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誰も食べない世界で、農民の私は真実に挑む  作者: 農民
第1章:天使の零落
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第4話:冒険をあきらめない


 私の膝の上で、メグーちゃんは小さな寝息を立てていた。

 銀色の髪が頬にかかり、透き通るような肌が月明かりに照らされて淡く輝いている。

 その表情は、まるでこの世の喧騒など知らぬかのように穏やかで、時が止まったかのようだった。


 そんな静寂を切り裂くように、私の前に影が差す。

 フェイさんだ。漆黒のコートが揺れ、整った顔立ちが月光に浮かび上がる。

 口元には微笑が浮かんでいるのに、その瞳は深い闇を湛え、氷のように冷たい。

 まるで、私の心の奥底まで見透かしているかのような視線に、思わず背筋が凍る。


 そのフェイさんの背後、重厚な木製の机に肘をつき、組んだ手に顎を乗せてこちらを見つめているのはミリアリアさんだった。

 金色の髪が揺れ、蒼い瞳が静かに私を射抜く。

 その姿は、まるで海の向こうからやってきた高貴な姫君のようで、ただそこにいるだけで場の空気が引き締まる。


「さて……」


 ミリアリアさんの声は、静かでありながらも、空気を震わせるような重みを持っていた。


「アニー殿。申し訳ないが、事が落ち着くまで、我らと行動を共にしていただきたい」


 その言葉に、私は思わず身を強張らせた。喉が乾き、声がうまく出ない。


「……“事”というのは…あ、えっと、め、メグーちゃんのこと、で、で、ですよね?」


「うむ」


 短く頷くミリアリアさんの声は、どこか遠くから響いてくるようだった。


 メグーちゃんが普通の子ではないことは、私にもわかっていた。

 けれど、“食事をしないと死んでしまう病気”なんて、聞いたこともない。

 なのに、彼女は私の目の前で、まるでそれが当然であるかのように、リンゴを口にしていた。

 あのときの彼女の姿は、どこか人間離れしていて、それでいて、どこまでも自然だった。


 この子のことを誰かに話せば、きっと何か恐ろしいことが起きる。

 そんな直感が、胸の奥で警鐘を鳴らしていた。


「……私、メグーちゃんのこと、誰にも話しません」


 私は声が震えるのを感じながら、ミリアリアさんの瞳をまっすぐに見つめて言った。こんな幼い子を、誰かに売るような真似は、私には絶対にできない。


「その言葉を、俺たちが素直に信じると?」


 フェイさんの低く、鋭い声が空気を裂いた。

 彼の瞳が私を射抜く。

 そこには一片の感情もなく、ただ冷徹な理だけが宿っていた。

 私はその視線に射すくめられ、言葉を失いそうになる。


「メ……メグーちゃんのことを誰かに話しても、私に得なんてないです」


 私は必死に言葉を紡いだ。

 感情では通じない。

 ならば、理屈で応えるしかない。

 私の声は震えていたが、心の奥では必死に自分を奮い立たせていた。


「アニーさん。貴女に得があるかどうかは関係ない。貴女を利用できると考えた輩が、どう判断し、何をしでかすか。それが重要だ」


 フェイさんの声はさらに鋭さを増し、まるで刃のように私の胸を切り裂いた。私は思わず口をつぐむ。


「まぁ、待て、フェイ」


 ミリアリアさんが静かに手を挙げ、フェイさんを制した。その仕草には、確かな威厳と包容力があった。


「すまないが、アニー殿。これは貴殿の安全のためでもある」


「私の……安全?」


「そうだ。メグーは、少々特殊な少女でな。彼女を利用しようと目論む者たちがいる。奴らは手がかりを得るためなら、どんな手段でも選ばぬだろう。ここまで言えば、貴殿の身にも危険が及ぶことが、想像できるはずだ」


 その言葉に、私は息を呑んだ。まるで、足元の地面が音もなく崩れていくような感覚。私の中の常識が、音を立てて崩れていく。


「……話が漠然としていて、わ、わかりません!そ、そこまで…メグーちゃんは特別な存在なんですか?」


「そうだ」


 ミリアリアさんの一言は、重く、そして揺るぎなかった。


 この子は、ただの可哀想な子じゃない。

 私が思っていたより、ずっと……ずっと遠いところにいるような気がした。

 彼女は、ただの子供じゃない。何か、もっと大きなものを背負っているのかもしれない。

 そう考えた私は言葉を失い、ただ黙り込んだ。頭の中で、思考が渦を巻く。


「アニー殿」


 その声に、私ははっと顔を上げた。


「はい…?」


「貴殿は“コンテクストマジック”を知っているか?」


 その言葉に、フェイさんが即座に反応した。


「船長!」


 彼の声が鋭く響くが、ミリアリアさんは静かに右手を掲げて彼を制した。


「コンテクストマジック……え、詠唱や魔名を必要としないで、思うままに、魔術を行使できる体系だと、き、聞いたことが、あり、あります」


 コンテクストマジック……書物には、古代の術式として記述されているものの、実際に使い手がいたという記録はほとんど残っていない。だからこそ、長い間、夢物語として扱われてきた。

 その実例が──今、目の前に……?


