第五章 ダンジョンの奥にあるもの その2
なるべく上の道を行く一団と離れない様に並走していたサザキ達であったが、ダンジョンの複雑な地形によりはぐれてしまうのに時間は必要なかった。
サザキ達は一晩中魔物の気配から逃げ続け、朝日が出る頃には元の一団が居る場所どころか自分たち居場所すら分からなくなっていた。
「太陽があっちだから、向こうに進めばいつかは街に着くね」
クルナイスは朝日の反対側、西より少し北に寄った方角を指さした。
「ごめんなさい。私のせいで」
ルーネイはずっと謝っていた。
「何度も言うように、あの状況でルーネイを切り捨てられなかったのは俺自身だ。その判断の責任をルーネイが負うことは無い」
「ボクはもともとルーネイを助ける判断が間違っていたなんて思ってないよ。ゴーテツとも別れずに済んだしね」
二人の慰めを聞いてもルーネイの表情は晴れない。
「それより足の調子はどうだ?」
「走るのは無理ですが、ゴーテツに掴まって踏ん張るくらいは出来ます」
ルーネイが自分で手当てした足を見て、ルーネイの表情を見てサザキはルーネイが無理をしていないか確認をする。
ルーネイの言葉はサザキにとって幸いであった。
ここまでゴーテツに掴まって移動してきたのだが、踏ん張りの利かないルーネイを支えながら魔物を察知するというのは無理があったからだ。
魔物に遭遇せずに済んだ事は偶然に近かった。場所が場所だけにやはり魔物の感知に専念したい。
サザキたちはゴーテツに寄りかかったままで簡単な朝食をのどに押し込んでいく。
「今後の事で相談なんだが、今俺たちには二つの選択肢がある」
コップの中身が空になったところでサザキが話を切り出す。
「一つは中層に戻ってはぐれた一団に合流するか、砦もしくはダンジョンの外まで自力でたどり着く方法。そしてもう一つは、このまま下層を進んで深層組と合流する方法だ」
「下層なんてボクらには無理だよ」
サザキの提案にクルナイスが即座に反論する。
「そうとは言い切れない。昨日から下層を移動して分かったんだが、下層はそれぞれの縄張りが広いのか魔物の数が少ない。それと、深層組と合流できれば、こういう言い方はあれだが実力者ぞろいだから生存率が高い」
クルナイスはサザキの言葉を聞いて、しばらく考えてから口を開いた。
「わざわざ言うってことは、サザキはそっちを推しているんだ」
「そうだ。ただ、あくまで感として中層より下層の方が魔物を避けやすいと思っているだけだ」
「ボクは……索敵役のサザキがやりやすい方でいいよ。ルーネイは?」
もそもそと食事を取り、話を聞いていたか定かでなかったルーネイだったが短く返事を返してくれた。
「私は二人に付いて行きます」
臭い、足跡、木に付いた傷。そういったものに細心の注意を払いながらサザキが先導して一行は森を進んでいた。
サザキの目の前で手の上を毒々しい色の虫が横切っていく。
身に着けた衣服を匂い消しと虫除けを兼ねた草の液を浸していたが、それでも森の中で虫が居なくなることは無い。
音を立てるわけにもいかず、這った後に緑の液体を残しながら虫が手の上を通り過ぎるのをサザキはじっとこらえる。
サザキたちは今、藪の中に潜んでいる。両隣にはルーネイとクルナイスが同じように体を伏せていた。
三人の見つめる視線の先には置き去りにされたゴーテツと、そして一つ目の巨人、サイクロプスが居た。
下層でいくら魔物の数が減ったとはいえ避けられない相手というのは必ずいる。
その相手が倒せない時の対応として、サザキは囮作戦を思いついた。
魔物は知能はそれほど高くない。だからある事に気を取られると他の事を忘れてしまう。
これを利用してサザキはあえてわかりやすい所にゴーテツと、食料を置いて自分たちは身を隠したのだ。
大抵の魔物は食料を食べて満腹になるか、ゴーテツに何も反応が無いと分かると去る。しかし今目の前のサイクロプスはゴーテツを叩いて出る音が気にいったのか先ほどから何度持っていた棍棒でゴーテツを叩いている。
