その求人、たぶん普通じゃないです(1)
初回の相談は、全3回に分けてお届けします。
求人アプリの検索条件を「事務」「未経験可」「週二日から」にして、三枝灯里は大学のラウンジで四十分ほど固まっていた。
画面には、似たような求人がずらりと並んでいる。
駅前の塾受付、コールセンター、データ入力、通販会社の倉庫事務。求人はたくさん出てくる。どれも悪くはないが、授業の時間割と通学時間と家の用事を重ねると、どこかで無理が出る。
灯里は親指で画面を弾いた。
「時給、あと百円ほしい……」
独り言は小さかったが、切実だった。
学費、通学定期、教材費、スマホ代、母に渡す食費の一部。払うものを紙に書くと、数字は急に人間の顔をやめる。表情のない壁になる。
その壁の下で、ひとつの求人が目に止まった。
『生活相談所の事務補助』
勤務地は北千住。駅から徒歩七分。時給は1,650円。交通費規定支給。仕事内容は、受付、書類整理、検索補助、相談記録の整理。
ここまでは普通だった。
問題は備考欄である。
『呪詛に抵抗のない方』
灯里は一度、スマホを伏せた。
「呪詛って、求人の備考に書くやつですか……?」
十秒後、もう一度スマホを表に返す。
求人ページを開き直しても、文字は変わっていなかった。備考欄には、やはり『呪詛に抵抗のない方』とある。さらに下には、小さく『電話応対歓迎』とある。
灯里は検索した。
相談所名は、有瀬生活相談所。公式サイトはあった。あったが、二〇〇〇年代から更新されていないような淡い灰色の背景に、地図と営業時間と「急ぎの方はベルを二度鳴らしてください」だけが載っていた。
「絶対に普通じゃない……!」
普通じゃない。だが時給はいい。
灯里は母から今朝来たメッセージを思い出した。『今日、帰り少し遅くなる。冷蔵庫の煮物食べてね』。母は早朝清掃のあと、総菜店のパートへ行っている。
灯里は求人ページの応募ボタンを見つめた。
「面接だけ。面接でやばかったら帰る」
そう言い聞かせて、応募した。
翌日の夕方、灯里は北千住駅の西口に立っていた。
北千住は、思っていたよりずっと都会だった。駅前には人が多く、チェーン店の看板も、学生らしい集団も、急ぎ足の会社員も途切れない。
それでも大通りから少し横へ入ると、昔からあるらしい和菓子屋や、ガラス扉の曇った不動産屋が、明るい店の隙間に残っていた。
地図アプリの矢印に従って七分歩くと、目当てのビルが見えた。
千住三丁目の古い雑居ビル。
一階はラーメン屋、二階は整体、三階はスナック、四階は輸入雑貨店。集合看板の一番下に、手書きに近い文字で「有瀬生活相談所」とあった。
その横に、小さくこう書かれている。
『生活相談・記録整理・呪詛鑑定』
『法律判断・代理交渉はできません』
灯里は足を止めた。
「帰るなら今……!」
自分で言って、財布の中身を思い出した。
「……帰らないなら今!」
古いエレベーターは、七階に着く直前で一度大きく揺れた。灯里は思わず手すりをつかむ。
扉が開いた先は、思ったより静かだった。
廊下の突き当たりに、木製のドアがある。曇りガラスに、黒い文字で「有瀬生活相談所」。その下に、さっきの看板よりも大きく貼り紙があった。
『急ぎの方はベルを二度鳴らしてください』
灯里は深呼吸した。
ベルを一度鳴らした。
何も起きない。
求人サイトには面接予約済みと出ている。灯里はもう一度、貼り紙を見た。
「急ぎの方じゃないけど……」
二度目を鳴らした。
中から、椅子が床をこする音がした。
「入れ」
古風な声だった。
灯里はドアを開けた。
最初に見えたのは、窓際の水晶だった。その横には観葉植物があり、黒いファイルボックスが詰まった棚もある。壁には公的な相談窓口のパンフレットが何枚も貼ってある。
占い店と事務所と、古道具屋の奥の部屋を無理やり一つにしたような場所だった。
奥の机に、銀髪の人物が座っていた。
髪は月光のように銀色で、目は青紫だった。肌は白く、黒いジャケットの襟元には、どこのブランドか分からない細い飾りが光っている。
顔は整いすぎていて、性別を判断する前に、現実感のほうが先に迷子になった。
「三枝灯里だな」
「はい。面接に来ました」
「私は有瀬玲だ。相談所では有瀬と呼べ」
「有瀬さん、ですね」
「本来の名は長い。ここでは要らぬ」
「そこ、省くところなんですか……?」
灯里は鞄を握り直した。
詐欺か、占い店か、それとも顔のいい舞台関係者の楽屋か。
候補は三つに絞られた。
「そこへ座れ。身上書を見せよ」
「履歴書ですか?」
「この世界ではそう呼ぶのだったな」
灯里はクリアファイルから履歴書を出した。有瀬はそれを両手で受け取り、光に透かした。
「偽造の気配は薄い」
「普通に印刷してきました」
「ふむ。では次だ。国民真名管理制度には登録済みか」
「国民……真名?」
灯里は一拍置いた。
真名を、登録して、管理する制度。
履歴書の次に聞かれるものとして、候補を必死に並べる。住民票や保険証、学生証のことだろうか。いや、バイトの面接でそこまで出すだろうか。
「もしかして、マイナンバーのことですか」
「番号で国民の真名を管理する制度だろう」
「たぶん合ってますけど、その言い方だとラスボスの封印です!」
有瀬は真顔だった。灯里のほうが間違っている、と言いたげである。
「この世界の術式検索には長けているか」
「術式……検索」
灯里はまた止まった。
「検索って、ネット検索ですか。それとも、何かの儀式ですか」
「小型水晶板を用いた索敵だ」
「小型水晶板」
灯里は自分のスマホを持ち上げる。
「これのことなら、スマホです。検索はできます。索敵は、たぶんしません!」
灯里は面接を受けに来たはずだった。だが、開始五分で、面接官の現代語を現代語に直す仕事が始まっている。
机の横には貼り紙があった。
『法律判断・代理交渉はできません。必要な場合は専門窓口へつなぎます』
その下に、別の紙がある。
『相談者を責めない』
そこだけは、妙にまともだった。
「業務内容は、受付、書類整理、検索補助、相談記録の整理。求人票に書かれていた通りだ」
「呪詛に抵抗のない方、っていうのは」
「書かれていた通りだ」
「そこを一番、具体的に説明してほしいんですけど」
有瀬が何か言いかけたとき、ドアのベルが鳴った。
一度。
少し間を置いて、もう一度。
有瀬の目が細くなる。
「面接は実地試験へ移行する」
「いま採用試験の形、勝手に変わりましたよね!?」
「入れ」
ドアが少しだけ開いた。
そこに立っていたのは、面接よりも明らかに急ぎの顔をした相談者だった。




