メンカルトゥールの森 前編
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今日は猪さんがゲストです、どうぞよろしく
ブヒーッ
メンカルトゥールの森は薄暗い。
もとよりオーストレームの里は森の奥地にひっそりと佇んでいるのだ。
里に近いところや、ハミル湖へと繋がる道こそ陽の光が差し込んでそれなりに明るいのだが、それ以外のところは巨樹が連なって鬱蒼としている。
それでも陽の高い日中は生い茂る木々の葉の隙間から翡翠色にも似た木漏れ日が降り注ぎ、青風が土の匂いを運んでくるものである。
その光景は、大型動物や種々の魔獣が跋扈する恐ろしい森などと思えぬほどに神秘的であった。
いま、その中を啓吾と二人の戦士が歩いている。
啓吾はいつものコートに打刀、短剣に加えて簡素な短槍も背負っている。
残りの二人は女性であった。
胡桃色の頭髪に狼耳、めりはりのある長身の女がアンティア。
もう一方の抜けるような白い髪から兎耳が飛び出している小柄な方がリューリである。
いずれも双剣を腰にぶら下げている。
この二人、ヨウシアの直弟子なのである。
剣もよく遣うし魔法もうまい実力者なのだ。
「それにしても」
口を開いたのは最後尾を歩いていたアンティアである。
「ん?」
「君が新人の肩を持つとは思わなかったな」
「肩を持ったわけじゃないさ、本当のことだよ」
「だとしても、いじめられてたんだろ?」
「ちょっとティア!」
「ま、別に気にしちゃいないさ。子供の喧嘩だ」
「はあ、大人だねえ」
「もう、エリアスくんの方が兄弟子なのに失礼ですよ!」
とうとう立ち止まって振り向いたリューリが腰に手を当ててアンティアを睨んでいる。
本人は怒っているつもりなのだろうが、いかんせん童顔の彼女では背伸びしてるようにしか見えない。
アンティアなどは忍び笑いを堪えながら言葉を紡いでいる。
「リューリだって“エリアスくん”なんて言ってるじゃないか」
「……そ、それは、その」
「ふ、ふふ。リューリも大丈夫だ。遜られるのもむず痒いし、俺だってこんな口調だし、な」
「あうぅ……」
「そうだぞ、リューリ」
「それに、だ。それこそティア“姉さん”が後輩をいじめようとしてくれなきゃ俺たちだってこんなに親しくなれなかっただろ?」
そう言って、啓吾は笑いながら片眉を上げて見せた。
実際、啓吾が戦士になった去年までアンティアたちは啓吾が弟弟子だと思っていたのである。
それはそうだ、当時の啓吾は十四歳。
一回り近くも年下の少年が数ヶ月違いとはいえ兄弟子にあたるなどとは知る由もない。
結果、後輩を揉んでやろうとしたアンティアが油断から返り討ちにあったのである。
先輩ヤンネから事実を教えられた時の彼女の驚きは相当のものであった。
だが確かに、そのおかげでこの三人の交友は始まったのだ。
いまはアンティアたちも啓吾に信を置いており、だからこそ対等に言葉を交わすのである。
先の発言とて啓吾に他意はない。
ちょっとしたいたずらであった。
その目論見通り、アンティアはあたふたと焦っている。
「な、な、それはっ! あたしは後輩をしごこうとしただけで……!」
「おや、そうだったかな」
「勘弁してくれよぉ」
「あは、はははは。すまんすまん」
「うふふ。ティアったら」
「ああもう。置いてくなよっ!」
笑いながら歩き出した啓吾たちを、アルティアが追いかける。
と、その時であった。
リューリの頭上に揺れる兎耳が、ぴくりと跳ねた。
すぐさま彼女の右手が横に伸び、隊列が止まった。
同時に、啓吾とアンティアが抜剣する。
「……逃げてきます。鹿三頭、ソードラビット二匹。追ってるのは多分、ロックボア、すごく大きい。方向は、あっち、かな」
