もう二度と
「…………さて、どうしようか」
仄暗い部屋の中、ベッドにて思考を巡らせる。蒔野さんが僕に用意してくれた、二階のお客さん用の部屋で。
もちろん、やるべきことは決まっている。蒔野さんを護ること――改めて確認するまでもなく、これは揺るがぬ最優先事項。だけど、一方でこの状況を出来るだけ長引かせないようにするのもまた重要。この一週間、明るく振る舞ってくれてはいるけれど……その奥底に底知れぬ不安や恐怖を抱えていることは容易に察せられる。そして、それらは日を追うごとに強度を増して……このままでは、事が解決する前に彼女が――
ところで、長引かせないようにとは言ったけど……恐らく、そうはならないのかなと。尤も、まだ確定とまでは言えないけど……この一週間、彼女といて……あの悍ましき気配を感じ続けて分かったことは――
「…………え?」
刹那、思考が止まる。と言うのも――卒然、背中に柔らかな感触を覚えたから。未だ止まった思考のまま、どうにかゆっくりと口を開き――
「…………蒔野、さん……?」
ポツリ、その名を口にする。……でも、いつの間に? 思考に沈んでいたせいか、全く気付かな……いや、それよりもいったいど――
「……どこにも……」
「……へっ?」
「……どこにも、行かないで……先生……」
ふと、微かな声が鼓膜を揺らす。微かな……そして、ひどく震えた声が。……いや、声だけじゃない。後ろから回したその腕も、背中に感じるその身体も……うん、そうだよね。正体不明の恐怖に、なす術もなく苛まれる日々……こうしてすぐ傍にいてほしいと願うのは、むしろごく自然の感情だ。なので、一言断りを入れいったん手を離してもらう。そして、ゆっくりと彼女の方へと向き直り――
「…………え?」
再び、思考が止まる。そんな僕の目には、果たして恐怖に揺れる瞳の蒔野さん。だけど、それは思っていたのと少し違って――
「……先生」
すると、向き直った僕を正面からぎゅっと抱き締める蒔野さん。そして――
「……お願い、ですから……どこにも……どこにも、行かないで……」
そう、声を震わせ告げる。さっきよりも、いっそう震えた声で。その瞳に、声に……言葉に、流石に分からないはずもなかった。いつからかは分からない――それでも、彼女がとうに気が付いていたことに。
「……由良、先生……」
ゆっくりと身体を離し、僕を見つめる蒔野さん。吸い込まれるほどに綺麗なその瞳が、何を訴えているか――やはり、流石に分からないはずもなく。
心臓が、ドクンと跳ねる。……もちろん、分かっている。これは、越えてはならない禁断の一線……そして、一度踏み入れてしまったら、二度と戻れないことも。
仄暗い部屋の中、淡い光が彼女を照らす。そんな幻想のような世界の中、そっと目を瞑り瞼を閉じる。そんな彼女の華奢な肩にゆっくりと手を添え――そっと、唇を重ねた。




