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湖の魔物2

「何だ!?」


 その場にいた全員が暗い林の奥を見つめる。

 やがて木々をなぎ倒しながら姿を現したのは、およそモネのニ倍はあろうかという巨体のノロイノワグマだった。


 グルルルルッ。 


 ノロイノワグマは一直線にリステルの方へ向かって来る。人魚にとってノロイノワグマは天敵だった。やつはこの巨体にして泳ぐのがうまい。水棲の人魚でさえ餌食になることは多々あるという。にもかかわらずリステルは今、波打ち際の随分浅いところまでやってきていた。すぐに水中へ潜れない。ノロイノワグマの鋭い爪がリステルの白い肌を引き裂こうとした、瞬間、リステルをかばうようにフレドが彼女に覆いかぶさった。


「フレド!」


 リステルが悲鳴をあげる。


「フレド! フレド! どうして、ああ……」


 フレドはリステルを抱きしめたまま動かない。


「いやよフレド、返事をしてちょうだい。ねえ……」

「だい……じょうぶ。大丈夫だよ。リステル」

「うそ、だってやつの爪が……早く手当を……」


 リステルがフレドの背中をさする。しかしそこに傷はなかった。

 ラウルの魔法防壁がノロイノワグマの爪をはじいたのである。


「ありがとうございます。ラウルさん」

 

 モネはつぶやくように言いながら駆けだした。


(ああ、なんて大きなノロイノワグマ)


 鼓動が高鳴る。今回人魚を狩るわけにもいかず、モネは少々退屈していたのである。やっぱり魔物狩りはこうでなくっちゃ。

 ノロイノワグマの正面に回り込みながら、モネはぺろりと舌なめずりした。そして迷いなく弓を構える。矢には前もってタイヨウソウの汁を塗ってあった。

 狙うは。


(呪いの輪)


 空を切り裂いた矢は吸い込まれるように、ノロイノワグマの首元に命中した。輪っかのような模様が弾けて消える。ノロイノワグマは瘴気を振りまきながらその場でのたうち回る。

 モネはもう一発矢を放った。その矢は見事ノロイノワグマの額に突き刺さり、ノロイノワグマはずしんと大きな音を立てて倒れた。


「ふうう」


 モネは小さく吐息を漏らすと、構えていた弓を下ろした。

 そこへラウルがやってくる。


「ノロイノワグマが来るとは驚いたな」

「ええ」

「だけどまあ、あれがやってきたおかげで彼らのわだかまりはとけたようだけど」


 モネが波打ち際に目を向けると、手を取り合うリステルとフレドがこちらを見ていた。


「ノロイノワグマを倒してくださってありがとうございます」

「いえ、私は別に。大物を狩れて満足です」


 モネがムフッと微笑むと、ラウルがそばへやってきて言った。


「リステルさん。もう学生を襲うのはやめてくれませんか。脅しても人の気持ちはコントロールできるものじゃない。あなた自身の気持ちも」


 ラウルの言う通り、リステルもこれで分かったはずだ。自分の気持ちを押し込めてしまうことなどできないと。他人を脅しても、好奇心を奪うことはできないと。


「だけど、私たち人魚と人間は相容れない存在。両者が関われば禍が起きると……」

「誰かに言われたのですか?」

「……ええ。ある魔術師に」

「魔術師? 名は?」

「分からない。でも恐ろしい力を持っていたわ。それで怖くなって……私」


 リステルとしては自分や仲間を守りたい一心だったのだろう。

 それにしてもわざわざそんなことを言う魔術師がいるとは。何の目的だったのだろうか。


「そんな魔術師の言うことを信じる必要はないよ。僕は気にしない」

「でも……」


 リステルはうつむいた。


「その魔術師にはなにか、人魚と人間が仲良くすることで不都合なことがあったのかもしれませんね」


 モネがつぶやくとラウルが首を傾げた。


「不都合って?」

「分かりません。けど、そうでなければわざわざそんなこと言いにきますか」

「まあ確かにその魔術師には何らかの目的があったんだろうな。そちらの方もまた調査してみよう。とりあえず今回のクエストは……」


 ラウルは今回のクエスト報告について、リステルがもう学生を襲わないことを条件に、ノロイノワグマの仕業だったということにすると言った。

 モネとしてはクエストの報酬がもらえればそれで満足だ。

 帰り道、モネは先ほどのノロイノワグマ討伐を反芻しその充足感にひたっていた。するとラウルが思い出したように言った。


「そういやせっかく持ってきたのにアメノマスは食べられなかったな」


 焼いていたアメノマスはノロイノワグマに蹴散らされてしまっていた。


「ああ、あれはいいんです。食べるんじゃなくて餌に……」


 とそこまで言ってモネは口をつぐんだ。


「餌? ん? ちょっと待て。そういやおまえどうしてノロイノワグマを倒す準備をしてきていたんだ? もしかしてあのアメノマスは、ノロイノワグマを……」

「ラウルさん。世の中知らない方がいいこともあります」


 人は窮地に追い込まれると本性が出る。本心を知りたいなら危機にさらすのが手っ取り早い。つまりリステルの本心を聞き出すためには、天敵であるノロイノワグマが必要だったのである。そしてアメノマスはノロイノワグマを誘き寄せるための餌だったのだ。

