第98話:十秒の攻防
フェイの背後に浮かぶ黒い魔法陣。
その禍々しい光を見据えるメグーの銀の瞳が、鋭く細められ、まるで氷の刃のように光を帯びた。
──見える。
空間を這うように走る魔力の波動。
目には見えぬはずのそれが、彼女にははっきりと見えていた。
巨大な心臓が脈打つように、魔力は規則正しく震え、空間に赤黒い脈動を刻んでいる。
魔法陣の中心から放たれる魔力の塊は、まるで生き物のように蠢きながら、周囲の空間をじわじわと赤く蝕んでいた。
空気は重く、肌を刺すような圧力が辺りを包み込む。
「……召喚には、時間がかかる」
メグーの囁きは、まるで風の音のように静かだったが、確かな確信を帯びていた。
彼女の視界には、魔法陣の外縁に浮かぶ七つの魔力の"核"が、青白い光を放ちながらゆっくりと回転しているのが見えていた。
それぞれが、まるで星の軌道のように正確に、中心へと魔力を注ぎ込んでいる。
──この回転が一周するまで、あと十秒。
それが、龍の召喚が完了するまでの猶予。わずか十秒の命綱。
「ケビン、今なら止められるわ!」
鋭くも冷静な声が、空間の緊張を切り裂いた。
ケビンは驚いたように顔を上げる。
メグーの言葉には、一片の迷いもなかった。
彼女の目に映る魔力の流れ──それは誰よりも正確で、信じるに足るものだった。
「……やるしか、ない!止めましょう!!」
震える声の奥に、確かな決意が宿る。
ケビンの瞳に宿った光が、彼の内に秘めた勇気を物語っていた。
ふたりは、同時に駆け出した。
──残り、十秒。
メグーの視界には、魔力の波が幾重にも重なり、まるで時間の層が折り重なっているかのように見えていた。
フェイの詠唱が進むたび、魔法陣の中心が脈動し、赤い光が空間を染め上げていく。
空気が震え、耳鳴りのような魔力の唸りが響く。
「魔力の流れが……まだ不安定。今なら、干渉できる!」
──残り、八秒。
メグーは地を蹴り、宙へと跳躍した。
だが、空間がねじれ、目に見えぬ魔力の壁が彼女の進路を阻む。
空間そのものが拒絶するかのように、彼女の身体を押し返す。
「くっ……!」
その瞬間、ケビンの詠唱が空気を震わせた。
「星々の軌道を定めし天の理よ!時空の鎖を解き放て!グラヴィタス・ディメンシオン!!」
重力が消え、メグーの身体がふわりと宙に浮かぶ。
束縛から解き放たれた彼女は、空中で身を翻し、銀の髪をなびかせながら、魔力の核のひとつへと一直線に飛翔した。
──残り、五秒。
「ケビン、あの核を狙って!あれが魔力の供給源!」
「了解!」
ケビンは震える声を押し殺し、詠唱を開始する。
彼の額には汗が滲み、だがその瞳には確かな意志が宿っていた。
メグーは空中で短剣を抜いた。
アニーから手渡されたそれは、小さな手に馴染むように軽く、だが確かな重みを持っていた。
彼女は一瞬、アニーの伏し目がちな横顔を思い出す。
言葉少なに差し出されたその刃に込められた想いを、彼女は忘れていなかった。
──残り、三秒。
フェイが顔を上げ、指先を動かす。
だが、メグーの視界では、その動きすらも遅れて見えていた。
彼女の意識だけが、時間の流れを超えていた。
「私の周囲の時間の流れだけ!!加速して!!」
コンテクストマジックが発動し、メグーの身体が光に包まれる。
時間の檻を突き破り、彼女の短剣が閃光となって魔力の核を貫いた。
──残り、一秒。
ケビンの詠唱が終わる。
「天の怒りを知れ!これぞ神の雷!!唸れ!!ヴォルト・ストライク!!」
雷鳴が轟き、天から放たれた光の矢が魔法陣の核を貫く。
魔力の流れが逆流し、他の五つの核が砕け散る。
魔法陣は崩れ落ち、空間を満たしていた魔力が霧のように消えていく。
──龍の幻影が、静かに霧散した。
静寂が訪れる。風が吹き抜け、瓦礫の間を舞う塵が陽光にきらめく。
フェイはその場に膝をつき、力尽きたように崩れ落ちた。
肩が震え、黒のコートが風に揺れる。
彼の背を見つめるミリアリアの蒼い瞳が、ほんのわずかに揺らいだ。
まるで、何かを惜しむように──。




