表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最弱の農民ロールの私、裏切った仲間ごと助けて救世主となる  作者: 農民
第3章:聖導リュミエール神聖学院
160/165

第160話:光の在処

 光が、満ちていた。


 黒い蔓が、力を失っていく。

 絡みついていたものが、するりとほどけて、地に溶けていく。

 影が退き、講堂の隅々まで、柔らかな光が差し込んでくる。


 膝をついていた。

 いつの間に崩れ落ちたのかもわからなかった。

 ただ、涙が止まらなかった。

 頬を伝い、床に落ちるたびに、ずっと胸に積もっていた何かが、少しずつ外れていくような気がした。


「……どうして、あなたは……そんなふうに……」


 言葉にならなかった。

 責めたいわけじゃない。

 ただ、理解できなかった。

 なぜ、この人はそんなふうに私を見るのだろう。


 聖女が、静かに膝をついた。

 私と同じ目の高さに、合わせるように。

 そして、微笑んだ。


「……あのとき……あなたが助けてくれたこと、私、忘れてません」


 胸の中で、何かが揺れた。


 ゆっくりと顔を上げる。

 驚きと戸惑いが、入り混じっていた。


「……私が……?」


 あのとき、自分がかけた言葉。

 それが、誰かの心に残っていたなんて──思いもしなかった。


 聖女は、静かに頷いた。


「はい……朝の教室で……あなたは私を助けてくれました」


 その瞬間、何かがピタリと重なった。

 目の前の聖女と、あの朝の教室で隣にいたアニーが、心の中で一つになった。


「私、あのとき……やっと、あなたに手を伸ばせた気がしたんです。ただ、あなたが傷ついているのを見たくなかった。それだけだった……」


 声がかすれた。

 懺悔のようだった。祈りのようでもあった。


「ありがとう、リゼリアさん。あなたがあのとき、私を守ってくれたこと。私、ちゃんと覚えてます。……嬉しかったんです」


 瞳が、また揺れる。

 胸の奥に、あの朝の光が蘇った。


 勇気を振り絞って踏み出した、あの一歩。

 誰にも気づいてもらえないかもしれないと思いながら、それでも踏み出した、あの一歩。

 それが、確かにこの人の心に届いていた。


 その事実が、静かに胸を満たしていく。


「……私、ずるいよ。あなたが傷ついてるのを見て、何度も目を逸らした……でも、それでも、あなたは……私を、責めなかった」


 声が震えた。

 ずっと閉じ込めていた言葉が、ようやく外に出てきた。


 聖女は、首を横に振った。静かに、けれど確かな意志を込めて。


「私も、誰かを羨んだことがあります。誰かの優しさが、時に苦しかったこともあります。でも……あなたの優しさは、本物でした。だから、私は……あなたを信じたい。いいえ、あの時の……リゼリアさんが本物のあなただって……そう信じています」


 肩から、ふっと力が抜けた。

 長く絡みついていた黒い蔓が、音もなく霧のように消えていく。

 重くのしかかっていたものが、解けていく。


 静寂が戻っていた。

 さっきまで満ちていた緊張の気配は消え、空気が穏やかに澄んでいる。


 ゆっくりと顔を上げ、目の前に差し出された手を、そっと両手で包み込んだ。


「ありがとう……聖女様……ううん……アニー……さん」


 声が震えた。涙が頬を伝い落ちる。

 けれど、もう迷いはなかった。


 その瞬間、講堂の天井が音もなく開いた。

 眩いばかりの光が降り注ぐ。白銀の光が静寂に包まれた空間を満たし、すべての影を優しく溶かしていった。


「私は……リゼリアだ……リゼリアのままでも良いんだね」

「……リゼリアさんがいいんです。だから……帰ってきて……私は……あなたを待っています」


 足元に広がっていた黒い影が、淡くなり、そして消えた。

 重くのしかかっていた闇が、赦しを得たように、静かに消えていった。


 ──光が、満ちていく。


 長い闇の底で交わされた対話が終わる。

 絡みついていた影は音もなく消え、蔓は命を失ったように枯れ落ち、空間そのものが、夢の終わりのようにほどけていった。


 手を、握られていた。

 温かかった。

 その温もりが、意識の端から端まで、静かに広がっていく。


 ──そして、光の中に沈んだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 まぶたの裏に、光が差し込んだ。


 重い。目が、開かない。

 それでも、少しずつ、少しずつ、意識が戻ってくる。


 ゆっくりと目を開けると、空があった。

 どこまでも澄み渡った、青い空。

 かつてこの地を覆っていた瘴気は、跡形もなく消えていた。


 風がそよいでいる。

 遠くから、鐘の音が静かに響いてくる。


 身体がうまく動かなかった。

 どこかに寄りかかっている。温かい。


 耳元で、柔らかな声がした。


「……おかえりなさい、リゼリアさん」


 その声に、胸の奥が震えた。


 まぶたが、かすかに揺れる。

 視界はまだぼんやりとしていたが、そこに寄り添う人影が、やがて輪郭を持って浮かび上がった。


「……アニーさん……?」


 声が、かすれた。

 瞳に、涙が浮かぶ。

 恐怖でも、後悔でもなかった。


 長い闇を越えて、ようやく辿り着いた場所に、迎えてくれる人がいた。

 ただそれだけのことが、胸の奥をあたたかく満たしていく。


 これが、帰ってきたということなのだと、思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