冷血鉄仮面
「お帰りなさいませ、お嬢様。」
主に衣服などの世話をしている畑中由布子が、制服の上着を受け取った。
大きな屋敷の二階にみりあの部屋がある。
部屋と言っても一般の家くらいはありそうな広さだ。リビング、寝室、バスルームがある。
天井まで届く鏡のあるクローゼットで由布子がみりあの着替えを整えている間、城里生はお茶の準備をしていた。
一階のメインキッチンの他に、二階にもキッチンがある。
城里生は昨日届いたばかりの紅茶葉を用意した。
城里生は現在二十六歳、海外の大学に飛び級で入学、卒業してから松葉重家で働いている。
世界中を飛び回る総帥の秘書の補佐と、みりあの身の回りの世話をしていたが、当時小学生だったみりあの誘拐未遂事件が続いた為、みりあ専属の執事となった。
それは時折破天荒な行動をするみりあの制止とボディーガード役を意味するものだった。
スラリと長身で締まった身体、切れ長の目と筋の通った鼻、口が堅そうにしっかりと結ばれた唇は微笑むとふわりとした印象を与える。漆黒のつややかな髪は、仕事中は後ろに流して形のきれいな額を出している。良い家柄の子息と思われてもおかしくない顔立ちと、身のこなしも自然で優雅なものを持っている。実際、城里生家も旧家の出であり、執事として有り余る充分な身上である。
「失礼いたします。」
軽く扉をノックしてみりあの部屋に入る。
みりあはクリーム色のハイネックの膝丈ワンピース姿で、窓の外を眺めて立っていた。
「今日は新しい紅茶をお持ちしました。」
城里生は静かに声をかけ、ローテーブルにティーセットを用意したが、みりあは黙って庭を眺めていた。
城里生もそれ以上言葉を掛けず、その後ろ姿を見つめた。
腰までかかる長い黒髪を高い位置でポニーテールにしている。美しく細いうなじは襟足美人でもある。
姿勢の良い美しく品格のある立ち姿、黙っていれば紛れもなくご令嬢だ。
みりあはようやくゆっくりと体をテーブルに向けた。
城里生は軽く微笑み、ソファへと促す。
みりあは城里生の笑顔に、面白くなさそうに眉をぴくりと上げソファに腰を下ろした。
城里生が黙ってポットから紅茶を注ぐと、華やかな香りがふわりと広がる。
「とても良い香りのお茶だな。」
「お嬢様のお好みに合うのではないかと思い、先日取り寄せたものです。」
美味しそうに紅茶とクッキーをつまむみりあに、城里生は目を細めた。
しかし、みりあからは相変わらずの返事。
「そうやって自分の株を上げようとしているんだろう。」
「そんなことはありません、お嬢様。私のことより素直にそのお茶を楽しんでください。」
城里生は笑顔を崩さず、紅茶を注ぎ足した。
その横顔をチラリと見ると、みりあは話を変えた。
「夕食の前に少し付き合え。」
「―――と申しますと?」
「合気道の手合わせだ。」
「それで髪を上げてらっしゃるのですね。」
今日は特に稽古事のない日なので、通常なら少し机に向かうところであり、髪を結うことはまずないことだった。
みりあは時計を見た。
「四時から一時間でいい。」
「かしこまりました。」
滅多に城里生と手合せすることはないので不思議に思ったが、尋ねたところで素直な返答など期待できない。城里生はそのまま了承した。
最近は特に問題を起こすこともないので、ストレス発散なのだろうと一人合点する。
「では、早速お部屋の準備をしてまいります。」
城里生は一礼して、みりあの部屋を後にした。
城里生は自分に対するみりあの少々捻くれた言葉の数々を、年頃のせいだと考えていた。
大人になっていく過程で父親を避けるようになるような、そんな反抗期の一部だと思い、あまり気に留めないようにしていた。
但し、ボディーガードも務める意味では、互いの信頼関係が大切になる。城里生はそれだけは失うことが無いように、つかず離れずの距離感を守ろうと努めていた。恐らく、本当の所ではきっと信頼を頂いているはずだと若干の不安を抱きながらも城里生はみりあを信じていた。
屋敷と少し離れたところに日本庭園が造られ、その脇に茶室と道場がある。
用意が済むと、城里生はみりあを迎えに再び部屋へ向かった。
二人は黙ったまま並んで道場へ足を進めた。
広い和室に入ると、城里生は手にしていたみりあの胴着とタオルを手渡し、別室の入口を開けた。
「申し訳ありませんが、こちらでご自分でお着替えをお願いいたします。」
「城里生」
扉を閉じようとすると、背中を向けたみりあが呼び止めた。
「はい。」
「これだけ頼む。」
みりあは手を後ろに回して、ワンピースの背中を指した。
「かしこまりました。失礼いたします。」
城里生はさっとファスナーを途中まで下げると、すぐに部屋を出た。
胴着に身を包んだ二人。
みりあがさっそく組み始めようとするのを城里生が制止する。
「お嬢様、しっかり準備をしてから行わなければなりません。」
「そんなこと言っていたら時間が無いだろう。」
「いけません、もしお嬢様がお怪我でもされれば…」
「私の首がありません、か。」
「それもそうですが、どんなプロの方でも体や心の準備を絶対に怠ることはありません。その意味はお分かりになりますね、いつも師匠からお話があるかと存じますが。」
みりあは渋々体の身体の準備を整えながら言い返した。
「城里生はお師匠よりもじいやよりも、ずっと年寄りみたいだな。」
「なんとでもおっしゃって下さい。」
城里生は自分も身体を伸ばしながら、涼しく答えた。
そんな城里生をジロリと睨んだみりあは、すっくと立ち上がる。
「始めるぞ、冷血鉄仮面キリウマコト。」
城里生はその言葉に呆れて、思わず口をぽかんとあけたままみりあを見つめた。