第16話:地を揺るがす咆哮
地龍の前脚が、ミリアリアさんを薙ぎ払った。
衝撃が空気を裂き、石の匂いと血の鉄の香りが混ざった。
剣で受けようとした瞬間、衝撃で体が横へ弾かれる。
石壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。
「姉御!!」
オーグさんが飛び込み、地龍の動きを一瞬だけ引きつける。
砂と小石が舞い、地面が低く振動した。
その隙にミリアリアさんが立ち上がるが、足元が揺れていた。
(このままでは──)
私は壁際から目を凝らした。
鱗の隙間が、さっき見えたまま頭の中に残っている。
胸のあたり。地龍が動いたとき、一瞬だけ開く。
(あそこに通せれば。でも、私ひとりじゃ届かない)
問いが変わった瞬間、答えが浮かんだ。
短い閃き。長い準備。
まず、地龍の動きを一瞬だけ止める必要がある。
爬虫類は匂いと刺激に敏感だ。
農場でミントを刈るとき、手についた清涼な匂いが目に入って涙が出た。
唐辛子を乾かしていた日、風向きが変わって粉が舞い、しばらく何も見えなくなった。
感覚器を狂わせれば、一瞬止まる。
その一瞬に、鱗の隙間が開く体勢を作れれば──。
「ケビンさん!」
私は振り返って叫んだ。
「魔法、何が使えますか!」
ケビンさんが驚いたように目を見開く。
彼の呼吸が速くなるのが見える。
手の震え。唇の乾き。恐怖と期待が混ざった表情。
「か、風魔法と雷魔法が使えますが……!」
風魔法。粉を運べる。
私は短く息を吐いた。決意が喉を通る。
「目眩ましを飛ばします。合わせてください!」
私はスキルを発動し、ミントと唐辛子を生み出した。
指先で素早く擦り合わせ、粉末にする。
鼻を刺す清涼な香りと、粘膜を灼くような刺激が立ち上る。
目がしばしばする。涙がにじむ。胸がざわつく。
「ミリアリアさん!オーグさん!地龍が動いたとき、胸の鱗の隙間が一瞬開きます!そこを狙ってください!」
「分かった!」
「やってみろォ!!」
「ケビンさん、お願いします!」
「はいっ!──風と天空の支配者よ!我を阻む風を律せよ!ウインド・アルゲンタビス!!」
ケビンさんの詠唱が空気を震わせた。
声が石に反射して鋭く跳ね返る。
周囲の空気が裂けるような鋭い風が巻き起こる。
風が耳を鳴らし、砂が歯に当たる。
私はミントと唐辛子の粉末をその風へ投じる。
白い粉が風に乗り、地龍の顔面へと吹きつけた。
粉末が鱗の隙間に入り込み、風圧で鼻孔へ押し込まれていく。
冷たさと痛みが混ざった匂いが、空間を切り裂いた。
地龍の巨体が、わずかに止まった。
時間が一拍、引き伸ばされる。
目の周囲の鱗がぴくりと動く。
次の瞬間、地龍が初めて頭を振った。
両目を細め、顔をくしゃくしゃに歪める。
喉奥から低い唸りが漏れ、巨体がわずかに体勢を崩した。
その唸りは、胸の奥に冷たい波を落とすようだった。
「今だァ!!」
オーグさんが踏み込み、拳を鱗の隙間へ叩き込む。
ぎっ、と鱗が軋む音。
こじ開けられた隙間が、わずかに広がる。
ミリアリアさんは、すでに跳んでいた。
その跳躍は重力を無視したように軽く、空中で時間が伸びたかのように見える。
彼女の呼吸は静かだ。目は一点を射抜くように鋭い。
体勢を崩した地龍の胸──開いた鱗の隙間へ、剣が吸い込まれるように突き刺さる。
一瞬の静寂。
世界が止まったように、音が消える。
そして、地龍の全身がゆっくりと傾いた。
地面が揺れ、どさり──と、地上の覇者が崩れ落ちた。
その衝撃が骨にまで伝わる。砂が舞い、空気が重くなる。
その音は地の底まで響くようで、胸の奥に重く残った。
舞い上がる砂埃の中で、私は息を呑む。
終わったのだと理解するまで、しばらく心臓の鼓動が耳の奥で鳴り続けていた。
鼓動がだんだんと現実に引き戻す。
誰も、しばらく声を出せなかった。
ミリアリアさんが剣を引き抜き、静かに息をつく。
刃が空気を切る音が小さく響いた。
彼女の肩が震える。疲労と安堵が混ざった重さがそこにある。
オーグさんは額の汗を拭い、大きく息を吐いた。
手のひらに残る振動を確かめるように、指を開く。
「……やったか」
その呟きが静かな空気に溶けていく。
オーグさんがゆっくりとこちらを向いた。
「……チンチクリン。よくやったじゃねェか」
低く、ぼそりとした声。
褒め言葉には聞こえないかもしれない。
でも、確かにそう言ってくれた。
私は胸の奥で小さく笑った。声にならない感謝が波紋のように広がる。
隣でケビンさんが短く息を吐いた。
両手はまだ震えている。
けれどその顔には、消えかけた灯火のような小さな安堵が灯っていた。
彼の目が少し潤んでいるのを私は見逃さなかった。
「ケビン、先ほどの風魔法……あれは習得しているのか」
「は……はい。一応は」
「覚えておこう」
ミリアリアさんはそう言って、地龍の亡骸へ視線を移した。
彼女の瞳に、戦いの痕跡と責任の影が揺れる。
勝利の余韻と、失ったものへの静かな後悔が混ざっている。
背中でメグーちゃんがそっと体の力を抜く。
彼女の小さな手はまだリンゴを握っていて、その指先に力が残っている。
地龍が倒れた瞬間、メグーちゃんの目が一瞬だけ鋭く光った。
戦闘中の沈黙に、彼女だけが異質な落ち着きを湛えているように見えた。
──間に合った。
その事実だけが、じわりと胸の奥に広がった。
安堵が涙になりそうで、私は唇を噛みしめた。
砂埃の匂い。汗の塩気。血の鉄の香り。すべてが混ざって、現実を確かめさせる。
私はゆっくりと膝をついた。
手のひらに残る粉の感触が、まだ冷たく感じられた。
心の中で、戦いの一瞬一瞬が反芻される。恐怖。躊躇。決意。後悔。
それらが重なって、今の私を形作っている。
誰かが小さく笑った。
それは救いのように聞こえた。
私は目を閉じ、深く息を吸った。
風が止み、時間がゆっくりと戻り始める。




