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第37話:―揺らぐ信頼と勇者の影―


『止まりなさい』


 湖面を覆う淡い赤の光が青へと変わり、空へ昇るグリフォンの翼を照らしていた。

 まるで朝日が湖を抱きしめるような幻想が広がる。

 背には私とメグーちゃんが乗り、その嘴にはケビンさんがしがみついていた。


『それ以上はいけない』

「っ!?だ、誰!?」


 私は肩を震わせながら周囲を見渡す。

 だが声の主らしき姿はどこにも見えない。

 心臓が早鐘を打ち、喉が乾く。

 声の正体が見えないだけで、恐怖は倍増した。


『私は魔導士マリー』

「マリー卿!?」


 ケビンさんが驚きの声を上げる。

 彼の声には懐かしさと敬意が混じっていた。


「し、知っているん、ですか?」


 私が震える声で尋ねると、ケビンさんは小さく頷いた。

 

「はい……勇者様のお仲間の方です!」

「勇者……様の……?」


 胸に冷たい疑念が広がる。

 なぜ勇者の仲間に襲われ、今また別の仲間に止められねばならないのか。

 混乱と不信が思考を鈍らせる。

 グリフォンは空を切り裂くように上昇を続ける。

 追手であるユリの気配はなおも背後にまとわりついていた。


『封印を守る結界に触れるわ。止まりなさい』


 マリーの声は冷静だが切迫していた。


「と、止まれません!お、追いかけられてい、いるんです!」

『マリーは貴方達に危害を加えることはしない』

「じゃぁ、どうして、追いかけてくるんですか!?」


 ケビンさんの声が震える。

 彼の中の小さな勇気が恐怖と疑念に押しつぶされそうになっていた。


「そうです!追いかけるのはやめてください!」


 私も必死に声を上げるが、風にかき消されそうに弱々しい。


「ねぇ、何、この状況?」


 背後から艶やかな声が響いた。

 振り返ると、そこには成長したメグーの姿があった。

 銀色の髪が風に揺れ、瞳は静かに空を見上げている。


「……お母さん」

「え!?」


 思わず声が漏れる。

 メグーちゃんの落ち着いた声が逆に不安を煽る。


「この声の人の言う通りよ。何だか……やばそうな気配がするわ」

「え?」


 混乱しながらも、私はメグーちゃんの言葉に従いグリフォンの背を叩いた。


「クルル!?」

「ご、ごめんね!グリー、ちょっと、止まって!」


 グリフォンは戸惑いの鳴き声を上げ、抗議するように私を見た。


 その瞬間、空間が揺らぎ黒装束の女──ユリが現れた。

 軽やかな身のこなしとは裏腹に、その瞳には鋭い光が宿っている。


「あー、やっと止まってくれたー、マリー、ありがとう」

「……あ、あの!」

「ん?なに?」

「どうして!?勇者様のお仲間の方が、私達を?」


 私は必死に問いかけるが、声は上ずり言葉が繋がらない。


「大人しくしていてほしい理由のこと?」

「は、はい!」


 ユリは空を見上げながらどこかにいるマリーに問いかける。


「ねぇ、マリー」

『どうしたの?』

「どこまで話すー?」

『そうね……』


 そのやり取りに背筋がぞくりとした。

 まるで私たちの運命が他人の手で弄ばれているような感覚だ。


「ねぇ、お母さん」

「ど、どうしたの?」

「船、襲われているわ」

「え?」


 メグーちゃんの言葉で私は慌てて水面を見下ろす。

 そこには裂けた帆と立ち昇る煙、閃光が何度も走る船の姿があった。


「お、襲われている!?」

「アニーさん!助けにいきましょう!」

「はい!グリー!お願い!」


 だがグリフォンは動かない。

 進路を阻むようにユリが空中に浮かんでいるからだ。


「んー、私が追いかけている理由、わかっているでしょ?」

「……もしかして、アンタ達の目的はミリアリアとオーグで、私達がいると邪魔になるから遠ざけておきたいってことかしら?」

「ご名答!ご褒美、何がいい?」


 ユリは笑った。だが、その笑みは一瞬だけ揺れた気がした。まるで、本当に正解だったことを少し惜しんでいるような。


「いらないわ。それよりも、そこ、退いて」

「んーダメ!」


 ユリの笑顔は無邪気だがどこか狂気を孕んでいた。


 メグーが右手を突き出す。

 

「私、人を殺すことに躊躇しないわよ?」

「ふーん……やってみれば?」

「メグーちゃん!」


 私の叫びにメグーちゃんは手を下ろす。

 ユリは肩をすくめて笑った。

 ──でも、あの言葉は消えない。

 人を殺すことに、躊躇しない。

 メグーちゃんの声は、嘘をついていなかった。


 あの静かさは、脅しではなく、ただ事実を告げるだけのものだった。

 私はその言葉を、心のどこかに引っかかったまま押し込んだ。


「ママの言いなりなんだねー!」

『ユリ、挑発しない』

「ちぇー」


 そのやり取りに胸が不安でいっぱいになる。


「……ど、どうして……ミリアリアさんを狙うんです、か?」


 問いかけるとユリは一瞬驚いた表情を見せた。

 代わりにメグーが静かに答えた。


「勇者に狙われている。この言葉の意味、お母さんもわかるでしょ」

「……そ、それは……でも、何かの勘違いです」

「ミリアリアが勇者を敵に回すようなことをしてきた。それか、企んでいる。そういうことでしょ?」


 メグーちゃんの言葉にユリは満足げに頷く。

 私は必死に否定する。


「ち、違う!ミリアリアさん!そんなことしません!勘違いです!」

「お母さん……こいつらに言っても無駄そうよ」


「ミリアリアは間違いなく私達の敵だよー?勇者の敵、つまりー、世界の敵!」


 冷たい絶望が胸に広がる。


「そ、そんなことはありません!!」

「そう思いたい気持ちも分かるけどさー」


「し、信じません!」

「んー、下、見てみて」


 視線を落とすと、船から放たれる聖剣の光が何度も閃いていた。


「私や、多分だけど、アニーちゃん、そっちのケビンくん相手に、うちのボスが剣を抜いても、まったく光らないと思うよ。ま、銀髪ちゃん相手はわからないけどね」


 ユリの視線がメグーに向けられる。

 だがメグーはその視線を無視し静かに言った。


「……聖剣は対峙すべき相手にしか、その力を発揮しない。そういうことね」

「そうそう!」


 メグーちゃんはそう言いながら、自分が「わからない」とされた側であることに、何の動揺も見せなかった。聖剣が自分に反応するかもしれないという事実を、まるで他人事のように受け取っている。

 その静けさが、私には怖かった。


「……そんな、どうして!?」

「それは分からない。でもさ、私達のこと、信じてもらえないかなー?」


 ユリの声は軽やかだが、その裏にある確信と覚悟が胸を締めつける。

 言葉に詰まり何も返せない。

 喉の奥が熱くなり目元がじんわりと滲む。


「……アニーさん、大丈夫ですか?」


 ケビンさんが心配そうに声をかける。

 彼の手がそっと私の肩に触れた。

 ケビンさん自身も恐怖と混乱の中にいるはずなのに、それでも気遣いを忘れない。


「……ありがと、う……」


 私は小さく呟き涙を拭った。

 だが心の疑念は晴れない。

 ミリアリアさんが本当に世界の敵なのか。

 あの優しい笑顔が偽りだったのか。


「……でも、私、信じたい。ミリアリアさんを……信じたいんです!」


 その言葉にユリは目を細めた。


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