第二章 遠征 その2
寝返りをうつ音、足音、話声、そして砦の外での戦闘音。近くの音、遠くの音が絶え間なく寄せてくる。
寝るために設けられた厚手のテントは、それでも神経が張った状態では余計に音を拾ってしまい意味は無かった。
サザキは眠るのはすでに諦め、漠然とテント内に視線を漂わせながら、せめて体を休める事だけはしなければと何度目かの寝返りをうった。
周りの者たちも同じなのだろう。皆頻繁に寝返りを打ち、寝れている者などいないだろう。言葉を発するものは一人もいない。誰もが外の音に耳を傾け、仲間の上げる勝鬨に、戦闘音に体を強張らせている。
日が落ちると同時に襲ってきた魔物に対して、トーダは3部隊にローテーションを組ませ応戦を指示した。小さな砦を守るのに400名という人数は十分な戦力であり、即席とはいえ確実に魔物を押し止めている砦の存在は兵士たちの士気を高いものとした。
しかし、数は少ないとはいえ見通しの利かぬ森から途切れることなく這い出てくる魔物達は、まるでその先には魔王が住むという魔界に続いているかのような恐怖をじわりじわりと兵士たちに植え付けていった。
夜間の襲撃は、というより砦をつくった後の襲撃はいつも通りの事であった。
魔物達は人がダンジョンの中に拠点を築こうとすると種族間を超えて共闘してくるのだ。
魔物がいくら来ようともこの砦を落とされない自信がトーダにはある。そこまで甘い訓練を課しては居ない。
問題は、夕闇に聞こえたあの遠吠えだ。あれは獣が仲間に対して送るような鳴き声では無い。明らかに自分たちに向けて敵意を向けてきていた。それだというのに砦に押し寄せる魔物の中には一向にそれらしい姿が見えない。その事が兵士たちを、そしてそれ以上にまとめる立場にあるトーダを苛立たせ、不安にさせる。
「くそっ」
机の叩かれる音に幾人かが振り返るが、トーダの様子を見てそそくさと離れていく。
遠吠えの主が魔物ではなく魔獣であることは確実だろう。問題は相手がどの程度の魔獣であるかだ。
トーダは森の奥を見通さんばかりに睨みつけるも、そこにはただただ闇が潜んでいるだけである。東の空にようやく全身を現した月が夜の長さを物語っていた。
4回目ともなると慣れてくるものである。
弓や魔法を潜り抜けて柵へと取りついたゴブリンに投擲スキルを用いたサザキの槍が額を穿つ。
柵に張り付く形で飛び道具と魔法を使う者達が構え、柵に取りついた相手に対しては槍などの長物持ちが、万が一砦内に入った際には更に後ろに控えるものたちがと3段階の構えを築いている。
今のところそれは討伐がルーチンワークになる程度には成功している。
見えていた魔物の処理を終えたサザキは大きく息を吐きながら水袋に口を付ける。
全体で見れば絶え間なく襲ってきている魔物もそれぞれが受け持つ範囲でいえば緩急がある。
「魔物が、途切れた?」
自分のところが途絶えただけだと思っていたサザキは辺りからも戦闘音が止んでいる事に気が付く。
「嫌な感じだな」
ベテランといった様子の兵士も辺りを不安げに確認する。
コップの水に広がる波紋に、自分はそこまで力を込めていたのかとトーダは部下からの報告が途切れたタイミングでいつの間にか握り込んでいた拳の力を抜く。
喉の渇きを感じ、コップに手を伸ばそうとしたところで部下が駆け込んでくる。
「隊長、敵がおかしいです!それに森から何か来ます」
あまりにも漠然としたその報告にトーダは呆れかえる。
「おかしいとか何かとか、それをきちんと伝えるのがお前の役目だろう」
その指摘があってか、トーダの揺るがぬ態度を見たためか部下は落ち着きを取り戻し改めて報告をする。
「まず、魔物が引きました。そして森から木々を押し倒す音が響いてきています。如何いたしましょう」
