天才グルメブロガー比呂麿
でも、違和感がある。話しぶりからして、昴と知り合いのようだ。そもそも、ムスカって誰だよ。
「えっと、比呂麿さんだっけ。あなたも目的は同じ」
「この人知ってるの」
「私のライバル」
「その通り。天才グルメブロガー比呂麿とは俺のことだ」
グローブをはめた手を額に添えて、無駄にかっこいいポーズを決める。街中だけど、やってて恥ずかしくないのかな。魔法少女をやっているボクが言うことではないけど。
どうやら、ブログの広告収入で稼いでいるその筋のプロのようで、彼のブログはランキング最上位の常連らしい。グルメリポーターのブログ版みたいなもんか。食べ歩きをしているうちに鉢合わせることが多くなり、自然に親交を深めたというわけだ。
ちなみに、ムスカは昴がブログ上で名乗っているハンドルネームである。昴といえばバルス。バルスといえばラピュタ。ラピュタといえばムスカという連想ゲームで付けたと本人が語っていた。昴と言えばバルスって異世界の鬼のヒロインみたいな発想だな。ハーフエルフの女の子から「おたんこなす」って言われないだけマシか。
「色々と語り合いたいところだが、今日の所は油を売っている暇がないな。目的は同じなのだろう」
「そう。悪いけど、大福は渡さない」
早々に火花を飛ばしあっている両者。仲良しかと安堵したのは間違いだったか。でも、ラブラブ大福を狙っているのなら、比呂麿さんには決定的に足りないものがある。
「目的の大福はカップルじゃないと買えないんだよね。でも、比呂麿さんは一人のような」
「案ずるな、少年よ。俺にもきちんとパートナーがいる」
「ヒロく~ん。本当に大福食べさせてくれんの。休みに駆り出されたんだからぁ、当然見返りはあるんでしょうねぇ」
もはや絶滅危惧種となりつつあるギャル口調で、厚化粧をした女性が腕を組んでいた。チャラ男と並ぶと典型的なバカップルみたいだ。
「同じ大学に通う曽根沢ちゃんだ。どうだ、大福を買う条件は整っているぞ」
「ううむ、抜かりがない。でも、買うのはこの私」
パートナーを置き去りに睨みあっている。いや、曽根沢ちゃんから「この子可愛い」って勝手に頭を撫でられているのだが。大人のお姉さんに急速接近されるって精神衛生上よくない。ストーカー三人組の存在も怖いし。
「おっと、油を売っている暇はない。曽根沢ちゃん、急ぐよ」
「え~、だるいし~」
やる気が全くない彼女を引き連れ、比呂麿は走り去っていく。大学生だけあって足が速いな。
なんて感心していると、服の袖を引っ張られた。
「うかうかしている場合じゃない。行くよ」
予想外に強い力でぐいぐいとリードされる。大学生に引けをとらない脚力を披露している辺り、昴も意外と身体能力が高そうだ。半ば引きずられているボクが悲惨だけど。
ずっと大通りを進んでいるけれども、先行する大学生組との差が縮まる気配はない。まともに競争していては体力で劣るボクらが不利だ。その事実を承知しているのか、比呂麿は軽快に飛ばしていく。
「まずい。このペースでは追いつけない」
「でも、饅頭の数に余裕はあるんでしょ」
「いいや。口コミで人気が広がって、大多数は地元民で買い占められると聞いた。おそらく、この時間だとほとんど買われている。もし、比呂麿が先になったら買えなくなる」
そうなのか。でも、急に体力を上げる方法なんてあるわけないし。
いや、あるか。魔法少女に変身すれば。いやいや、大福を買うためだけに変身できるわけがない。それに、変身後の脚力に昴が付いていけないだろう。
もちろん、昴もこのまま走っていては勝ち目がないと分かっているはずである。なので、道中の曲がり角に差し掛かったところで急に方向転換した。
猫ぐらいしか侵入しなさそうな細道だ。並列走行するのが困難なのだが、相変わらず引っ張られているので変わりはない。
「ねえ、いきなりこんな道に入って大丈夫なの。道を間違えたんじゃないよね」