言いながら抜剣したリューリは二時の方向を示した。
「ソードラビットならちょうどいいね。一匹抜けさせる?」
「そうだな。ならロックボアは俺がやろうか」
答えながら啓吾が一歩進みでる。
木漏れ日を浴びて、右手一つでぶら下げる刀が煌めいた。
すでに、獣たちが迫り来る響きが足元に伝わり始めている。
「ちぇっ、いいとこ持ってちゃってさ」
「それじゃあ鹿は私がやりますねえ」
「うぇ、あたしがソードラビットかよ。苦手なんだよなあ」
「ふ、ふふ」
「ティアは可愛いもの好きですもんね」
他愛もないことを言いながら、アンティアとリューリが横に並んだ。
沈黙とともに森のざわめきが三人に襲いかかってくる。
変化は急激であった。
まず小鳥が、ついで小さな動物が茂みから飛び出してきた。
どれもが脇目も振らずに三人を通り越して逃げていく。
その直後、三頭の鹿と二匹のソードラビットが遅れたかのように飛び出てくる。
まずリューリが動いた。
いっそう早く走ってきたソードラビットとすれ違い、後ろにいた鹿に急迫するやいなやその首を深々と切り裂いたのである。
どう、と首筋を切られた鹿が倒れる。
残りの二頭と兎が反射的に横へ逃げ、同時にリューリとアンティアが追随して左右に離れる。
その只中で、啓吾は小揺るぎもせずに正面を見据えていた。
茂みが炸裂する。
轟音を響かせて現れたのは熊ほどもある猪である。
六尺を優に超えるその巨体は光沢のある仙斎茶色の剛毛に覆われ、突き出た太い角は禍々しいまでに黒光りしている。
ロックボアは恐ろしい突進と尋常ではない堅固な毛皮を持つ雑食性の魔獣である。
時にはこの辺りの獰猛な熊でも襲って餌にしてしまうほどである
その紅い眼が、啓吾を睨んだ。
一瞬の膠着が流れる。
しかして、先に動いたのはロックボアであった。
粉塵を背後へと撒き散らしながら、その巨体が突き進む。
その身に魔力が滾っているのだ。
巌のように浮き出た筋肉が躍動し、一塊の暴風となって駆けている。
啓吾がふわりと真横に飛んだ。
その左手から、すでに何かが撃ち放たれている。
直後にわずかな血風が舞う。
ロックボアの苦悶が声となり迸った。
その隙に、啓吾は右へと抜けている。
すり抜ける間際、一振り閃いた刀がロックボアの左前肢を切り割っていた。
魔力を帯びて仄かに光たなびく刀身には曇り一つも見当たらない。
すぐさま身をひるがえした啓吾は油断なく構え直した。
その目の前で、ロックボアはつんのめるようにして倒れた。
何が起こったのかも正確には理解できていないのだろう。
地に伏せたロックボアは訳も分からず激痛に喚き回り、それでも立ち上がろうとして再び倒れた。
スルスルと近寄った啓吾の手には、いつの間にか短槍が握られている。
その槍の、穂先から陽炎のように魔力の残滓が立ち昇った。
「……ふんっ!」
気合いと共に突き出された槍が、深々とロックボアの胸元に刺さった。
いかに堅牢な毛皮も腹はいくぶんか柔らかい。
そこへ持って啓吾の渾身の突きである。
心の臓へ達したその傷口から血が溢れ出ていた。
当然にロックボアは狂ったように暴れるのだが、すぐさま槍を手放した啓吾は十二分に離れている。
じきに、その気力さえ失ったのかロックボアは暴れるのもやめた。
ただ、ゆっくりと死にゆく紅い眼が見つめている。
それを啓吾は眉間にしわを寄せながら凝っと受け止めた。
やがて動かなくなったロックボアに、啓吾は両手を合わせて何やら呟いていた。
【脚注のようなもの】
青風……青々とした草や水の上を吹く瑞々しい風
仙斎茶色……暗い緑がかった茶色。仙斎緑を茶がらせた色。名前の由来は不明。
ロックボア……猪型の魔物。本当はとてもつおい。狩人は避けるし、熊も逃げ出す。出会った相手が悪かった。ブヒーッ(泣