その報告にトーダは即答を控えた。考えを纏めながら伸ばしたコップのそれに気が付いた。
波紋が変わらず、いや先ほどより大きく波打っている。
「大物が来るぞ。全員気を引き締めろ。休憩している2班とも叩き起こせ。全員だ」
魔物が引いたことで緩んだ緊張に活を入れながらトーダは自身も戦況を確かめるためにテントから出る。
「ようやく本命のお出ましか」
月は天上を通り過ぎようやく帰路へと差し掛かったところだ。
すぐにトーダが諌めるまでもなく兵士たちの空気が緊迫する。
戦闘が途絶えたこの状況では嫌でも気が付かされたのだ。
森を割って進み、地響きを鳴らして向かってくる何かに。
森を裂いて闇の中からそれが姿を現す。
全長3メートルを超す巨体、鎧のように全身を覆う脂肪、そして木を丸々一本持ってきたかのような巨大な棍棒。トロールである。
中層の魔獣に分類されるトロールは知能が低く、動きが鈍いという弱点はある。しかしその一撃は正に必殺のものであり、並みの攻撃では分厚い脂肪に阻まれることとなる。今回のような即席の砦をつぶすにはこれ以上とない戦力だ。
「ってー!!」
森から這い出した敵の姿を確認するのも惜しい。
そう言わんとばかりに無数の魔法がトロールへと殺到する。そのあまりの眩しさと爆音に直視していた者は視覚と聴覚を奪われることとなる。
延々と打ち込んだように感じられた魔法による飽和攻撃は、時間にすればたったの数秒程度であろう。
「攻撃やめ、やめー!」
号令と共に散発的になる魔法の先、もうもうと煙の立ち込めるその先を、誰もが血眼になって目を凝らす。
ズンッという腹にくる音が煙の中から響く。そして続く“何か”が起こる気配は無い。
「誰か煙を吹き飛ばせ」
堪りかねて上げた声に別の者が答える。
砦から放たれた風の魔法が辺りに立ち込めていた煙を森の奥へと押し込めていく。
魔法によって土がめくれ上がった地面があらわとなっていく。
それは撃ち込まれた魔法の熾烈さを表していた。こんな魔法の中、生きて居られる訳がない。誰もがそう思った。
そして巨体があらわとなる。
座り込むように倒れているその姿に生き物としての活力は見られなかった。確実に死んでいる。殺すためだけならばもっと少ない魔法でもよかっただろう。
けれどだ、あれほどの魔法にさらされてそれでも原型を留めるその生物に誰もが畏怖を感じずにはいられなかった。
「打ち取ったぞ――!!」
誰もが何も口に出せない。そんな空気を打ち破って一つの勝鬨が上がった。その一声は波紋のように広がり、そして水面を大きく揺さぶるものとなる。
「「「うぉぉぉぉーーー!」」」
勝利を宣言する雄叫びが砦にあふれた。
「ベン爺め」
トーダは声を荒げる兵たちを見ながら最初の一声を上げた者の名を口にする。
60に近くもう引退しておかしくないというのに未だに騎士団に居続ける変わり者だ。特に秀でた者では無いため、今ではもっぱら騎士団で下男の様に雑用をこなしている。それでも、50才を超えているという事は前の戦争を経験したという事だ。
トロールを倒した時、雰囲気にのまれる兵士たちに先んじて声を上げるべきは自分であった。しかしトーダ自身もトロールのその偉容にのまれてしまっていたのだ。
騎士としての能力を見ればトーダとベン爺は例えお互いが最盛期であろうとも比べるべくも無い。それでも時々、戦争経験者はトーダには出来ない姿を見せることがある。
戦争というものの重さがずっしりと圧し掛かるように感じて、戦闘が終わったこともありトーダは体重を預けるように椅子に座り込んだ。
けれど休む間もなく届いた報告に、いや、悲鳴に慌てて立ち上がることとなる。
「トロールが、トロールがまた来ました。それも2体です」
月はまだその全容をはっきりと夜空に輝かせている。




