視線の先に
……ただ、それにしても――
「……それにしても、よくバレなかったよね」
「……確かに。大声ではないにしても、途中からわりと普通に話してましたしね、私達」
「……うん、ほんとにね」
蒔野さんの席に戻り、ゆっくりと帰り支度をしつつそんなやり取りを交わす僕ら。蒔野さんの言うように大声ではなかったものの、それでもよくバレずに済んだものだと……もしかして、教卓の中で声が籠もってたからかな。だとしたら……うん、明日の朝にでも丁重にお掃除させて頂こう。
……あと、バレなかったと言えば――
「まあ、幸い声が聴こえなかったのはともかく……これは、なんでバレなかったんだろ? 流石に、気付かないはずないよね」
「……ああ、それですか」
そう、視線を落とし口にする。つい先ほどまで教科書やノートが置かれていた、蒔野さんの席へと視線を落として。
これが、別の席――例えば、窓際の席であれば話は変わる。だけど、ここは廊下側の席――そして、先輩はまさしくこの傍を通っていた。意識せずとも、視界に入らないはずもないかと――
「……ですが、それほど不思議なことではないかもしれません。人間は、そこにないはずのものを認識できない生き物です。相当な至近距離とはいえ、もし彼女が私達の存在に気付いていないとすれば、そこにあるはずのない教科書やノートに気が付かない可能性はあるかと」
「……そう、なんだね」
「そして、もし気が付いていたとしても、彼女の視界に映っていたのは私の教科書やノート――それと、もしかすると私の鞄くらいでしょう。由良先生の鞄は、廊下からは死角になっていて見えなかったかと。ならば、遅くまで教室で自習していた生徒が一時的に席を外したと考えるのが、まだしも自然な解釈かと」
「……なるほど」
僕の疑問に、理路整然と説明をしてくれる蒔野さん。なるほど、そう言われるとそうなのかも。ただ、それにしても……うん、やっぱりすごいね蒔野さん。なんか、自分が馬鹿みたいに思えてくる。
「さて、帰りましょうか先生」
「うん、そうだね蒔野さん」
ともあれ、そう告げ背を向ける蒔野さんに頷き答える僕。……ふぅ、今日はどっと疲れた……まあ、自分のせいではあるんだけど。……うん、今更ながら、申し訳ありません薺先輩。
「――あ、そう言えば由良先生」
すると、ふとこちらを振り返る蒔野さん。そして、どうしてかその表情は何とも愉しそうで……あれ、なんだかものすごく嫌な予感が――
「――感触はいかがでしたか?」
「お願いですから勘弁してください!」
「………………」
ある平日の夕さり頃。
四階の窓から、正門の辺りを見つめる私。いや、正確には――茜に染まる空の下、正門を通らんとする一対の男女の姿を。
一人は、肩ほどまで伸びる黒髪を纏う女子生徒。遠目からでも分かる、驚くほどに綺麗な女の子。そして、もう一人――こちらも、遠目からでも分かる秀麗な男性教師。そして、こちらは私の良く知る――
「…………」
じっと、二人を見つめる。見た感じ、女子生徒が男性教師を揶揄っている様子。何とも楽しそうな笑顔の女子生徒と、少し困った表情の男性教師。もちろん、その会話までは聞き取れない。……それでも、分かるのは、そんな二人の姿があまりにも自然で――
――トゥルルル。
ふと、ポケットから響く電子音。徐にスマホを取り出し画面を見ると、発信主は……まあ、そうだと思ったけど。ともあれ、応答ボタンに指を添える。そして――
「――ねえ、硫くん。たぶん、すぐにってわけじゃないんだけど……ちょっと、相談があるの」




