれこれ  作者: 元東△映助
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余り語られない撮影所のあれこれ(48) 監督列伝vol.2 特撮作品の監督その2 「石田秀範」

★監督列伝vol.2

特撮作品の監督その2

「石田秀範」


今回は、監督作品が上映中ということもあり、東條監督の回の時に後回しと言っていた「石田秀範」監督の事を語ってみたいと思います。


但し、メイン監督に成られた時には既に私は現場にはいませんでしたから、チーフ助監督やセカンド助監督の時代の石田監督がメインとなりますことをご了承下さい。


実は、余り多くを語りたくないと思える程に、サード助監督であった当時はチーフ助監督の鏡の様な方でしたので、「お前が語るんじゃねーよw」って怒られそうで、語る事に腰が退けているのは確かですww


尚、例によって情報のほとんどが30年前ですw

今となっては変わっていることや、無くなっていることもあります。また、記憶の内容が30年の間に美化されたり劣化してしまっているものも存在しますwwその点をご理解の上、あらかじめご了承下さい。


●基本データ

石田秀範(いしだ・ひでのり)(本名)

監督名として「ヒデ・I」名義を使う場合がある。

1962年10月14日生まれ。現在58歳。

富山県出身。

私が知っている31年前の20台後半の頃は、今の様な髪型ではなくて、もう少し長髪でした。

メガネもサングラス調の色の濃いモノではなく、普通の透明なメガネでした。

よく現在の写真として使用されているモノでは、無精髭が目立ったりしますが、本来は綺麗に髭を剃られています。

長身で細身というイメージは、東條監督と通じるところがあります。


●東映特撮作品一筋

東條監督の回の時の様に、プロフィール代わりに関連作品を列挙してみます。


○メタルヒーローシリーズ

宇宙刑事ギャバン(1982)サード助監督

宇宙刑事シャリバン(1983)サード助監督

宇宙刑事シャイダー(1984)サード助監督

巨獣特捜ジャスピオン(1985)サード助監督

時空戦士スピルバン(1986)セカンド助監督?

超人機メタルダー(1987)セカンド助監督

世界忍者戦ジライヤ(1988)セカンド助監督

起動刑事ジバン(1989)チーフ助監督&セカンド助監督

特警ウインスペクター(1990)チーフ助監督

特救指令ソルブレイン(1991)チーフ助監督兼任で監督デビュー

特捜エクシードラフト(1992)チーフ助監督兼任監督

特捜ロボジャンパーソン(1993)チーフ助監督兼任監督

ブルースワット(1994)チーフ助監督兼任監督

重甲ビーファイター(1995)チーフ助監督兼任監督

ビーファイターカブト(1996)チーフ助監督兼任&初ローテーション監督

ビーロボカブタック(1997)監督専任

テツワン探偵ロボタック(1998)「ヒデ・I」名義で監督


奇しくもメタルヒーローシリーズに、最初の「ギャバン」から始まり最終「ロボタック」までの16年間において、唯一関わり続けた演出部なのです。

「ソルブレイン」で史上最年少監督(29歳)に就任してもチーフ助監督だったのは、セカンド助監督がチーフ助監督として活躍できる状態じゃなかったからなのかもしれないと、個人的には思っています。

それだけ、チーフ助監督としても優秀であったとも言えると思います。


○ロボコン

燃えろ!!ロボコン(1999)「ヒデ・I」名義で監督


どうも「カブタック」に始まる不思議コメディシリーズとメタルヒーローシリーズの融合によって、脚本の方向性が浦沢義雄ワールドに傾いたのが「ヒデ・I」名義に成った理由じゃないかと勘ぐってしまいますねw

本当のところは分かりませんw


○仮面ライダーシリーズ

仮面ライダークウガ(2000)初メイン監督

仮面ライダーアギト(2001)

仮面ライダー龍騎(2002)

仮面ライダー555(2003)

OV 仮面ライダー555 てれびくんハイパーバトルビデオ(2003)

仮面ライダー剣(2004)

劇場版 仮面ライダー剣 MISSING ACE(2004)

仮面ライダー響鬼(2005)

仮面ライダーカブト(2006)

劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE(2006)、

仮面ライダー電王(2007)

仮面ライダーキバ(2008)

仮面ライダーディケイド(2009)

仮面ライダーW(2009)

仮面ライダーオーズ(2010)

ネット版 仮面ライダーオーズ ALL STARS 21の主役とコアメダル(2011)

仮面ライダーフォーゼ(2011)

仮面ライダーウィザード(2012)

仮面ライダー鎧武/ガイム(2013)

仮面ライダードライブ(2014)

OV 仮面ライダーゴースト 一休眼魂争奪!とんち勝負(2015)

OV てれびくん超バトルDVD 仮面ライダーゴースト 一休入魂!めざめよ!オレのとんち力(2016)

OV ドライブサーガ 仮面ライダーチェイサー(2016)

OV ドライブサーガ 仮面ライダーマッハ/仮面ライダーハート(2016)

ネットムービー 仮面ライダーゴースト 伝説!ライダーの魂(2016)

ネットムービー 仮面ライダーアマゾンズseason1(2016)

ネットムービー 仮面ライダーアマゾンズseason2(2017)

劇場版 仮面ライダーアマゾンズ Season1 覚醒(2018)

劇場版 仮面ライダーアマゾンズ Season2 輪廻(2018)

仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判(2018)

仮面ライダーゼロワン(2019)


平成仮面ライダーの最初の「クウガ」からメイン監督を務め、15年間テレビシリーズの平成仮面ライダー一筋の職歴を持ち、テレビシリーズのローテーション監督を後進に譲った後もオリジナルビデオ作品である「アマゾンズ」で話題をかっさらいましたw


