痛み
「……でも、ほんとに僕は大したことはしてないよ。そのことをみんなに伝えてくれたのは、僕じゃなくて校長先生だし」
「ええ、校長先生が朝礼にてお話ししていたと聞きました。ですが、そもそも校長先生にそのことをお伝えしたのは由良先生ですよね? 確かな信憑性を持った情報として、きちんと全校生徒に伝わるように」
「……その様子だと、知ってるみたいだね」
ともあれ、私の問いに苦笑しつつ答える由良先生。ええ、知っていますとも。休み時間、校長室に赴き直接お尋ねしましたから。
そういうわけで、続けて問い詰めると流石に白状してくれた。そして、彼の話をざっくり纏めると……どうやら、ある日ネットニュースで偶然ある情報――ある高校生が、ある年配の男性を救ったという情報を目にし、その出来事があった時間帯から私のことではないかと推測をつけ、お話を伺うべくその男性のもとを訪れたとのこと。
……うん、さらっと言ってるけど、どうせ必死に探したのでしょう? 手掛かりなんて碌になかったはずなのに、それでも必死に探してくれたのでしょう? さながら、私の時のように。
ともあれ、かの男性から話を伺い、果たしてかの高校生――彼を救った高校生が私といいうことが判明。私に対し、満面の笑顔で頻りに感謝を意を口にしてくれていたとのこと。
ただ、それにしても……応急処置の最後の方に一応は目を覚ましてくれたけど、恐らくは相当に朦朧としていたはず……なのに、どうやら私の顔を認識してくれていたようで。
ともあれ、今件を学校に伝えても良いか男性に尋ねたところ快諾――むしろ、学校を挙げて大々的に私を褒め称えてあげてほしいとのことで。
そういうわけで、有り難い彼の申し出をすぐさま校長先生へ報告した由良先生。そして、我が校の生徒の功績とあらば学校としては歓迎しないはずもなく、翌朝に急遽朝礼を開き全校生徒に伝えたとのこと。かくして、思いも寄らず私の行動は全校生徒の知るところとなった。
そして、それが教室での視線――何処か困惑を孕んだような、クラスメイトの視線に繋がるわけで。一人の尊い命を奪った私と、一人の尊い命を救った私――そんな相反する二つの情報により私に対する印象が定まらず戸惑っている、といったところだろう。
「……結局、私は先生に救われたというわけですね。何から何まで」
そう、ふっと微笑み告げる。もちろん不服があるわけでも、ましてや文句があるわけもない。むしろ、感謝してもしきれない。ただ……ちょっと悔しくて、凄く申し訳ないだけ。私は、先生に何一つ――
「……うーん、そうだね。まあ、百歩譲って今回の件に僕が役立っていたとしても――」
「……はあ、百歩譲って、ですか」
すると、頤に軽く指を添え斜めを見ながらそう口にする由良先生。いやなんで百歩譲るんですか。誰がどう見ても、貴方のお陰――
「……だけど、蒔野さん。今のこの状況があるのは、君のあの行動があってこそだ。一人の尊い命を救った、君の勇気ある素晴らしい行動があってこそだ。だから――僕は君のことを心から尊敬するよ、蒔野さん」
「……っ!! ……せん、せい……」
すると、柔らかな微笑でそう口にする由良先生。もう幾度目にしたか分からない、心がじんわりと熱を帯びるあの笑顔で。そんな彼に、私は――
「――大丈夫かい!? 蒔野さん」
「……あ、その……はい、ご心配には及びません」
「……ほんとに?」
「はい、もちろん」
卒然、甚く心配そうな表情で尋ねる先生。まあ、それもご尤も……突如、私が俯いて胸を押さえ始めたのだから。……でも、なんで? なんで、急に胸が――
……いや、止そう。もう、これ以上は無理だから。いくら分からない振りしても、不都合な事実から目を逸らしても……むしろ、そんな私の意思に反しいっそう強く自覚するだけだから。
……ほんとは、気付きたくなかった。……でも、もう手遅れ。この痛みは……感情は、もう――
「…………はぁ」
嫌というほどに月の輝く、ある宵の頃。
だらりとベッドに仰向けになり、沈んだ溜め息を吐く私。……本当は、良い日だったはずなのにね。久方ぶりに――およそ一ヶ月ぶりに登校できて、先生のお陰で想定したような視線も向けられずに済んで……本当は、頗る良い日だったはずなのにね。なのに、なんでこんなにも――
……まあ、理由なんて分かってるけど。ただ、気付いてしま……いや、改めてはっきりと認識してしまったから。私の気持ちが……この恋心が、決して叶わぬものであることに。
――あれ以上の苦痛なんて、ないと思っていた。
あれ、とはもちろんあの頃――私のせいで一人の尊い命が失われ、四方八方から刺すような視線を向けられ続けたあの中学時代のこと。実際、あの頃よりも苦しかったことなんて、それまでの人生で一度もなかった。この苦痛がなくなれば、どれほど楽に……なんて、そんな資格もないくせに叶わぬ願望を浮かべたりもして。
……だけど、違った。そもそも、思い返せば――苦痛がなかった頃なんて、ただの一度もなかった。ただ、別の苦痛に取って代わるだけ。肺の中の空気を全て吐き出したつもりでも、すぐさま新たな空気が肺を満たしていくように――苦痛を全て吐き出したつもりでも、すぐさま新たな苦痛が心を満たし飽和する。
――そして今、私は苦しい。本気で死のうと思ったあの頃さえ霞むほどに、グサリと刺すような痛みがこの胸を貫いたまま離れない。
……ほんと、酷い人間だと改めて思う。人ひとりの死に関与してしまった罪悪感より、無くても一向に差し支えなんてない一個人の恋心が叶わない悲痛の方が、私にとって比にならないほど重大なんて。……だけど、それでも――
「……ねえ、どうすれば良いの? 教えてよ……先生」




