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66話 その手を離さない

 

 雪乃の魔力が溢れ出し、外気に触れる度に凍り、身体を鱗のように覆い続けている、例えるならば鮫の歯、折れれば後ろから新しい歯が生えてくるように、再生を続ける難攻不落の鎧、”氷鱗纏”の上位魔法、”無限氷鱗”だ。

 水属性最高位の強化防御系魔法を雪乃は無意識に制御している、本来魔法とは一時的であればあるほど制御がしやすく、効果時間が長いほど複雑な操作が必要になる。


「アハハッ♪」


 李彩音は右手で雪乃を殴る、大振りで起動の読みやすい素人の拳、雪乃の身体能力をもってすれば避ける事など容易い、だが、李彩音には”万物干渉”がある、噛み砕いて言うのなら、触れた物を物理法則を無視して自分の思うままに出来る、という事、大理石の地面だろうが一瞬で粘度の高い泥に変えることも可能だ。

 一瞬の隙、いくら素人だろうと足のもつれた玄人に一撃与えるのには十分だろう。

 その結果、李彩音の一撃は雪乃の自由と意識を奪い取った、流動する地面に足を取られ、糸の切れた操り人形のように倒れ込む。


「どうして、かしらね、私はおかしくなってしまった」


 李彩音の一撃は魔力回路に逆流を起こし、血管は破れ、肉は千切れ、神経は切れた、痛み、という言葉で形容できるはずもない程の痛み、おかしくなりそうな程の痛み、意識を失えば楽になれる。

 一瞬の迷いが雪乃の魂をどこかへと引きずり込んだ。

 完全に意識を失った雪乃の上に跨り、首に細い手を回し問いかけて雪乃の胸に耳を当てる。


「…ねぇ、私は赦されたかったの、貴方に… 今思えば、後悔もあるけど… それでも、貴方の命を奪ってしまったことを悔やんでいるのよ? だからこれは、せめてもの罪滅ぼし…」


 徐々に回復していく意識、映る光景は残酷に全てを物語る、李彩音は命を絶とうとしている、と、どんなに意識が薄かろうと分かってしまう。

 無理やり繋ぎ合わせたような首の傷がやけに煽情的で、思わず息を呑みそうになるほどに、美しかった。


 ─体は動かない、か、…これからクレイシがやろうとしていることが分かる… なぁ、早く、早く起きてくれ、ユキノ… お前が大事に思った奴が死のうとしてるんだぞ……



 ━━━魂の回廊━━━



(ハハッ、なんだよ、ほんっと、嫌になるなぁ…… 前と同じ様になりたくなくて… もう目の前で人が死ぬのを見たくなくて… だから、転生した時、もう二度と後悔しないように、って誓ったのにな… もう、嫌だ……)


 真っ白な何も無い空間、そこに漂うように雪乃がいる、塞ぎ込んでいる雪乃の姿はまるで子供のような頼りなさがあった。


「…いつまでそうやっているつもりじゃ?」


 雪乃にとって、懐かしい声、厳しくも優しい掠れた声が届く。


「……ジジイ?」

「師匠と呼べと言っておるだろうが」

「…なんでここに居るんだ?」

「今はそんな事どうでもいいじゃろ、それより、どうするつもりか話してみぃ?」

「…今は、…何も話したくない」

「そうか、まぁいいんじゃないかの、逃げたい時もあるじゃろうしの」


 煌月は塞ぎ込む雪乃の隣に座り、優しく頭を撫でる。


「……っ」

「雪乃や、昔、儂が言った言葉を覚えているか?」

「…あぁ、たしか『中途半端にやるくらいなら最初から手を出すな、だが、本気で挑んでも途中でやめる可能性もある、だったら、せめて、全てやり切ってから判断しろ』だろ」

「そうじゃ、今お前はどうしたい?」

「……分からない」

「そんなもんだ、人生ってのはの、1回死んだくらいじゃ答えなんて分からないぞ? いいか? たとえ道を違えてもお前にはそれを正す仲間がいる、覚えておくんだぞ、お前は一人じゃない」