そのたびにクルナイスの体がびくりと反応するので、無いと分かっていてもサザキはクルナイスが飛び出していかないか気が気でなかった。
そんな時間を半時近くすごしたのち、音に魅かれて新たな魔物、オークが現れた。
現れたオークたちを交えて魔物のセッション、とはならず、オークたちはサイクロプスを見つけると一目散に踵を返した。
サイクロプスはゴーテツからオークたちに興味が映ったようで大きく吠えるとその後を追って森へと駆けて行く。
さらに幾ばくか、サイクロプスが戻ってこない事を確認してサザキたちが藪から飛び出す。
「食料は俺が。ルーネイはクーの手伝いを」
サザキはゴーテツから離して置いていた食料をかき集める。
「ルーネイは内部の壊れたところが無いか確認して」
「わかりました」
クルナイスとルーネイがゴーテツを起動して異常がないかを確認していく。
「大丈夫。行けるよ」
「待たせた」
クルナイスがゴーテツの確認を終わるのとサザキが食料を持って戻ってくるのはほぼ同時であった。
「さっきのサイクロプスの声で他の魔物は隠れたと思う。一気にここを離れよう」
「わかったよ」
サザキたちはゴーテツに掴まってサイクロプスと真逆の方へと森を駆けていった。
綱渡りのような下層の移動を繰り返して二日が経った昼過ぎであった。
「あっちの藪の間を何かが通った後がある」
偵察から戻ってきたサザキは上を向いて濡らしたタオルを顔に被せていた。
じっとりと体が沈み込むような疲れを感じるが、興奮してろくに休みが取れていなかった。それなのに瞬間的に意識が無いことが度々ある。
サザキが戻って来たので寝ていたクルナイスをルーネイが起こす。
「何かあった?」
クルナイスはどこか未だうつろな目をしていた。
サザキに限らず、全員が体力、精神力ともに限界に近かった。
「枝を切り払って進んだ後がある。多分人だと思う」
ダンジョンの中で枝を折るでも押しのけるでもなく切り払える武器を持つのは人ぐらいである。
「足跡はあったのですか?」
疲れから口数の少なくなったサザキとクルナイスに変わりまだ余裕のあるルーネイが話を進める。
「もう苔が生えてて分からなかった」
武器で枝を払うだけなら魔物が奪った武器を使っている可能性がある。
それを判断するのが足跡だ。魔物はわざわざ靴を履かない。
けれど異様な再生力を持つこのダンジョンでは足跡など数刻で消えてしまう。
「苔はどのくらいでした?」
「びっしりだな」
「なら通ったのは朝でしょうか。夜に動いているってこと思いますから」
「だろうな」
「じゃあ、後ひと踏ん張りだね」
ようやく目が覚めてきたのかクルナイスが身を起こして伸びをする。
「そうだな。先に進んでいる人が居るなら進むのは楽だ。ペースを上げるぞ」
先に進んだ一団が魔物である可能性を三人とも口にはしなかった。
限界が近づいている今、目の前の可能性にすがる以外に選択肢が無いことは誰もが分かっていた。
進む方向を自分たちで決める必要が無いために追跡するサザキたちの速度はかなり早くなった。
途中二度、戦闘の跡があった。魔物の死骸は既に食い尽くされ、血の跡すら舐めつくされていたが踏み返された土と押し倒された下草が確かにその場に戦闘があったことを示していた。
「距離は近づいている」
サザキははっきりと残る藪をかき分けた跡を見つけて、励ますために後ろの二人にその事を伝えた。
三人ともが残った力を振り絞る様に歩みを再開した。
森の中で日が陰るのは早い。
少しでも日が傾くだけで巨木の影は長く大きな暗がりを作り出す。
時間にすれば午後の三時をいくらか回った程度だろう。しかし、広がる影にサザキたちは先を進む者達との距離を詰められずにいた。
未だに地面に通った後は見受けられるが、それが何者なのか分かるほど明確にはなっていない。
