秘密
「おい、大吾?駿は本当に寮に戻ったのか?」
父親の声にギクリとして、大吾が答えた。
「球団から急に連絡があって戻ったって」
「だが車が駐車場に置きっぱなしじゃないか」
しまった。駿はタクシーで出ていったっきり、
自分の車をすっかり忘れてしまっているままだった。
「ほ、本当に急な事だったからタクシーで戻ったんだって。
正月前には、取りに来るでしょ」
大吾は慌てて会話を繋いだ。
いけない。この事も伝えておかないと。
ほんの少し前に発見した、ちょっとした事実に付け加えて。
父親が部屋のドアを閉めて出ていくと、大吾は兄に慌ててLINEを送った。
ホテルの部屋は薄暗く、ほんのりと淡い光が、
その様子を映し出していた。
綾は布団にくるまり、背を向けて眠っている。
いや、眠っているかは分からないが。
ついさっき会話したときの綾の言葉が頭の中で回っている。
──わたしは、諦めたんです。
何かに諦めた延長線上で、人生にも諦めてしまったのか?
それにしても、学校で何かあっただけで自殺を決めるのなら、何か相当辛い経験をしていないと・・。
想像がつかない。
そんなこんな考えているうちに、駿は眠りに落ちた。
次の日の朝。
寒い雨が降っているのが、カーテンの隙間からでも感じられる。
駿は目覚めると、前夜LINEをチェックするのを忘れている事に気づき、ナイトテーブルに手を伸ばした。
ふとその向こうを見ると、まだ綾は眠っているようだ。
小さな寝息を立てているのが分かる。
駿は仰向けになりながらも、スマホをスライドさせながらひとつずつLINEをチェックする。チーム関係者が主だが、幾ばくか存在する女友達からも通知が来ていた。
「女友達」にはとりあえず軽くあしらう返信を返したところで、普段はあまり来ない弟からの通知を、彼は確認した。
もっとも、この事件──綾との出会いがあってからは、普段よりも少し多めに通知が来ているのだが。
そこで、駿は心臓が鳴るのが自分でもわかった。
「綾ちゃんの、身元らしきものを見つけた」
その文章に添えられた写真には、スポーツ関係の雑誌のスクショが並んでいる。
駿はかつて自分も同じように、1年前の綾と同じように、数々の雑誌に取り上げられていた事を思い出す。
そして、それがある程度のプレッシャーになっていた事も。
その時、綾は寝返りを打ってこちら側に彼女の正面が向いたので、駿はまたドキッとする。
駿はそっとベッドを抜け出すと、顔を洗い、髭を剃ってからカジュアルな服に着替える。
今日は予定を少し変更しなければならない。
自分の愛車をすっかり実家に置き忘れた。両親が不在の午前中には取りに戻り、こちらに戻って来なければならない。
それに加えて、午後はチーム関係の所用がある。
「あんまり、時間がないな」
とりあえず大吾に連絡を取ろうと、綾の方を見ると彼女はまだ眠っているようだ。
駿は再びコソコソとしながら音を立てないように、部屋の外に抜け出した。
綾はと言えば、駿が部屋を出ていく少し前に既に目を覚ましていた。しかし布団の合間から見た駿の様子が、どうも前日の朝と違う。
時計をそっと見やると、それほど遅い時間でもない。
昨日、予定を聞かされたがこんな早く出るとは綾も聞かされていない。
(急用が出来たのかな)
駿が部屋のドアを閉める音が聞こえると、綾はすぐにベッドから降りた。テーブルの上を確認するが何も変わっていない。
綾が眠っているうちに駿が外出するときには、何らかのメモを残してからと彼から聞かされていたが、それも見当たらない。
綾は部屋のドアの傍まで近づいてみたが、さすがに寝間着のままでは外に出られない。
自分も着替えようかと、部屋の真ん中に戻ろうとすると扉の向こうから何やら微かに声がする。聞き覚えのある声だ。
「綾ちゃんが──」
そう聞こえたような気がする。
綾は恐る恐る、ドアスコープから廊下を見ると駿がすぐ扉の向こうにいるのが見えた。
(なんなんだろう?)
「綾ちゃんがバスケの有力な選手だったなんて──
怪我って言うのは選手生命が絶たれるようなものだったんだろうか?」
「いや、練習中の怪我って書いてあるし手術した訳でもないのに、半年以上の怪我をするもんなの?」
「それはあんまり、考えにくいな」
「とにかく、春の全国大会で連覇を果たしたっていうのに、怪我をしてそれ以降、彼女の記事を探したけど見当たららないんだ」
絶望的な怪我をしたなら、マスコミの扱いは小さくなるだろう。
「大学の推薦も取り消された」
綾の言葉がよぎる。
再起をかけられないような、そんな怪我を?
昨日ワンピースを着ていた時も、制服姿のときの姿の彼女は、いつも黒のタイツを履いていたし、もちろん着替えなど見ていないので、怪我の後遺症も分からない。
しかも、朋友学園は兵庫でもかなりの文武両道で知られており、大学への道ならいくらでもある。
何かありそうだ。
駿は知らなかった。
扉の向こうで、綾が会話を途切れ途切れに聞いていた事も──