暗雲
「――それでは、どうぞお好きなところへ。お飲み物は何が良いですか? とは言っても、緑茶と珈琲しかありませんが」
「うん、ありがとう。それじゃ、珈琲でも良いかな?」
「はい、畏まりましたご主人さま」
「いやメイドさんじゃないんだから」
その後、ほどなくして。
クレマチスの花が優しく彩るリビングにてそんなやり取りを交わした後、可笑しそうに微笑みつつキッチンへ向かう蒔野さん。そして、慣れた手つきでコーヒーミルに豆を……あっ、そこからやるんだ。なんか本格的というか……うん、すごいなぁ。
「どうぞ、先生。熱いのでお気をつけくださいね」
「うん、ありがとう蒔野さん。……わぁ、すっごく美味しい」
「ふふっ、お口に合ったみたいで良かったです」
それから、ほどなくして。
素直な感想を伝えると、嬉しそうに微笑み答える蒔野さん。誇張でなく、今まで飲んだ珈琲で一番美味しい。
だけど……今は、のんびり他愛もない話に花を咲かせている場合じゃない。そして、それはきっと僕より彼女自身が分かっていること。ほどなく、改まった様子で僕の瞳をじっと見つめる蒔野さん。そして――
「……実は、最近つけられているようでして」
そう、ゆっくりと告げる。その瞳には、ありありと不安の色が揺れていて。そんな彼女の言葉に、僕は――
「……それは、いつくらいから?」
「……恐らくは、一週間前……奇しくも、父が倒れた頃とほぼ同じくして」
「……そっか」
そう尋ねると、少し俯き答える蒔野さん。もちろん、彼女の言葉を疑うつもりなど元より微塵もないけど……改めて、あれが気のせいなどではなかったと確信する。帰り道、少し後方から感じていたあの悍ましい気配が気のせいなどではなかったと。……そして、一週間前……これは単なる偶然なのか、それとも――
「……ところで、お父さまにはこのことを……」
「いえ、伝えていません。父自身があのような状態なのに、更に心配をかけるわけにはいきませんから。……まあ、事実までは知らずとも何かしら察している可能性はありますが」
「……そっか」
そう尋ねると、仄かに微笑み答える蒔野さん。……まあ、そうだろうね。彼女の性格なら。
だけど、彼女の言うようにお父さまも察していたのだろう。蒔野さんが――ご自身の娘さんが、ご自身の病気以外のことで何か抱えていたのを察していたのだろう。だから、僕にあの言葉を残した。こんな僕に、大切な娘さんを託してくれ――
「……それで、無理を承知でのお願いなのですが……暫く、ここにいてくださいませんか?」
「…………へっ?」