「その通り。我らが使用する“プロンプトマジック”とは異なる魔術体系だ」


 ──我らが使用する。

 私はその言葉に、思わず眉をひそめた。


 プロンプトマジックは、詠唱や魔名を用いて魔術を発動する体系である。

 詠唱は、魔力と会話して魔法を発動する方式であり、誰が使っても同じ効果を得られる。

 魔名は、魔法名を唱えることで魔法を発動する方式であり、詠唱より簡略化されているが、適性と修練が必要だ。


 しかし、私には、どちらの方式でも魔法が使えない。

 どれだけ練習しても、詠唱は空回りし、魔名を唱えても何も起きなかった。

 みんなが当たり前のように使える魔法が、私には届かない。

 まるで、世界が私を拒んでいるみたいだった。


「アニー殿?」

「あ、す、すみません!色々と考えてしまっていました」

「ふむ。無理もない。話を続けて構わないか?」

「は…はい!」


「うむ。アニー殿も既知のことと思うが、コンテクストマジックは、事象そのものを意のままに操ることができる。それこそ、生死の垣根を超えることも容易い。だからこそ、神々の魔術と呼ばれているのだ」


「か、神々の…?」


「うむ……そして、メグーは、そのコンテクストマジックに適性がある」


 私は膝の上の少女を見下ろした。

 彼女の寝顔は、あまりにも無垢で、あまりにも静かだった。


「そんな…おとぎ話の話…俄かに信じがたいです」


「そうであろうな……」


 私とミリアリアさんの会話が一段落したのを見て、フェイさんが尋ねる。


「船長、なぜ、そこまでのことをお話に?」

「フェイ。我はアニー殿に、協力を願いたいのだ」


「協力……ですか?」


 フェイさんの視線が私に突き刺さる。

 私はその視線から逃げたくなった。

 けれど、逃げてはいけないと、どこかで思っていた。


「ど、どうして……わ、私なんかに協力を?」


「メグーが、そこまで人に懐いたのは初めてだ」


 その言葉に、私は息を呑んだ。

 ミリアリアさんの瞳が、どこか寂しげに揺れていた。


「それに、アニー殿、貴殿のロールは農民であったな」


「は、はい…」


「メグーには食料が必要だ。だからこそ、農民のロールを持つ者を探していたのだ」


「……私は作物が生み出せるだけです。それだけしか…できません」


 声が、震えた。それだけ言うのが、精一杯だった。


「構わん。それに、アニー殿の知識は深い…」


 ミリアリアはそう言って薬瓶を取り出した。

 それはラベルに間違いがあると私が指摘したものだ。


霧狼きりおおかみのことも知っておる。その知識と農民のスキルは、我らにとって必要なものだ」


「必要…」


「そうだ。アニー殿、貴殿が必要だ。我らに力を貸してはくれぬか?」


 私は、胸の奥で何かが弾けるのを感じた。

 恐怖、不安、戸惑い──それでも、私はこの出会いを、冒険の始まりを、諦めたくなかった。

 私は、ずっと夢見ていた。誰かと一緒に、世界を旅して、何かを成し遂げることを。

 マナステーションを建てたかった。農民の自分にも、できることがあると、誰かに証明したかった。


「……わ、わかりました!わ、私は…最初から…そ、その」


 言葉が喉につかえる。けれど、心は叫んでいた。


「な、仲間にしてほしかったの…で!」


 私は立ち上がる勢いで叫んだ。涙が滲みそうになるのをこらえながら、必死に言葉を続ける。


「わ、私を…仲間にしてくださ…ひゃい!!ぼ、冒険の夢を…あきらめたくないです!!」


 一瞬の沈黙のあと、ミリアリアさんがふっと微笑んだ。


「ようこそ、アニー殿。我らの旅は、容易いものではない。だが、貴殿のような者が加わってくれるのなら、きっと乗り越えられる」


「……あ、ありがとうございます!」


 フェイさんは少しだけ目を細め、何かを納得したように頷いた。


 そして、私の膝の上で眠るメグーちゃんが、ふわりとまぶたを開けた。銀の瞳が、まっすぐに私を見つめる。


「……アニー、いっしょに、いく?」


 その一言に、私はすべての不安が溶けていくのを感じた。


「うん。一緒に、行こうね」


 私はそっと彼女の手を握った。小さくて、温かくて、でもどこか、世界のすべてを包み込むような力強さがあった。


 ──こうして、私の冒険が始まった。


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