「………でも、カルミナは…」

「生きてるぞ」

「…え? そうなの、か?」


 積もった雪が固まり、氷となった心に、少し光が差した。


「あぁ、お前は自分の友も信じられないのか?」

「…だって……」

「ほんっと馬鹿じゃのう、カルミナは神体化を持っている、ありゃすげえぞ? 生半可な物理攻撃は効かないからの」

「…じゃあ、生きてるんだな… よかった……」


 ─涙が、止まんねぇよ… カルミナ… よかった…… よかった… ……そうか…… そうだよな… アイツをこんな気持ちにしといて… 俺だけ勝手に諦めんのは… カッコ悪ぃよな…


「行け、ここはお前がいつまでもここでうじうじしていい場所じゃない、ほれ、さっさと行け」

「ははっ、たくよぉ、久しぶりに会った孫にそんな言い方ねえんじゃねえの?」


 久々にかわした会話らしい会話はそれだけだった、でも、二人には元々会話は必要なかったのかもしれない、二人の間にあるのは祖父と孫、師匠と弟子、そして、歳などという御託を超えた絆が、全てを語っている。


「……悪かったな、勝手に出てってよ」

「馬鹿が、…お前の人生をお前が決めんでどうする、道を選ぶのは全部自分じゃ」


 雪乃の肩を叩き、前に進むための助走を付ける、煌月にとって雪乃まだまだは子供だ、たとえ、体が変わろうと、どちらも死のうと、その事実だけは変わり得ない。



 ◇◇◇



「…ッ、どういうつもりかしら?」


 カルミナは意志の力で李彩音の腕を掴み、喉に向けられたナイフを止める。


「あん… た… が… 何を… したいの… かも… ユキノ… と… どん…

 な関係… か、も… 分かる… だから… それ以… 上… バ… カな…… 真似は… 止… めろ」


 息も絶え絶えに、肺から食道に逆流する血を飲み込んでカルミナは話す、一言ごとに口からは鮮血が滲み溢れる、肺だけではない、内蔵 筋肉 神経 皮膚、無事なところなど1箇所もない、それでもなお、身体を動かす。

 骨は折れ、肉も裂け、動かす度に激痛が走っても、友の為に、そして、目の前の無垢な少女の為に、ボロボロの体に鞭を打ち、李彩音の喉元に自ら突きつけた刃を止める。


「……貴方に何がわかるのよ!! 私のせいで彼は死んだのよ! それを償うためだったら! 私の命なんて簡単に投げたせる! それこそ、そこいらの石くらいの価値しかないの! だから! 彼にとって最も価値のある命になればいいんだって、そう思ったら止められないの!」


 まさに、叫びだった、李彩音の心から出た、純粋な本音、怒りと悲しみの混じった魂の咆哮、しかしそれをカルミナが聞き届けることは無かった。


 パチン


 ──えっ? 痛い…


 突如李彩音の頬に痛みが走る、乾いた音と共に、じわじわと広がる痛みが、李彩音の瞳に涙を貯めていく。


「………」


 雪乃は何も言わない、表情は寂しげに、李彩音を見つめる。


「…それ、本気で言ってるのか?」


 静かな怒り、声を張り上げた訳では無いのに伝わる感情、瞳が、噛み締めた唇が、血が出る程にぎりしめた拳が、物語っていた。


「ええ、本気よ」


 涙を拭い、弱みを見せないように李彩音は虚勢を張る、これ以上彼にこんな体を見せたくない、と、心の底から思っているにもかかわらず、瞳からはとめどなく涙が溢れ出す。


「…なら、俺が殺してやる…」


 雪乃の口から出たのは意外な言葉だった、雪乃の行動に迷いは無く、李彩音の両手を片手で抑え、先程とは逆の状況を作り出す。


「キャ…!」


 ──…怖い、違う! 恐怖なんて感じてない!

 ──…どうして! 私は彼の為に死ねる、いや、死ぬと誓ったのに! どうして恐怖を感じているの!?

 ──嫌だ! 嫌だ! まだ彼とちゃんと話してない!


 ゆっくりと力が込められていく、血の流れに異常をきたし、脳へ酸素が行き届かなくなる。

 脳へ酸素の供給が停止し人が意識を失うまで約7秒、薄れゆく意識に恐怖を抱く、もし意識を失えば二度と目覚めない、二度と目覚めない眠り、ならばどんなに良かったろうか、今李彩音がいる状況は眠りにつくまでに長い苦しみがあり、その上目覚めない眠り、に強制的につかされようとしているのだ、いくら無情に100億近い生命を奪った李彩音でも、自分の命に無頓着ではいられない。

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