「ぎりぎりまで追跡を続けよう」
明日になれば人の跡は消えて無くなっているかもしれない。その考えが影の大きくなり始め視認性が落ちた森を、無理をしてでも進む判断をサザキに下させた。
だんだんと下がっていく太陽がタイムリミットを示すようにサザキの心をじりじりと追いつめて行く。
「……サザキ、ねぇサザキってば」
必死に跡を追っていて、サザキは肩を叩かれてようやくクルナイスに声を掛けられていたことに気が付いた。
「ああ、どうした?」
「どうしたじゃないよ。もう野営の準備をしないと」
サザキが当たりを見渡せば、森は思っていた以上に闇に包まれていた。
日はもう木々の上部をかすめる様に差している程度であった。
これ以上時間が経てば安全な野営場所を見つける事すら困難になるだろう。追いつくことが出来なかった、その事に歯を食いしばる。
その時、日が差さなくなったことで気温に変化が起こったのだろう。
風の向きが変わり、緩やかな風が正面から吹いて来た。
そしてサザキはその風に混じっていた微かな金属音を聞き取った。
「クー、この先に誰かいる」
鎧が擦れたか、手入れをしていて出た音か、いずれにしろ誰かがこの先に居る。サザキは二人の返事も待たずに逃してなるものかと一目散に飛び出した。
五分も進まないうちにサザキは複数の気配を発見した。
目の前の木の裏手だ。
この木を回りこめばはぐれた人たちと合流できる。助かった。
そう思うと肩の荷が下り、気持ちに余裕が生まれた。
その余裕が一つの心配を生み出す。
このまま飛び出せば相手にいらぬ警戒を持たせるのではないかと。
サザキは慌てて駆け足に近い状況だった足を止める。勢いを止めるために腐葉土に足がぐっとめり込み、バランスを取るために体が後ろに傾く。
それがサザキの命を救った。
サザキの目の前を鈍色が通り過ぎる。
突然の出来事にサザキは目を見開く。
相手もまさか避けられると思っていなかったようで同じように目を見開く。
目が合った。驚きに満ちた互いの顔をお互いが視認する。
サザキの前に現れたのは豚の顔を持った魔物、オークであった。
鉢合わせはお互いに不意を打ったが、立ち直りはオークの方が早かった。剣が外れたと分かるやその巨体と勢いを活かして体当たりをかましてくる。
もともと後ろに体重を傾けていたサザキは避けることも出来ず、面白いように後ろに転がっていく。
サザキが転がりながらも武器を構えられたのは偶然であった。追い打ちを掛けようと突っ込んできたオークの剣を辛うじて鉾が遮る。
こいつを殺して体勢を立て直し……そう考えたサザキの視界に、さらに突っ込んでくる二体のオークが映る。それだけではない。様子を伺うように更に数匹、木の裏手から姿を現した。
サザキは自分の失態を悟った。人のパーティと間違ってオークに突っ込んでしまったのだ。
「目つぶしを!!オークだっ!!」
サザキは後ろを追ってきているゴーテツの音に向けて叫んだ。
そして競り合っていた鉾に付与魔法をかける。
鉾は剣をあったりと押し返し、剣ごとオークの体へと肉を潰しながらめり込んでいく。オークの口から悲鳴と体液がこぼれ出る。
目の前の相手はこれで済んだとサザキが視線を走らせれば、後ろから来ていた二体は仲間がやられた様子にひるむことなく突っ込んできた。
これで躊躇してくれていればなとサザキは心の中で舌打ちをする。
仲間ごと押し潰すつもりなのか勢いを弱めずに突っ込んでくる二体を、オークに押しかかられ地面に転がっているサザキに避けることは出来ない。
覚悟を決めたところに赤い煙を吐き出しながら一つの玉が場に飛び込んできた。
赤い煙が辺りに広がる。ルーネイ特性の目つぶしだ。
煙で視界を防ぐのではなく、刺激物で目を開けていられなくするものだ。
ゴーグルをしていなかったサザキも当然、目に激痛が走る。
しかしサザキは目を見開いて、涙をボロボロ流しながら迫りくるオークを睨んでいた。
