潜んだ現実
駿と綾がひとつのベッドで眠った次の朝は、空気がきれいに感じる冬晴れの日だった。
傍らに眠っている綾は、今までのそれよりずっと穏やかな表情をしているように見えた。
明日は大晦日。
駿は出てきたっきりの実家の事も考えざるを得なかった。
プロに入ってからも、年末年始だけは実家で過ごしていたからだ。
しかし、綾をいきなり連れていく訳にもいかないし、何より日にちがない。
それ以上に、この少女と共に過ごしたかった。
駿は少し考えた後時計を見やり、その後綾にキスをした。
目の覚めたらしい綾は、すぐ間近の駿の顔を見つめている。
「おはよう」
「あ・・・おはよう」
駿はそうしたくて──もう一度彼女に口付ける。
「恥ずかしい?」
「なんだか、恋人同士みたい」
「それでもいいじゃない」
先に起き上がった駿は綾を抱き起こすと、その手を握りしめながら、話を切り出した。
「もうすぐ年越しなんだけどさ。俺今までは実家で過ごしてたんだけど」
「あ、そういえば・・・そうか。お家の人は心配しとらん?急に抜け出して来たんやろ?」
「俺の方はいいよ。それより綾ちゃんと一緒にいたいから──今年は少し顔を出すだけで、帰らない事にする」
「いいの?」
駿は息を大きく吸ってから、言った、
「綾ちゃん。これは少し知っておいてくれたらいいけど」
「・・・?」
「来年、もし勝てなかったら、俺は野球辞めるよ」
綾はびっくりして反論した。
「諦めないんじゃなかったの?」
「それは、来年限り。プロって結果が全て。過程なんてどうでもいい世界だから。未練たらしく何年も何も出来ずしがみつくより、来年全て賭けるから。
野球辞めたら、どのみちまた実家に戻るだろ?
今戻る必要はないから。
それよりも自分の気持ちとか、綾ちゃんに正直でいる気持ちとか、今はそっちを大事にしたい」
「邪魔にならんのかな?」
「んなことない」
駿は綾の手を強く握りしめた。
「綾ちゃんのそばにいると、俺は来年こそやってやるって気持ちになれる」
「そうなん・・・」
「家族には専念したい事が出来たから、今回に限っては実家で過ごせないって言うよ」
綾は少し考えなから言った。
「駿くんが思う通りにすればいいんやないかな」
「そう?ありがとう。綾ちゃん」
二人は目が合って、お互い僅かに微笑んだ。
「駿くん。わたしも少し手伝って貰ってもいいかな?」
「出来る事であれば」
「わたしに兄がいるのは、知ってるよね?それで・・・駿くんにお世話になってる事は、兄だけには伝えておきたいの」
「──バスケ選手のお兄さんか。お兄さんは、綾ちゃんの味方?」
「うん。そうやと思う。多分やけど心配はしてくれてる」
「そっか・・・でも、何から話したらいいの?」
「わたしが先に話すから、その後挨拶くらいしといて貰えたら」
「出来るのかな?なんか誘拐か軟禁みたいじゃない?」
「野球選手がそんな事しないくらい、分かると思う。それに、もしわたしに捜索願いが出されてたら、引っ込ませて貰えるかも知れんし」
「なるほどね。やってみるだけやってみるよ」
所は、神戸の柏木邸。
拓実は自分の部屋に入ってドタの鍵を閉めると、パソコンデスクの椅子に座った。
手にはUSBメモリを手にしている。
彼にはある疑惑があった。
あの事故以来、父は自分の妹に対して前よりも風当たりが強かった。
もちろん綾がまだバスケ選手として活躍していた頃は、『応援』という名目で学校や、監督の機嫌をとるためなのか、幾ばくか──いや、かなりの金で彼らを釣った。
勿論、そんな事をせずとも綾には実力があったのだが。
だがあの事故で、綾が選手として再起不能に陥ってからと言うもの、たまに家族が集まる度に綾は一切父親を見ていない事を拓実は知っていた。
風当たりが強いというのか、どうもギクシャクしている。大学の推薦を取り消したのも、恐らくこの父親が関わっている。
この父親は、明らかに綾の将来を閉ざしている。
綾に接する態度は、まるで奴隷のようになった事も。
何かが引っかかって、拓実は父親の寝室に隠しカメラを仕込ませて置いたのだ。
嫌な予感しかしなかった。
少し震えながらパソコンにメモリを差して、映像を再生する。
しばらくは父親が単純に出入りしたり、この家に来ている手伝いの者が掃除をしているだけだった。
そのまま、拓実は映像を見続ける。
すると、綾がカメラに映り、その後に父が現れた。
「どういうことだ?」
映像から父の声が聞こえる。
「せめて拓実と同じ大学に行きたければいくらでもそうしよう。そのかわり」
拓実は固唾を飲んだ。
「俺の言うことを聞け。その服を脱ぐんだ」
綾は無言で父親の前で服を脱いで、傷跡の残るその身体を露わにした。
「そんな・・・」
それからの事は、妹を愛する拓実には辛すぎる現実でしかなかった──
途中で彼は映像を止めた。
その行為の最中。
綾の泣きそうな顔、それでも鋭い目つきで父をみていたのは、余りにも拓実にとって信じられない光景だった。
綾は・・・俺のそばにいるために父の奴隷になったのか?
どうしようもない怒りが、拓実の中に込み上げる。
父親を殺したいとも思う。
だが、恐らく綾はそれを望んでやしないだろう。
綾はあの事件の日から、奈落の底に突き落とされたように別人になってしまった。
そういえば大きな怪我での入院中も、とてもあちこち痛くてたまらないだろうに、綾はそれを訴えようともしなかった。
いつだか、そんな妹に言ったことがある。
辛い事は我慢しなくていいんだと。
「痛いの辛いはずやけど、何も感じないんよ。なんでやろ?」
綾はそう言っていた。
「綾、ごめん。──なんで俺は、聡也の代わりに何もしてやれんかったやん。
ごめんやから、戻ってきてくれ。
とにかく、あんな親父は親父やない」
綾を連れて家を出ようかとも考えた。
しかしそれをすると、同じように辛い母は、この大きな家でひとりぼっちだ。それも辛い。
誰か親切な人に保護されていたらいいのに。
今は祈るしか出来ない。
母と同じように。
拓実は苦しい現実に頭を抱えて、自分の無力さを思い知った・・・。
そんな時、傍らのスマホが鳴った。
「・・・綾?」