「心配ない。まともに走っては追いつけないから、予め裏道を探してきた。これならば大幅に時間短縮できる」
逆に時間がかかりそうだが。当の昴は意見を受け付けることなく、黙々と走っている。変に逆らったりせず、素直に従った方が良さそうだ。
平坦な道かと思いきや、進むにつれ右へ左へと蛇行を余儀なくされる。本当に大丈夫なのか。不安を抱いていると、障壁にぶち当たることとなった。
「困った。想定外の事態に陥った」
突然立ち尽くす昴。前方に出現したのは柴犬。舌を出してリズムよく息遣いをしている。可愛らしいけど、よく観察してみると首輪をしていない。つまりは野良犬か。
さっさと無視していけばいいものの、あろうことか狭い路地を塞ぐようにお座りしている。どいていただかないと先に進めないというわけだ。
「このままじゃ進めないな。迂回する?」
「いや、この道でないと先回りできない。それに、遠回りしては意味がない」
意地でもまっすぐに進もうという魂胆だ。まさか、犬と戦う羽目になるとは。
闘志を顕わにするボクらに対し、野良犬は人懐っこそうにこちらを見ている。仲間にしますか? いや、しないからね。
「やっぱり引き返した方がいいんじゃない」
「大丈夫。任せて」
胸を叩くと昴は犬へと進み出る。策があるのか。自前のリュックの中に手を突っ込むとガサゴソとまさぐる。なるほど、秘密道具を出すつもりだ。お前は二十二世紀の猫型ロボットかよ。
取り出したるはビーフジャーキー。って、なんでそんなもんバッグの中に入れているんだよ。
「おやつに食べようとしていたけど致し方ない。本来ならキビ団子をあげたかったが手持ちがないし、こいつで我慢してくれ」
むしろ、キビ団子より喜ぶんじゃないかな。ただ、人間用のビーフジャーキーは塩分が多すぎるから、本当は犬にあげちゃいけないんだよね。まさか、犬用のビーフジャーキーを持っていたというわけではなかろうし。
野良犬はさっそくビーフジャーキーに反応している。千切れんばかりに尻尾を振り、一目散に駆け寄ってくる。いいぞ、このままジャーキーをどこかへ投げ捨てれば、犬もつられて去っていくはず。そうすれば前に進めるという寸法だ。
しかし、予想外のことが起きた。昴はジャーキーを差し出したまま微動だにしない。野良犬の勢いは衰えることなく、まっしぐらに突っ込んでくる。
そして、ものの見事に右手が犬の口腔に収まった。思い切り噛まれているのだが、大丈夫か。
「痛くない、痛くない」
風の谷の少女じゃないんだから無理しないでください。どうしよう、助けないと。でも、ボクまで噛まれるのは嫌だし。
うろたえているうちに、野良犬は満足したのか、勝手に口を放した。そして、尻尾を振りながら大通りへと向かっていったのだ。どうやら障壁は去ったらしい。
でも、心配なのは昴だ。物の見事に噛まれていましたよね。本当に大丈夫なのかな。
「す、昴?」
「優輝、痛い」
ですよね。右手を垂れ下げながら涙目になっていた。窮地は脱したからいいけど、どうしても腑に落ちないことがあった。
「さっさとジャーキーを投げ捨てれば噛まれずに済んだのに、わざわざ持ったままだったのには理由があるの」
「食べ物を投げ捨てるなんて罰当たりをできるわけがない。例え犬相手でも美味しく食べてもらうのが私の信条」
食べ物を粗末にしたくないから噛まれるのを選ぶなんて。治療してあげたいけど、あいにく用具を持ち合わせていない。ダイヤモンドに変身する機会があったら「全治全能」をかけてあげよう。変身する機会なんて訪れてほしくないが。
タイムロスしてしまったものの、目的地の和菓子屋へと急行する。相変わらず道は狭いままだ。おまけに、負傷した右手を庇っているのか、昴の走行ペースが落ちている。正規ルートを行っている比呂麿が幾分リードしているだろうな。弱音を吐こうにも、黙々と先に進む昴を前にすると言葉に詰まる。