 モネははぐらかしたつもりだったが、ラウルはモネの返答で全てを悟ったようだ。


「まったくおまえは。そういうことならせめて俺には事前に言っておきなさい。俺がフレドたちを守れなかったらどうするつもりだったんだ」

「ラウルさんならあれくらいの攻撃、守れないわけないでしょう」


 ラウルとはまだ短い付き合いだが、ゲスタランテラをともに倒し、さらに長い長い特訓にも付き合わされた。それだけでラウルの力量を推し量るには充分だ。だからモネはラウルなら確実にノロイノワグマの攻撃を弾けると考えて防衛を任せた。それだけだったのだが。


「もっと相談とかした方が良かったでしょうか」

「……いや、おまえが不安じゃなかったならいいんだ。まあ俺を信頼してくれたってことだな」


 信頼。これまで一人で戦ってきたモネには馴染みのない言葉だが、ラウルがなんだか照れくさそうに微笑んでいたのでモネはそれ以上何も言わなかった。

 


 モネとラウルは受注所にクエストの報告をすませたのち、コティ教授にもクエスト完了の報告をしにいった。


「そうかノロイノワグマが悪さをしておったか。二人ともよくやった。君たちなら必ずやり遂げてくれると思っておったよ」


 コティ教授はうんうんと満足げにうなずく。


「これは、わしからも何か礼をしなくてはな。何か欲しいものはあるか? あればできる限り望みをかなえよう」

「モネ、何か欲しいものはあるか?」

「いえ私は……ノロイノワグマの胃袋さえもらえれば十分ですので」

「胃袋? そんなもの何に使うのかね?」

「使うというか、たべ――」

「あああ教授! この子、討伐のときにとても緊張していて胃袋がさけそうだったらしくてですね。その……ノロイノワグマの胃袋は緊張しない薬になるとか、ならないとかで……」

「うむ? 緊張するのは何も恥ずかしいことではないぞ。ノロイノワグマもなかなか厄介な魔物であるからな」


 コティ教授はうんうんと頷く。


(危なかった)


 ラウルに魔物食好きがバレてからというもの、つい気を抜いていた。ラウルが誤魔化してくれたからいいものの、もしコティ教授に魔物を食べているなんて知られたら夜中まで説教を食らっていたところだ。


「まあノロイノワグマの胃袋は受注所で申請しなさい。それ以外にわしからも何か報酬をやるぞ。ほれ、遠慮せず欲しいものを言ってみなさい」


 ほれほれ、とコティ教授が迫ってくる。

 困ったモネは研究室の中を見渡した。そして目に入った物を指さす。


「それでは、あれを頂いてもよろしいでしょうか」


 コティ教授とラウルがふり返った先にあったのは、ほうっと桃色に染まった貝殻であった。


「おお、薔薇貝か。かまわんぞ。これは君たちが行った湖で採れたものでな。あそこに生息する人魚から定期的に譲ってもらっているのだ。そういえば最近人魚の姿を見なんだのも、ノロイノワグマのせいであったのだな。君たちが討伐してくれたおかげでまた人魚も姿を現すだろう」


 言いながらコティ教授は薔薇貝を取ってモネに手渡してくれた。実はモネはこの貝については知識がなく適当に言っただけだったのだが、人魚からもらったということはひょっとすると高価なものだったのだろうか。


「あのもしかしてこの貝、貴重なものだったり……」

「かまわんかまわん。人魚がまた顔を見せてくれれば、いつでも手に入るものだ」


 これは淡水に生息する薔薇貝だが実は海でも取れるものもあってな、海水だと少し――とその後コティ教授の熱血授業がはじまってしまい、結局、モネとラウルが研究室を出たのは陽がずいぶん傾いた頃だった。

 ラウルと一緒に研究棟を出てしばらく歩いたところで、モネはラウルに尋ねた。


「お礼の品、私だけもらってしまってよかったんでしょうか」

「今回のクエストは、ほとんどおまえの功績だよ。だから気にせずもらっておきなさい」


 言われてモネは手の中にある薔薇貝をじっと見つめた。


「コティ教授のお話しだと、この貝はリステルさんたちからもらったもの、ってことですよね」

「ああ、そうみたいだな。以前、教授に人魚から薔薇貝をもらっているという話は聞いたことがあったが、まさか校内に棲んでいる人魚だったとは思わなかったよ」

「でも嬉しいです。こんなの普通じゃなかなか手に入りませんから」

「……まさかおまえ貝殻まで食べるのか」

「いえ、さすがに貝殻は食べませんよ。それにこれは食べるにはもったいないものでしょう」


 モネは薔薇貝の表面をゴシゴシ手でこすってみる。すると、薔薇貝からふわっと良い香りが漂ってきた。

 コティ教授から聞いた話では、この薔薇貝は貝殻の表面をこすったり粉末にしたりすると、薔薇に似た香りを放つようになるとのことだった。この貝の名に薔薇という言葉が入っているのは、まさにこの香りが由来なのだそうだ。


「ちょうどこういうの、探していたんですよね」

 

 モネは薔薇貝の香りに包まれながら、満足げに微笑んだ。

 


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