三歩、二歩。
あと一歩で届く。
そのタイミングでサザキにもたれ掛ってもがいていたオークを突き破って鉾が飛び出す。
腹に穴を空けられたオークはそのまま力無くサザキの上に倒れ込んだ。
飛び出した鉾は向かってきていたオークの一体に、オーク自身の勢いも得て深く突き刺さり、その巨体を後ろに吹き飛ばした。
これで後1体。
しかし、最後の一体を防ぐ手立ても、時間もサザキには無かった。
突っ込んで来ていたオークにも赤い煙がしみたようで目を閉じていた。
しかし、戦うものとしての意地か、ただ単に勢いを殺せなかったのか、目を閉じたままサザキに向かって突っ込んでくる。
せめて盾代わりになればと腹に大穴を開けたオークを構えたところで、サザキは突っ込んできたオークともつれる様に弾かれて転がった。
猛烈な勢いで三度か四度か転がされてサザキの体はようやく止まった。
とっさに閉じてしまった眼はもう一度開こうとしても激痛に涙があふれ視界を得ることは叶わなかった。
背中は地面についていた。
そして自分の上に何かが乗っている。
その事に気が付いて体が強張る。もしかしたらさっき倒した死体かもしれない。そんな希望にわずかにすがろうとしたが、サザキの上に乗ったものが身じろぎをして体に掛かる重さが増す。
上に倒れていたオークが身を起こしたのだ。
サザキは傍まで聞こえてきていたゴーテツの足音に、クルナイスに助けを叫ぼうとした。
「グォォォォッッ」
サザキの声を塞ぐように、上のオークが雄叫びを上げる。
そして足元の方で剣が土に突き立てられる音がした。
相手のオークは目が見えてないせいでサザキの体勢が分かっていない。
その事に気が付くとサザキは呼吸を潜めた。
声を出せば頭の場所がばれる。
しかし、少し落ち着けば自分の下にいる人間の体勢など簡単に分かる事だ。
次か、運が良くてもその次を外す事は無いだろう。
オークの下敷きにされ、予備の武器を取り出す余裕は無い。逃げ場も無い。まさに絶体絶命であった。
「グォォォォッッ」
再びオークの雄叫びと共に剣が付き下ろされる。
サザキにとっては死刑宣告にも近いそれを、サザキは静かに待っていた。
そして雄叫びが聞こえると、その音の元へと体全体をひねって拳を打ち込んだ。
サザキは狙っていたのだ。
目が見えない自分が確実に相手の顔面に一撃を決められるタイミングを。
籠手が砕けながら相手の肉を裂き、骨を砕くのが分かった。
そして籠手に守られていた自分の掌の骨が砕けていく。
手のひらの痛みは、まるで伝播するように体の各所で痛みを作り出していった。異常な速度で引き伸ばされた左腕の筋肉がぶちぶちと千切れていく。
肩の骨はみしりみしりと軋んだかと思うとゴキリと外れた。
それでも勢いを抑えられず、ひねった体全体が軋む。
ピィィィという子豚のような悲鳴を上げてオークがサザキの上から転がり落ちる。そのチャンスをサザキは逃さなかった。
悲鳴を上げる体を強引に動かして起き上がると、腰に在ったナイフを取りだし悲鳴を上げるオークに突き立てた。
どこに刺さっているのか分からないので何度も何度もナイフを突き立てる。
その度に悲鳴が上がるので、相手を見失うことは無かった。
オークを突き刺していたサザキに水が被せられた。
「サザキ、サザキ、ボクが分かる?」
掛かった水の冷たさが頭に籠った熱を奪っていく。
「クーか?」
「そうだよ」
サザキは辺りが静かになっている事に気が付いた。
「戦闘は終わったんだな」
「全部倒したよ」
それを聞いてサザキはその場にへたり込んだ。
「ちょっとサザキ、ぼろぼろだよ。ルーネイ、サザキが怪我してる!」
クルナイスの声に慌ただしく駆けてくる足音が響く。
「サザキ、大丈夫ですか」
焦ったルーネイの声が聞こえてくる。しかしサザキはそれには答えない。
代わりにただ一言だけ口にした。
「ごめん」