○その他劇場版

シージェッター海斗 特別編(2013)

GOZEN 純恋の剣(2019)

がんばれいわ!!ロボコン ウララ〜!恋する汁なしタンタンメン!!の巻(2020)


2019年に活躍拠点を大分県へ移される報道が流れると、監督業からの引退か?という噂も飛び交う程でしたが、「ゼロワン」を演出され、更に「GOZEN 純恋の剣」や「がんばれいわロボコン」を演出されたことで、無言の内に引退説を否定しています。


●人物像

石田監督の最初の思い出は、私が「ジバン」の最終盤にフォース助監督で入った際のセカンド助監督の思い出になります。

しかしこの頃は、私自身がテンパっていましたから、現場にほとんど居ない宮坂清彦チーフ助監督を監督と思い込み(実際、宮坂さんはチーフ助監督との兼任監督でした。)、石田さんがチーフ助監督だと思っていました。


余り口数の多い人ではなく、この業界に付き物の様に「シャイ」でした。

但し、「ウインスペクター」でチーフ助監督に専任する頃には、些細な事もそつなくこなせる「できる人」のイメージが強くなっていました。

実際、レール台車によるドリー撮影の際も、台車押しを瀬尾脩(=浄空)カメラマンからご指名で受け、その瀬尾さんに悪態を着きながらも撮影の意図をくんだ繊細な移動で撮影を補助する等、カメラマンからも信頼されていました。

また、クレーン撮影でも同様の信頼を得ていました。

そして、直属の下の者にも余り叱りませんでした。

チーフ助監督に成って現場に余り顔を見せなかったということも一因ですが、叱る役は瀬尾脩(=浄空)カメラマンに任せていた様な節がありますww


また、監督に成ってからの役者に対する態度にも同じ様なところがあり、「言ってもどうしようもない者には言わない」「言って応えてくれる者には言う」「出来る者には誉める」といった感覚があったと思います。

兎に角、叱りませんでした。叱るといっても後腐れなく言葉だけで、手をあげることはありませんでした。

にも関わらず、石田監督には「怖い」というイメージが着いています。

これは、相手が駄目出しをされているとか、怒っているだろうと思い込み、石田監督が余り語らないのが反って怖く感じてしまうからなのだろうと思っています。

そういった意味では、東條監督とは違うスタイルの「怖さ」であるのは確かですww


石田監督は、今やトップクラスの役者を育てたと言える監督に成りました。

事実、平成仮面ライダーシリーズでレギュラーを務めた役者の中から「怖かったけれど、勉強になった」「映像業界での父」「真剣に向き合ってくれた」という声が多く聞かれる様になりました。

石田監督自身は、自分の映像を作りたいだけなのかもしれません。しかし、どこに力を入れるべき場所なのかを知っていて、その要点を捉えた演出が次代の役者を育てることにも繋がっているのだと思います。


●弟子

監督と助監督には師弟関係を築く者が居ます。

石田監督にとっては鈴村展弘監督が弟子としての存在でした。

1992年の「エクシードラフト」でサード助監督として現場入りした鈴村監督は、私の後を引き継ぐかたちでその後のメタルヒーローシリーズに尽力します。

1996年「ビーファイターカブト」からはセカンド助監督に成り(これは早い方ですが、それほど珍しいことではありませんでした。私は2年でセカンド助監督を経験していますからw)、1998年の「ロボタック」でチーフ助監督を経験。2000年の「クウガ」で正式にチーフ助監督に就任します。また、監督デビューも果たします。

流石に8年での監督デビューは早いですが、これも確かな推薦者が居たことと、若手の間に仕事の出来る石田監督が推薦出来る人物が鈴村監督しかいなかったのではないかと思うのです。


●ジャンル

石田監督は映画好きだったと記憶しています。

特撮やSF映画が好きかと問われれば、それよりもスタイリッシュなモノやヒューマンドラマの方が好みだったと思います。

ご本人ではなく緒先輩方に聞いたところによれば、石田監督は本来ミュージックビデオを撮りたかったらしいということでした。

本当の事かどうかは判断出来ませんが、多くのオープニング映像を観ると、その言葉に説得力が出てきます。

しかし、石田監督自らが今回の「がんばれいわロボコン」の映画に際してのインタビューで語るところによれば、現在ではジャンルを問わず撮れるものを撮っていくだけということらしいです。

実際、真面目なストーリーからコメディやバイオレンス要素のモノまで、石田監督の撮るジャンルは多岐に渡ります。


余談ですが、今回の「がんばれいわロボコン」に代表される脚本家の浦沢義雄氏は、「私の台本をそのまま映像にしたところで面白くもない。私の想像を超える映像が欲しいのです」とインタビューで語っています。

それに対して、別の場所でのインタビュー記事で石田監督は「浦沢さんの脚本は、書かれていない部分も多くて頭を抱えるけれども、書かれていない部分を挑戦だと考えながら自分の映像にしていく」と語っています。

案外、この御二方はお似合いなのかもしれませんww


「がんばれいわ!ロボコン! ウララ~!恋する汁なしタンタンメン!!の巻」を宜しくお願いします!ww



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― 新着の感想 ―
[一言] うちの舎弟の言う人物像と真逆過ぎてかなり笑えます。 まあ、舎弟も対外的には同じような事を語っているようですが(笑) 当然ですが、私とは時代が少しズレますので面識はありません。ですが、先述の…
2022/09/04 11:05 名無しの権兵衛
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