第96話:祈りは届かず、闇が割れる
フェイさんが、一歩、また一歩と近づいてくる。
そのとき、メグーちゃんが叫んだ。
「お母さんから離れなさい!!フェイ!!」
風が巻き起こった。
突風が瓦礫を巻き上げ、空気が唸る。
だが──
「空気を盗む」
低く、鋭い声が空間を切り裂いた。
次の瞬間、暴風はまるで見えない壁にぶつかったかのように、唐突に止まった。
風が弾かれ、瓦礫が空中で止まったように落ちる。
その隙に──
「アニーさん!」
「え?あ、あれ……!?」
気がついたら、ケビンさんの腕の中にいた。
何が起きたのか、頭が追いつかない。
ケビンさんとメグーちゃんが、すでに構えていた。
視線の先には、ミリアリアさんとフェイさん。
二人の纏う気配が、空気を押しつぶすように張り詰めていた。
「……なるほどのう。妙だとは感じておったが、時間を操れるようになっておったようだな」
ミリアリアさんが静かに呟く。
その声には、驚きよりも納得の色が濃かった。
(時間を……?)
何がどうなっているのか、分からないまま、私は息を殺していた。
「ユニークロール持ちは……魔法の権限が他の人より高いからね。これはちょっと厄介かな」
フェイさんが苦々しく言い放つ。
「逃げるわよ!」
メグーちゃんの叫びが飛んだ。
「え、あ、はい!!」
ケビンさんが踵を返す。私もつられて動く。
でも──
「させんぞ!」
ミリアリアさんの声が鋭く響いた。
(逃げ切れない)
それは、瞬時に分かった。
足が止まる。
「……時の神よ、我が声に応えよ。運命の歯車を砕き、世界を凍てつかせよ──テンペスト・クロック!!」
ケビンさんが詠唱を終えた。
空間が軋む感覚がした。時間が歪み始めた──はずだった。
だが。
「調律魔封剣!!」
ミリアリアさんの声が重なると同時に、剣が淡く輝いた。
次の瞬間、ケビンさんの放った魔力は空間に溶け込むことなく、ミリアリアさんの剣へと吸い込まれていく。
「っ!?」
(魔法が……消えた?)
「魔法を……封じているの!?」
メグーちゃんの声に、驚愕が滲んでいた。
「切り札というものは、隠しておくものだろう」
ミリアリアさんが涼しげに微笑んだ。
その笑みが、胸の奥に冷たく突き刺さる。
──その瞬間だった。
「ぐあぁ!!」
ケビンさんの声がした。
振り向いたとき、ケビンさんが地面を転がっていた。
何かに吹き飛ばされた。
「よっと」
軽やかな声とともに、フェイさんが着地した。
その腕に、私がいた。
いつの間に──そんなことを思う間もなかった。
「それじゃ、貰うね」
フェイさんの手が、静かに伸びてきた。
(待って──)
過去と今が、頭の中でぐるぐると混ざる。
砂海で助けてくれた人。命を救ってくれた人。
なのに、メグーちゃんが「離れて」と言った。
なのに──
「ロールを盗む」
胸の奥から──何かが、引き剥がされていく。
体の中が、空洞になっていくような感覚だった。
熱が消える。根が抜ける。
自分の中にあったものが、音もなく、引き抜かれていく。
(あ……)
膝が、折れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「や、やめて……!」
メグーの叫びが空を裂いた。
彼女は迷いなく飛び出す。銀の髪が宙に舞い、怒りをむき出しにした瞳がフェイへと向かう。
だが、その進路を遮ったのは──ミリアリア。
「すまんが、メグー。お前の役割は終わりだ」
その声は、氷のように冷たかった。
聖剣を振り払う。狙いは、メグーの首。
鋭く閃く刃が、空気を裂く。
「天の怒りを知れ!これぞ神の雷!!唸れ!!ヴォルト・ストライク!!」
ケビンの叫びとともに、雷光が空を裂いた。
眩い閃光が走り、雷の矢がミリアリアとメグーの間に突き刺さる。
爆ぜるような音とともに、ミリアリアの剣が止まった。
「アニーさんに何をしたんですか!?」
ケビンが叫ぶ。
声は震えていたが、その瞳には確かな怒りと決意が宿っていた。
そして、メグーが静かに言葉を紡ぐ。
声は低く、しかし確信に満ちていた。
「お母さんじゃなくて…龍が狙いだったのね…ミリアリア」
言葉が空気に溶けていく。
地に伏したアニーは答えない。
ただ、その小さな手が、わずかに地面を掴んでいた。




